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男は、いまにも雨粒が降ってきそうな雲のした、湿った空気がぎっしり詰まった隙間をかき分けるようにして、ゆるい上り坂を登っていた。動くと滲んでくる汗をハンカチで拭いつつ、坂の上の建物の前まで来ると、立ち止まって、来た道をふり返った。 あとにしてきた街が、重そうな雨雲の下で、どの建物も似たような灰色に染まり、陰鬱にうずくまっている。 男は建物のほうに向き直った。ドアの前に小さな看板がある。 「薄墨亭」 彼は年季の入ったドアの前でほっとため息をつく。喉が渇いてはりつきそうだ
眠れない夜に おじいさんは 絵本を開きました おじいさんは 眠れない夜があると きまってこの絵本を開くのでした むかしむかし おじいさんがまだ ほんの子どもだったころ おかあさんが読んで聞かせてくれた本 ぼろぼろの本は 今ではバラバラになって もう本とはよべないかもしれないけれど おじいさんはページをそっとめくります めくる手はしわくちゃで 震えを止めることができません その夜 おじいさんは この絵本の23ページの世界で 永遠に暮らすことができたら どんなに素敵だろう