庚申街道を通って庚申参り.1
序
『庚申の日』🙈 🙉 🙊
2024年3月24日(日)放送の大河ドラマ『光る君へ』で、干支の庚申や『庚申の日』の意味や過ごし方などが紹介されてました。
庚申や庚申の日については割愛しますけど、ひと昔?ふた昔前?どころじゃないですが、大阪の庚申街道を通ることがちょこちょことあったのですよ。
当時は庚申の意味なんて知らなかったし、インターネットなどなかった時代だから調べようとも思わず生きてきて、大河ドラマを見ていて「あっ!」と思い出しました。
庚申街道のことを調べてみると、庚申堂までの道を踏破?したくなっちゃいました。
3月も終わろうとしているのに寒い日や雨が多いしで、4月の庚申の日まで待とうかと考えもしましたけど、1日でも早く行ってみたい。笑
一番早く時間が取れそうなのは水曜日の3月27日。
放送を見た日曜日から3日後〜〜〜
晴れたらいいな
晴れないかな
と願ってました。
3月26日
降雨量が50mmある土砂降りの雨となりましたが、14時頃に雨があがりました。
そしてやってきた3月27日。
早朝から雲ひとつない晴天と相成り、午後には15度にまで気温が上がるとの天気予報で、お出掛けしなくちゃ勿体無いと思える日を迎えました。
「さぁ行くぞ!」
気合いが入ります。
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道中の安全祈願
庚申街道(大阪)の出発点は、大阪市平野区長吉川辺の明治橋。一級河川の大和川に架かる橋です。
曲がりくねったりもする旧道を進むので長い距離(10km超コース)となるため、出発直前に長吉川辺にある川辺八幡神社へ行き、道中の安全を祈願しました。
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出発地点
川辺八幡神社の前の道を南へ下り、大和川に沿って西へと進めば明治橋に到着。
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スタート
明治橋から大和川の河口方面、西へと進みます。
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コース変更
川沿いの道は車道しかない箇所も多く風も強いので注意が必要です。庚申街道を調べてみたところ、かなり先まで西へ向かうらしいのですが、本当にそうなのだろうか?
あちこちの寺社や地蔵尊へ立ち寄り、道中の無事を願った人たちも多く居たのでは?と頭をよぎったので、北上するまでは土手沿いから外れることにしました。
土手から外れて北へ向かいます。
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道路が突き当たる右角に小松神社があるので手を合わせます。
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小松神社から西へと向かうと突き当るので、そこを右折し北へと向かい、1つ目の三叉路を左折し西へ進みます。
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しばらく西へと進み、309号線および阪神高速14号松原線の下をくぐります。
上は振り返った写真なのでわかりづらいかもですが、進行方向の左手に瓜破駒ケ池公園が見えてきます。
公園の近くに寺と神社があるので、迂回して立ち寄ることにしました。
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神仏習合の名残り1
恩敬寺
親鸞上人の像に合掌。
恩敬寺の北隣に鎮座する西瓜破天神社の鳥居があります。
西瓜破天神社の北隣に地蔵尊があります。
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北から、地蔵尊・神社・寺の並び。
神仏習合の時代がうかがえます。
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地蔵尊の北の道へと左折して西へ。
1つ目の辻を左折して南へ下り西瓜破天神社の西側鳥居前を通ります。
正面(東側)との高低差が面白いです。
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瓜破駒ケ池公園沿いの道へと戻り、突き当るまで道なりに西へと進みます。
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羊羹…
突き当るまでの左手に、練羊羹が美味しい河内駿河屋さんの本社と直売所があります。
木曜日と金曜日の10時から15時まで営業されておられるようですね。
今回は残念ながら閉っていて購入できませんでした
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気を落とさず再び西へと進み、突き当たったら右折して北へと進みます。
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北上開始
40メートルほど進むと地蔵尊があります。
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地蔵尊の西沿いの道を北へと進むと左手に常栄寺があります。
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さらに北へと進むと左手に地蔵尊。
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北上し続けると左に大阪市立矢田東小学校が見えてきます。
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大阪市立矢田東小学校の東沿いの道を突き当たりまで北上すると、中臣須牟地神社の前に出ます。
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中臣須牟地神社の西側の道を北上します。
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左手に地蔵尊。
お地蔵様が多い街道です。
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少し北上すると右手に旧住道共同墓地があります。
住寺は「すんじ」と読みます。
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旧住道共同墓地を過ぎ、変則四つ辻を左折して西へと進みます。
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3つ目の辻に出る前の右角に法華寺があります。
熱心な信者さん?が参拝しておられました。
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法華寺の西沿いの道へと右折し北へ向かいます。
