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影のように寄り添う君は いつもそばにいるのに、 僕は顔を上げるたびに目をそらしてしまう。 見えないふりをして、 繕う笑顔を武器にして、 「邪魔だ」と君を見ようともしなかった。 それでも君はずっとそばにいて、 ひっそりとそこにいて、 僕が進むたびに足跡を埋めてくれた。 悲しみの波が押し寄せた夜、 君は小さな舟になり、 僕を静かな岸へ運んでくれた。 怒りに身を焦がした昼、 君は盾となり、 僕を守ってくれた。 孤独に泣いた朝、 君は静かに寄り添い、 涙を拭く風となった。
あなたと同じ月を見つめて あなたへの想いを馳せる 君と同じ月を見つめて 君への想いを馳せる 何も変えられぬ我が身を嘆いて それでも未来を諦められず また月を見ては あなたを想う 君を想う
おしゃべりが好きだ。 近ごろは家と職場の往復で、誰とも話さない廃人のような生活が続いていた。けど今週はひさびさに、たくさん話をしてくれる人がいた。うれしかった。やっぱり人と話をすることは楽しい。”いつもの自分”ってこんな感じだったなと、ハッとするような心地もした。 相手の考えていることや生活のできごとを聞くことが好き。相手のことを知りたいと思う。 お互いに似た者同士だとしても、見えている世界は違う。話し合うということは、そんなお互いの言葉を積みあって、会話を作り上げていくこ
じぶんのやりたいことや方向性が見えない? 焦らなくて大丈夫です。 今から2つの問いに答えてみてくださいね。 紙に答えを書き出しながら進めるのがおススメですよ。 では、いきます。 1つ目。 1年前のじぶんであれば、たとえじぶんのことであっても他人事のように客観視できるはずです。客観視できることで、割と的確なことを言ってあげられるでしょう。 1年前をうまく思い出せないなら、スマホの写真アプリで1年前の写真を眺めましょう。あの時のじぶんや身の回りのモノゴトの画像が、思い出
生活の中でムカついたこと、イヤだったこと、テンションの下がること。 心にためるのではなく、大いにノートに書き殴りましょう。 ノートは、ポジティブなことやキラキラしたことばかりを書く道具ではありませんからね。 誰にも見せないことを前提に、たとえば 「◯◯、ムカつく」 いやいやもっとデカ文字で。 「◯◯ムカつく!はらわた煮えくりじゃ!」 いいですね〜、誤字脱字もおかまいなし。 そんな感じで本心から言いたいこと、思ったことをノートに思いっきり吐き出してみるのです。 それ
noteに投稿を始めて2年ぐらいが経つけど、最近になってようやく慣れてきた実感がある。 2,3年前は、誰かに自分の言葉を見せることも怖かったし、自分の言葉に見える形で評価がつくことも凄く怖かった。 今も確かにその怖さはあるけど、それ以上に自分を言葉で残しておきたいっていう想いが強くあって...もっと言うと、言葉を通して誰かと分かり合いたいと願っている。 これを読んでくれているあなたとも言葉で繋がってみたいし、外面を気にせずに内面で直接繋がってみたい。 それに...言葉
母国が日本でよかったのかはよくわからないけど、母国語が日本語でよかった、とは思う。 英語や他の国の言語も学んだこともあるし、今も学んでいる。けれど、かすかな心の機微や相手を推し量るということを、細やかに捉えることができるということに関しては、日本語ほど緻密な言語はないと感じる。 少なくとも、私の英語の話力では自分の気持ちや伝えたいことをほとんど伝えることができない。もちろん、英語が上手ではないことが大きな要因の1つだ。そのうえで、英語という言語体系のバックグラウンド、とで
見えないものを扱うのは本当に一筋縄ではいかない。どうしようもなく、自分の内側からやって来たものに溺れそうなとき、人は必ず自分のことを外側から見られない。 どんな人間にも存在していて、とても身近な見えないもの=「心」について理解しようとする時 人はどういったことを思いつくだろうか。 「善い心」というものの、大まかな概念や知識を教育という過程の中でインプットして来た我々は「人に喜んでもらうこと」や「人に迷惑をかけないこと」を提唱されて来たように思う。 さらには、「人のためなるこ