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金魚救い ④


「例えばこの動画を見る人の中にも、パパ活なんてやめて真っ当に人生を歩め的な考えを持ってる人も居ると思うんですよ。世界はもっと広いとか行政に頼れとかね。でもそんなものは私の薬には全くと言っていいほどならない。だってそうじゃないですか?どこまでいっても他人なんですよ結局は。言いたいです、私の人生の面倒を最後まで裏切れずに見てくれるんですかって。中にはいますよ、いつか私を救い出してくれる人が現れるんじゃないかみたいな考えを持っている子も。でも、そんなの待ってても何の意味もない。自分の人生は自分が責任を持つしかないんです。」

 私が16歳の時には何を考えていたのだろう。衣食住が両親によって保障された生活を送っていて、勉学や部活動に打ち込むことができ、少ないながらも友人と呼べる人間もいた。当時の私も今現在の私も考えもしなかった世界が画面の向こうには確かに存在している。「コインの表と裏で表が出ただけだったんだ…。」と無意識に独り言ちたむいしきにひとりごちた。私は偶々たまたま恵まれた家庭に産まれ落ちただけで、コインの裏側にどういう人が存在しているのかひと時も考えてこなかった人生を酷く恥じた。と同時に身近な社会問題とはこのことではないかと落雷に打たれた気持ちになった。そうだ、この子に焦点を当てて課題のテーマになってもらおうという思いが一瞬で頭の中を支配し、すぐさま策を講じる。幸いにも動画の中で見た公園には見覚えがあった。新宿にあるその公園と近くのネットカフェを何日かに分けて探せば、ことりさんに会える確率は上がるだろう。でも、当たりをつけた場所は歌舞伎町周辺で都会に出てきたばかりの大学一年生、ましてや女性一人ではどうにも心細い。


 ふと教授が言っていたことが頭に浮かんだ「発表やフィールドワークは複数人でやっても大丈夫です。」と。その条件に合いそうな人間が一人だけ思い当たった。次週の授業日には声を掛けてみようと心に決め、メイクを終わらせ、簡単な朝食を済ませ、身支度をする。発表の題材が決まった安堵感あんどかんと本当に彼女と出会えるのだろうかという不安を抱えながら玄関の扉を開けた。

 

 「自分の人生は自分が責任を持つしかないんです。」画面越しの自分が放った言葉を聞きながら高梨柚たかなしゆず苦笑くしょうしていた。動画に出演したのは別に自分の人生を知って欲しいとか同情が欲しい等の理由では一切ない。単に身体を売ることなくお金が貰えるからだ。
画面上の自分はお金を貰うことによるプロ意識か、またはリップサービスの精神がそうさせたのか判断はつかないが、他人のように見えた。


 ことりという名前を使ったのは、高梨たかなしという名字に小鳥遊たかなしという派生があることをネットカフェにある漫画で書いてあったことを思い出したからである。天敵の鷹がいないから、小鳥が遊んでいられるという理由で小鳥遊という名字が作られたとのことだが、私の現実では当たり前のように鷹が存在し、小鳥の私は遊ぶことなんてできずに鷹に食べられる運命を待つしかないという皮肉を込めて「ことりちゃん」という名前にし《》


 動画のコメント欄を覗いてみると、「この子は自分のことを客観的に見れていて賢い子だ。」とか「この子は大丈夫。」「悪いのは社会だ。」というようなコメントが散見さんけんされた。「大丈夫じゃないからこうなってるんだろ。」と沢山のコメント1つ1つに返信したくなったが、そんなことをしても意味がないと思い動画を閉じた。やはり他人は他人なのだ。寄り添うようなコメントも応援のコメントも結局は他人事だから打てるようなものばかりで、何もしてくれないのであれば、いっそのこと非難を一心に受けたほうが幾分いくぶんかは気持ちがましになるとさえ思える。


 飲んでいたリンゴジュースを入れていた紙コップが空になったので、住居としている個室のフラットシートの扉を開け、ドリンクバーが設置されているコーナーまで歩を進める。リンゴジュースばかり飲んでいたら虫歯になる可能性や健康的にも良くないだろうと思いつつも、リンゴジュースには自分のことを優しく包み込んでくれるような甘さを感じていて、健康に良くないという罪悪感が、より一層背徳的はいとくてきな甘さを際立たせている。

 ネットカフェに滞在している時はほかのドリンク類を飲むことが基本的にはない。両手に紙コップを持ち、自分の住処すみかへときびすを返す。扉を閉め、紙コップを置くと、「ふーっ」と自然に声が出た。


 私のパパ活は基本的には出会い系のアプリやSNSのアカウントを使って、パパになってくれる人を探す。歌舞伎町周辺で、自ら客引きをしてもいいが、自分が未成年ということもあり、警察から補導を受けることになっても面倒なので、インターネットの力に頼っている。継続的に会うことになっている人は何人かいるが、一番警戒しなければいけないのは新規のパパである。どんなに文面上でまともに見えても、やはり人というのは会って話してみない事にはどのような人間かはわからない。だから、どんなことが起こっても自分で対処できるように、鞄の中にはいつも小型のスタンガンを忍ばせている。幸いにも使用に至ったことはまだないが、心の安寧あんねいのためのお守り的な役割をすでに果たしているので、購入した分のお金はもう取り返している気持ちなので満足だ。

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