馬関まつり(どんぐりの出店と平家総踊り)
下関市の中心部で1978年から続いているお祭りです。
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公式サイトでは、「下関青年会議所が主催で」としていますが、
「地域の学生たちが中心となって」という、
0回主催者の一人という方のお聞きしたこともあります。
陸上競技場が最初だったというのは間違いなさそうです。
私は1971年夏生まれで、
8歳の5月頃に「どんぐり児童画教室」(以下どんぐり)
の火曜教室に入りました。
その夏から小学校卒業迄、どんぐりとして馬関まつりに参加しました。
当時の下関は、毎週土曜日に豊前田商店街で土曜夜市が開かれていました。
馬関まつりはその延長線上の、8月末の大きな祭、という感覚でした。
8月末の土日2日間。
豊前田商店街から下関市役所迄の、
かつての湾岸(9号線から先は埋立地です)、
国道9号線から一歩内側に入った道が歩行者天国になって、
約2キロにわたって夜店が出ていました。
どんぐりのほかにも、ミミズクという児童がグループもありましたし、
書道教室、剣道教室…子供たちの「お教室」花盛りの当時、
市役所周辺の道に、教室系の出店が集まっていた記憶があります。
どんぐりは、通っている子供のお母さんが雑巾を縫って、
3枚100円で販売していました。
まだ、100均が無かった時代です。
新学期に必要な雑巾は飛ぶように売れたのを覚えています。
あとは、お中元でいただいた商品や不用品を出していました。
小学5・6年になると、所属の町内会が参加していたため、
日曜日に市役所から新町4丁目・元の図書館前までの道路を
一時通行止めにして繰り広げられていた、
平家踊りの総踊りに参加しました。
夏休みになると町内会で平家踊りの練習です。
法被も町内会で持っていました。
市内の企業の大きな団体に交じって、
2時間くらいでしょうか?ぶっ続けで踊りました。
足の裏の感覚がなくなる頃にはトランス状態に入り、
妙な高揚感があったのと、終了後に徒歩で自宅に帰り着き、
玄関を上がった瞬間に疲れが足にドッと来たのを覚えています。
大きかったんです、平家総踊り。
年々祭りの規模は縮小され続けています。
平家総踊りは下関駅前から細江前の国道9号線でちょっとだけになり、
それでも周辺住民からのクレームがあったという事で、
規模が縮小され、「今年あった?」というくらいになりました。
日テレ系の24時間テレビ
24時間テレビ 「愛は地球を救う」 - Wikipedia
の開催日と重なっていたことも多くあります。
今年が最後の周辺住民としての馬関祭です。
といっても、小学6年生以降、一度も行った事ないんですね。
ただ、2時間、平家総踊りの音くらいは許してほしいと思うんです。
1時間程度ではトランス状態にはなれないから。
できれば、踊る阿呆になってクレーム止めてほしかったな。
確かにビルに響いて五月蝿いけれども、
あの音が止むと同時に下関の夏が終わるんです。
何だかね、寂しいもんですね。
今や、唐戸から新町4丁目の道路を止めての
平家総踊りすら忘れ去られているようで、
公式HPにも縮小し続けている祭については記録もなく、
参加者の証言を残しておかなきゃと走り書き?した次第です。
そろそろ50年。
生きている人達の「馬関まつり」の記憶、
記録に留める時期じゃないのかな?
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