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北上し四つ目の交差点の右向こうに大阪市立矢田北小学校が見えてきます。
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長居公園通を横断
大阪市立矢田北小学校に沿って北上を続けると、通称『長居公園通』に出ます。
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長居公園通を北側へ横断し、左折して西へと向かい、2本目の辻を右折して北へと向かいます。
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ミモザ、枝垂れ梅、ヤマツバキ、ユキヤナギが咲くお宅がありました。よく手入れされていて美しさに癒されました。
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北上を続けると、地図上ではどのような道か想像しづらい場所へ出ますが、前進(北上)のため斜め右へと進みます。
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交差点の真ん中に立つと進むべき道が見えます。細い道を北東へ進みます。
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60メートルほど進むと子安地蔵尊が右側にあります。
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子安地蔵尊を背にして北上します。
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このまま北上すると突き当たりますが、子安地蔵尊から80メートルほど進むと、突き当たり手前左に住吉神社(湯里住吉神社)があります。
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住吉神社(湯里住吉神社)を左手に道路を横断して、突き当たりを左折して西を向き、1つ目の三叉路を右折して北へと向かいます。
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北上すると突き当るので左折し西へ。
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またすぐ突き当るので右折して北へ向かいます。
北上すると道が二股に分かれるので、地蔵尊のある左側の道へ進みます。
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北へと進むと右手に大阪市立南百済小学校があります。
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大阪市立南百済小学校を過ぎたあたりの左手に、妙栄寺があります。合掌
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百済大橋通の信号を渡り北上し道なりに進みます。
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中野鍼と針中野
百済大橋通の信号を渡ってから左三叉路の2つ目を左に曲がった右(北)側に、中野鍼があります。
地名が針中野となった由来の、鍼の中野さんです。
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元の道へと戻って少し北へ向かうと、右側に子安地蔵尊があります。
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数歩北へ進むと、左三叉路の角にはりみち•でんしゃのりばへの道標があります。
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はりみち•でんしゃのりばへの道標から、道なりに北東へと進みます。
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25メートルほど進んだ四つ辻。
左側、ポストの手前に鍼灸院道の道標があります。
下部が埋まっています…
はりみちとまで呼ばれていたとか、当時から鍼がかなり有名だった?庚申堂や四天王寺などへ向かう人や熊野詣で疲れた人が治療を受けたのかも?
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神仏習合の名残り2
道標のでんしゃのりば方向へと向かって北上を続けると右手に中井神社があります。
中井神社の北隣に佛願寺があります。
ここでも神仏習合の名残が残っているようです。
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南港通を横断
阪神高速14号松原線の下をくぐって、北上を続けます。
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北へと向かっていると右手に今川公園が見えてきます。この道は庚申街道ですが今は今川左岸通と呼ばれているようです。
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今川の桜は、まだ緑色の固い蕾でした。
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北上を続けていると『信号あり』の予告信号が見えてきます。
左斜め前(北西)に勧信寺が見えます。
三叉路を左折して西へ向かい、現在の北田辺橋通を進みます。
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近鉄(近畿日本鉄道)南大阪線の高架をくぐります。
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庚申街道(北田辺橋通)から北田辺駅へ向かう道の松虫通までが新道商店街となっています。果実店のおじさんが元気に呼び込みやっておられました。
新道商店街の中は居酒屋など夜に開く店が多いようです。が、新開店したらしき店ではこども食堂も行われているようです。
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新道商店街を松虫通まで抜けると北田辺一番街と呼ばれる商店街へと続きますが、
松虫通を左折すると、大きなクスノキが植わっています。
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北田辺は庚申街道が息づく街?
来た道を戻り庚申街道を西へと進むと、友愛センター北田辺が左手に見えてきます。
友愛センター北田辺の北向き外壁の西端(俳優記念碑の右奥)に庚申街道の表示があります。
田辺では『庚申街道』の称呼の保全に努めてる?
友愛センター北田辺の向かいの家の外壁は趣があり、
田邊
まちなみ
推奨建物
とされています。
田邊HOPEゾーン協議会と大阪市都市整備局が、町並みを保存しようとしてるのでしょうか?
