祖父はいつも仲間の元に逝きたいと言っていた
母方の祖父です。
当時としては珍しい一人っ子。
曾祖母の溺愛を受けた、人に優しすぎる人でした。
祖父が祖母との二人暮らしをしている時に、
ビールを持って行って呑みながら昔話を聞いたものです。
祖母は造り酒屋の娘でしたが下戸で、
祖父は私と呑むのをとても楽しんでくれていた様子でした。
祖父は、戦時中、中国大陸に行き、
戦友の遺骨を遺族に届けるために一時帰国したまま、
隊に戻ることなく終戦を迎えたそうです。
祖父が離れた後、
隊は中国大陸から南下し、南アジアに行ったそうです。
呑んでいる際に、仲間の所に早く逝きたい、
と何度も言っていたのが忘れられません。
祖父は商売が上手く行こうが行くまいが、
質素な生活を送っていました。
ただ一度、祖母を伴って船でフィリピンに旅行に行ったのを覚えています。
今思えば、彼の地に眠っている戦友に会いに行く旅だったのでしょう。
祖父は、どうして僕が遺骨を届ける役になったのか、
とも言っていましたが、
きっと、曾祖母が金を積んでいたんでしょう。
一人っ子でしたしね。
祖父も分かっていたと思います。
でも、皆と一緒でいたかったんでしょう。
祖母が他界して数年後、祖父も他界しました。
会いたかった人達と会っているんだろうな、と思います。
本当に優しい、食べ物の好き嫌いの多い坊ちゃんな祖父でした。
最後まで入れ歯差し歯の無い、歯の丈夫な祖父でした。
美味しいもの食べて呑んで、向こうで笑っていますように。
#戦争
#聞き書き
#祖父
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