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クジラ殺しの綱渡り

 好調中日を支える要因は、なんといっても野手陣の奮闘にある。チーム打率2割6分4厘の攻撃力で数々のドラマを演出。2試合連続の逆転勝ちとなった阪神戦も、「負けた!」と思われた矢先に激流のごとく畳みかけてひっくり返してみせた。

 今や巨人をも凌ぐ強力打線といっても過言ではないが、その中日以上の破壊力を持つのが大洋の「巨鯨打線」である。なんとチーム打率は2割7分2厘に達し、本塁打数も王、田淵を擁する巨人(102本)、阪神(101本)に引けをとらない96本を数える。打線の中軸には目下リーディングヒッター松原誠、同3位のシピンが腰を据え、その周りを中塚、江尻、江藤、ボイヤーという実力者たちが固める打線には穴がない。

 去る7月30日〜8月1日、中日投手陣がこのリーグ屈指の打線にいいようにやられたのは記憶に新しい。3戦合計32失点。超満員に膨らんだ夏休みの中日球場がシーンと静まり返り、試合が終わる頃には空席が目立っていた。見る価値のないゲームを演じてしまったのだ。

 与那嶺監督は「たまたま絶好調の大洋と当たった。ツキがなかっただけ」と平静を装ったが、胸中には強い復讐心を宿していた。あれから3週間が経ち、いよいよやり返すチャンスがおとずれた。

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 ゲーム序盤は大洋優勢だった。中日先発の三沢はピリッとせず、1回は2死から松原に先制13号。2回は8番米田に74試合ぶりの一発を献上し、早々と2点のビハインドを背負った。中日は3回表にマーチンの右中間2ランで追いついたが、その裏こんどは江尻とシピンのタイムリーで再び水をあけられ、三沢はこのイニング限りでお役御免となった。

 優勝するには取りこぼしが許されない中で、中日はここまで大洋に5勝8敗と唯一負け越している。その相性通りの展開に、中日ベンチには苛立ちが立ち込めつつあった。そんな沈滞ムードが一瞬にして晴れたのは、勝ち越された直後の4回表のことだ。

 まず先頭木俣の右中間ソロで1点を返すと、1死二塁で三沢の代打に大島が送られる。積極性が持ち味の若者だが、ワンストライクからよく選んで一、二塁。ここでベンチは第二打席で左手首への死球を受けた高木守に代えてウィリアムを代打に送った。

 後半戦は代打に徹し、9打数6安打と打ちまくっている “切り札” である。同じく代打屋の江藤省三も控える中で先に好調ウィリアムを切ったのは、ここが勝負所と踏んだからだ。山下律夫との対峙はフルカウント。ストレートをものの見事に捉えると、打球はバックスクリーン右へ。特大の逆転3ラン。ここで値千金の一撃が飛び出すのが、中日打線の凄さである。

 大洋は一発攻勢の力強さを持つ一方で、投手陣に大きな不安を抱える。チーム防御率4.40、386失点はいずれもダントツのリーグ最下位。この日も取りつ取られつのシーソーゲームという、データが示す通りの展開となった。

 エース平松が投げる日を除き、大洋の勝ち筋は大量得点を入れることにある。つまり中日は、押し寄せる鯨の大群をなんとしても堰き止めなければならない。ウィリアムの劇的弾が出たとはいえ、6イニングを残してリードはわずか2点。このカードに関しては到底 “安全圏” とは呼べない点差だ。

 いつもの中日なら星野仙のど根性に頼るパターンだが、2日前に先発したためこの日はベンチ外。やや信頼に欠けるリリーフ陣だけで乗り切れるのか? ある意味でブルペンの地力が試されることになった。

 最初に出てきたのは水谷だ。今季は低調だが、ここはベテランらしい落ち着きで1安打無失点に抑える。続く5回、星野秀は先頭中塚のヒット、二盗、江尻左飛で三進を許したところで早くも渋谷にスイッチ。いきなり松原にタイムリーを打たれて肝を冷やしたが、渋谷は6回2死まで踏ん張った。

 1点差に詰め寄られ、残るは3イニング。6回途中から登板の4番手竹田が必死にバトンを繋ぎ、7回1死でベンチは “真打ち” 鈴木孝政を投入した。

「最初は出番があるとは聞いてませんでした。でも、言われたらいつでも行ける準備はしてました」。怖いもの知らずの鈴木はストレート主体の投球で並み居る強打者を打ち取り、あっという間に最終回を迎えた。

 先頭の長崎にこそ内野安打を許したが、ベンチは「孝政と心中」で腹を決めていた。2死二塁とし、江尻を渾身のストレートで遊ゴロに仕留めると、飄々としたツラ構えが一変。鈴木の顔に若者らしいあどけない笑みがパァッと広がった。

 3週間前のあの時、鈴木はまだ半人前の小僧同然だった。それが今や星野仙の代役を務め上げるまでになり、立派にブルペンを支えている。過酷な実戦の緊張感を栄養に変え、成長に繋げられるのは若さゆえの特権だろう。

「まず一つ借りを返した。けどあと二つね」。与那嶺監督のギラついた眼光は早くも明日を見据えていた。

洋5-6中
(1974.8.20)

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