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見えなくても見えているんだよ
視覚障碍者の方の、声掛け前に他人に触れられるのは怖い、
という内容のつぶやきを読んで思い出した出来事。
高校時代、週イチで乗るバスの停車場で、いつも白杖を持っておられる方がいらっしゃいました。
大抵のことは一人で何でもできる方だったんですが、たまに戸惑っておられることもあり、声掛けした方が良いのかな?と思いつつ何もできず、いつしかいらっしゃらなくなりました。
見守るだけじゃダメじゃないのかな?後悔したものです。
20年ほど前、就業先からの帰路で視覚障碍者の方と一緒になることが度々ありました。
思い出す高校時代。
席を譲ったり、列車内で一緒に人混みを避けたりしているうちに親しくなり、
お互い名乗りはしなかったものの、会えるのが楽しみな他人様になっていました。
こちらが気付く前に手を振ってくれることもあって、
どうして分かるの?と聞いた所、
彼は高身長、私は150cm未満で、空間の幅がある事、歩くテンポ、香水の匂い、と教えてくれました。
身長が低いのは、声が出てくる方向ら分かるとも。
香水は…当時、精神的な防御もあって、ファーム富田のファームTという、あまり使っている人が居ないモノを朝、少し付けていたもので、確かに珍しいものではあったと思います。
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歩くテンポは、低身長から来る、人よりたくさん足を出して行かないと取り残される恐怖心から無意識だと飛ぶように歩いている、と言われる歩き方から来るんでしょう。
見えている人より見えているんだな、と感心したものです。
1~2年の間の週に何度かでしたが、視覚障碍者の方の見えるチカラを教わった、今となっては宝物のような時間です。
以来、困っているようにお見掛けする人が居ると、遠慮なく声掛けしています。
可能であれば斜め前や斜め後ろから。
そっと声をかけて、そこからちょっとの出来る事へ。
大丈夫ですよ、の時は安心するし、
だいじょばない時はやれることだけやる。
先方は私の実力は瞬時に見抜いておられるようで、無理な事は一切言われた事ないですし。
視覚がある私より、もっと世の中が見えていたり、一応身体が動く私より、もっと体が動く事のありがたみを知っている人と接する機会は、知らないことを知る機会でもあるからです。
延長に、今の夫との入籍があるんでしょう。
そして、時々考えるのです。
見えている私は見えているんだろうか?
動けている私は動けているんだろうか?