男尊女卑の中で
昭和初期はまだまだ地方では男尊女卑が色濃かったのでしょうか。特に和歌山の方がそんな風習が強かったのでしょうか。
その頃、和歌山の方言なのか
女の子のことを「ねしょうの子」と言われておりました。差別用語ですね。
どういった語源なのか?私もわからないのですが
一説には「寝て小便をする子は女の子だから、ねしょうの子」・・・と聞かされたことがありますが、その頃はそれで納得していたのですが、赤ちゃんの頃は男の子も女の子も皆寝転がっておしっこをしますね?
となると、この説は変ですね。
まあ、その真偽の程は置いておくとして・・・
一緒に暮らしていた私の父の母親(コマスお婆と呼ばれていました)も
「ねしょうの子はあかん。男の子は偉い、男の子は大事や」とよく言っておりました。
一番わかりやすく差別したのは、学校に持っていくお弁当でした。
なぜか私たち子供のお弁当は、この「コマスお婆」が作ってくれておりました。
「弁当やで」と言われて台所に並んでいるお弁当箱には
私のお弁当箱には白いご飯がたくさん入っていました。それに比して弟二人のお弁当は茶色い麦がびっしり入っていました。
さて、ここからが差別です。
学校でお弁当を開いて一口食べると、私の白い米粒はうっすらと表面に覆われてるだけで、下は里芋の種芋と麦がガサガサと入っており、食べられたものではありません。もう、一口食べただけでうんざりでした。
それとは逆に、弟達のお弁当はどうかというと、茶色い麦は表面にうっすらあるだけで、その下には全部白いお米のご飯が入っているのです。きっと普通に美味しかったことでしょう。
なかなか手の込んだ、そんな差別を平気で祖母はしておりました。当時祖母は、どんな気持ちでそんなことをしていたのかは私には今もわかりませんが・・・。
私も当時はそれを怒るでもなく、「仕方ないなあ」とぼんやり思っていました。
今でも、麦飯を見ると、気持ち悪くなります。
今は自由に好きなものを毎日食べて過ごしています。
白いご飯だってたまにはおかわりして食べるほどですよ。
人は美味しいものを食べることができるっていうことは一番幸せだと思っています。
明日の朝は何を食べましょうか?楽しみです。
キミちゃんより