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地蔵尊
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長居公園東筋を渡ってさらに西へと進みます。
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交差点を越えたすぐ右側にある数珠やさんの森田玉英堂さんにも庚申街道のプレート表示。
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犬矢来がある大阪市内の家を初めて見た‼︎かもしれません。
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阿倍野へ
JR阪和線の高架をくぐり、真北へと向かえる三叉路まで阪神高速14号松原線の高架に沿って進みます。
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藍野大学 大阪阿倍野キャンパス/明浄学院高等学校が右手に見えてきます。
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藍野大学 大阪阿倍野キャンパス/明浄学院高等学校の西側を北上し、突き当たりを左折します。
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阪神高速14号松原線の高架が左側に垂直(南西)に見えたら、右折し北北西へと進みます。
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道なりに進むと大阪府立工芸高等学校。
手前に大阪市立デザイン教育研究所があります。
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大阪府立工芸高等学校
美しい建物です。
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迷い
あびこ筋を西へと横断し、阿倍野消防署前の千秋通を西へと進んで、JR長居駅の西側を走る庚申街道と合流する辻調理師専門学校の東側の通りを北へと向かおうかとも考えたのですが、
阪神高速14号松原線の文の里出口のループの南側を庚申街道とする人もおられて、それだとJR長居駅の西側を走る庚申街道と合流する地点が辻調より南側になるし、
どれが正解なのか判断できず、大阪メトロ谷町線文の里駅の西側=阪神高速14号松原線文の里出口のループの南側を進んでみました。汗
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松崎町へ
北へ北へと進み、阿倍野消防署の前の千秋通を横断しようとする前です。
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辻調理師専門学校の東側の通りを北へと向かいます。地図にも庚申の文字がちらほら。
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庚申街道の名を後世に
近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の大阪阿部野橋駅の南側、大阪阿部野橋駅東口、5番出入口の松崎口です。
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松崎口のあるサンクンガーデンに庚申街道についての歴碑があります。
庚申街道歴碑
大阪府紙(明治三十六年刊)によれば、この道路には一貫した道路名はないが、明治三十一年頃に「庚申街道」の名称が成立するまでは、「葛井寺道」など様々な名称を持っていたといわれ庚申堂参りの道でもあった。その代表的経路は、起点を四天王寺南大門前から南へ庚申堂を過ぎ、現JR天王寺駅と近鉄阿倍野橋駅を横断して終点の現平野区長吉川辺町で古市街道と合流して終わっていた。現在「庚申街道」の名称が生きているのは、途中の桃ヶ池当たりまでのもので、それ以降は、区画整理事業、道路拡幅などもあって時の移り変りとともに「庚申街道」と称したという記憶をもつ人も少なくなってきたようである。
昭和五十二年、大阪都市計画事業近鉄南大阪線連続立体交差事業により、踏み切りでの交通事故や交通渋滞といった交通問題を解決することを目的として、新しく都市計画道路阿倍野松崎線が設けられ、踏み切り道は廃止された。また庚申街道は、東地下駅コンコース広場として生まれ変り、南北連絡の地下通路として線路をまたぐ南と北の両地域を結ぶことになった。
一方、大阪市・近畿日本鉄道株式会社・庚申街道を守る会など関係者の間で地域将来の発展のための改良計画について協議が重ねられた。
その結果、緑豊かなサンクンガーデンの松崎口・阿倍野橋駅東地下鉄駅・庚申口が設けられ、JR・地下鉄との乗り換え・連絡が便利になり、この界隈も大きく変貌を見せた。
ここにこの地域の変遷を偲ぶ縁として、多大の努力を傾けた関係者共々暦碑として残すこととなった。
昭和六十三年十一月吉日
庚申街道を守る会
菊池正雄
鈴木幸枝
竹中光二
宮崎隆三
柳本榮一
吉野重光
(五十音順)
大阪市建設局
近畿日本鉄道株式会社
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『南と北の両地域を結ぶ』と碑にあるように、徒歩等による階段・エスカレーター・エレベーターの他に、緩やかな階段の両端に自転車用のレールが敷かれていて、駅の南北を往来できるようになっています。
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今回は大阪阿部野橋駅松崎口から地下へと潜り、同駅庚申口から地上へと移りました。
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庚申口から地上へ出て、大阪阿部野橋駅東口の北側へと抜けました。
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あびこ筋を横断
庚申口を背にして、あびこ筋を北へと横断します。
あびこ筋を横断したら、高架とトンネルを利用して北へと進みます。
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なるだけ最短距離をとりたいところですが、疲れてきたので帰りの余力も考えて地下道の階段はやめました。
JRの高架下、トンネルを抜けた最初の辻を左折します。
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道なりに進んで北を目指します。
拡大した地図上に四天王寺庚申堂があらわれてきました。
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最後の通り 南門筋へ
玉造筋を北へ横断して左折して西を向き、1本目の道を右折して、日本年金機構天王寺年金事務所の西沿いの道=南門筋を北へと進みます。
南門筋の南門は四天王寺南大門のこと。
庚申堂は南大門より南側にあるので、もう直ぐ到着です。
出発時には9度だった気温が15度まで上がり、ずっと動いているので体もポカポカです。
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ずいぶんと長くなってしまいましたが、続きは『庚申街道を通って庚申参り.2』へ。