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【私が英語を勉強する理由】カナダに3年住んでいた設定にした先輩に出会った話

とある先輩:「Xさんね~、なんで英語喋れるのか聞かれすぎて、カナダに3年住んでいたっていう設定にしたらしい」

「カナダに3年住んでいた設定にしたらしい。」
パワーフレーズすぎる…というか意味不明すぎる。
どうせ国内で仕事するだろうし、もう英語話せなくていいかなって思い始めていた私を後ろからどつくように刺激したパワーフレーズ。
幽霊部員なのになぜか幹部をやっていた英語ディベートサークルの部室で聞いたこの一言が、私が英語を勉強し続ける大きなきっかけになりました。

今回は、私が英語を勉強し続ける理由について、整理したいと思います。


英語ディベートサークルのX先輩

前述のX先輩と出会ったのは、大学に入学したての頃。
うちの大学はそこそこ英語教育に力を入れていて、その時点では、私だって英語がペラペラになりたい!という強いモチベーションを持っていました。そこで、ディベートサークルの門を叩くと、即席のメモで、7分間毅然とした姿勢で相手がいかに論理的でないかを語るX先輩がいました。

X先輩は、世界大会での受賞歴もあるディベータ―で、どんな議題でも、インプットした知識とこれまでのディベート経験を総動員して、論理的なスピーチをする方でした。
私が、それまで生きてきた19年間で、最も素早くスピーチをを組み立て、最も建設的な議論をし、最も自信を持って話し、最も語彙レベルの高い英語を使う人でした。でも、とてもチャーミングな方なんですよ。

初めてX先輩のスピーチを聞いたときは、話にはついていけなかったけれど、脳汁ドバドバでカッコイイ!!と思ったのを覚えています。

ディベータ―の話し方ってどんな話し方か気になる方は、イギリスの前首相ボリス・ジョンソンもディベータ―経験があるので、見てみてください。

その後、思い知りましたが、X先輩は仕事も早いです。あと、学校の夏休み課題は、いつも出されて1週間以内に終わらせて、遊んでいたそうです…
大学に行ってよかったことの一つは、X先輩みたいなかっこいいロールモデルを見つけられたことだと思っています。

帰国子女なのに英語が話せない。

話は変わりますが、私は帰国子女なのに英語が流暢ではありません。
これは、長年のコンプレックスで「エセ帰国子女」と自分を表現することも多々ありました。
私は、海外の日本人学校に通っていました。
日本人の先生に日本の教科書で、日本人の同級生に囲まれて過ごしました。現地の言葉も英語もさっぱりで日本に帰国してきたタイプの帰国子女です。

これは帰国子女あるあるですが、海外に住んでいた経験がバレると、
「帰国子女なの?」と驚かれ、
その次には、
「じゃあ、英語喋れるんだ?」
とほぼ100%聞かれます。
で、毎回私の場合は、
「あ、日本人学校だったんで、全然です」
と説明するまでがセットでした。
そのたびに、相手のご想像通りになれないもどかしさと、相手のご期待に添えない自分への嫌悪が胸に渦巻きます。
だから、帰国子女であることは、最近まで話さないようにしていました。
自慢じゃんって疎まれるのもあるけど。

英語の猛者で溢れる大学

大学に入ると、留学経験もなく、帰国子女でもないのに、英語が流暢に話せる人たちが知り合いの中でも2人はいました。
英語を話せることが自慢にもならない、というか、別に普通じゃない?みたいな感覚の生粋の帰国子女たちもごろごろいました。
そして私と同じように、流暢ではないけれど、国内で受験英語と英検だけはなんとかやってきた勢もいました。

そんな多様なバックグランドが溢れる環境で過ごすうちに、帰国子女だと周りに話せるようになりました。だって、それを打ち明けたところで、「私、大阪住んでたんだ」と同じ感覚で「私、ドイツ住んでたんだ」を受け入れてくれるので。それで、「私兵庫だけど、大阪によく遊びに行ってたよ」の感覚で、「私、フランスいたから、ドイツよく行ってたよ」と返されるときもありました。本当に、異質な空間にいたんだなぁと思います。

同時に、そんな英語の猛者に囲まれると、多少英語ができても、もっと上がいるから、自分が英語を頑張ったところで、そこまで社会で役に立たないだろうという諦めも感じていました。

私も帰国子女だから英語が喋れる設定にしたい

X先輩のカナダ設定を聞いて。
私は、「うじうじしていられないな」と思いました。

なんで英語が話せるかを説明するのが面倒で、カナダに住んでいた設定にした先輩と、
なんで英語が話せないのかを説明するのが面倒で、海外に住んだ経験をタブーのように隠してきた自分。
比較すると、後者の自分、ちょっとダサい。

もちろん経歴詐称はダメだけれど、英語が話せないことを後ろめたく思うなら、英語を話せるようになってしまえばいい。
「帰国子女なんだ!英語喋れる?」と聞かれたら、「うん」と言えばいいじゃないですか。後付けで必死になって勉強してたとしても、それを他者に知らしめる必要はそこまでない。
「本当は英語が話せないタイプの帰国子女だけど、ややこしいから、とりあえず、帰国子女だから英語が話せるっていう設定にする」
それってめっちゃかっこいい。
これが、今の私が英語を勉強するモチベーションです。
自分の人生を他者により円滑に理解してもらうため。
もちろん、世界やキャリアやコミュニティーが広がるっていう利点も勉強する理由にはなっていますが、一番は、これかな、と。

日本語が母語で英語が話せる人はみんなどこかで頑張っている

そもそも、「帰国子女だから英語が話せる」って変な常識だと思います。
あと、「留学してたから英語が話せる」もちょっと違うと思います。
そこには省略が含まれています。

例えば、
帰国子女だから(幼い頃に、現地校にぶっこまれて、知らない言語に囲まれながら、必死に生きるしかなくて)英語が話せるとか
帰国子女だから(英語を話せないとクラスで孤立するし、授業もわからないし、苦痛で、家庭教師もつけて頑張るしかなくて)英語が話せるとか
留学してたから(自分の英語のできなさ加減に絶望して、必死に現地で自分で勉強していたから)英語が話せるとか。

日本語が母語だと誰でも、幼児だとしてもどうしたって英語は難しい。
「英語が流暢」という結果にどのルートでたどりついても、それなりの勉強量は避けられないと思います。
その道筋をどう表現するか、語るか、語らないかは個人の自由だし、努力を努力と認識していない場合もあります。それでも、必死に踏ん張ってきた道筋が初めからなかったように言われたら、寂しいような気もします。

本編のまとめにはなりませんが、そんなことをふと帰国子女コミュニティーに属した経験から思ったので。

ということで、引き続き英語!とドイツ語!頑張っていきます。



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