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生きる。
人は、なぜ生きるのだろうか。
人は、どうして生まれたのか。
人が生きているとはなんなのか。
最近、よく考える。
しかし、このような哲学的問はいくらでもでてくる。
そこで今回は、「人が生きているとはどういう状況のことを言うのか」について考えていきたい。
その言葉をそのまま受け取るのであれば、「心臓が動いている状況」となる。
果たして、「心臓が動いている」という物事だけで人が生きていると言えるのだろうか。
私は、違うと考える。
全世界の既知の総種数は約175万種いるうち、ほんのひと握りの生物にだけ与えられたもの
それは、「感情」である。
人は喜怒哀楽の感情や言語を使ってコミュニケーションを取る。
時には、歌やダンス 様々な表現方法によってお互いの意志を読み取り会話を行います。
私は、生きているとは、人間らしさ つまり、人間に与えられた能力を、存分に発揮できている状況の事を指すと考える。
生まれ、大きな産声をあげ
小学生、友達と公園で泥だらけになりながら遊び
中学生、様々な自我が芽生え
高校生、恋に目ざめる
社会人、仕事に明け暮れ週末には居酒屋で一杯
退職、年老い、やがて死ぬ。
こうみるととても、短い一生である。
しかし、この短い一生に何を詰め込むかが大切なのだ。
周りに何も考えずただ単に仕事、勉強に打ち込んでいる人間はいないだろうか。
そんな人生楽しいわけが無い。
そんなの死んでいると言っても過言ではない。
だが、幸いな事に心臓が止まっているわけではないのだから、まだ生き返ることができる。
仕事がつまらない、勉強がだるい、やりたくない。気持ちは、とてもわかる。
かつての私もそうだった。
しかし、そんな生活の中に1つ、1つでいいから楽しさ、楽しみを見つけることができれば大きく変わると思う。
私の場合、食事であった。
今日のお昼はなににしようか。
夜は、あれを作ろう。
楽しさを見つけることで、表情、仕草などに感情が現れ、いままでつまらさなそうな人間に思われてた人も明るい人間に生まれ変わることができるのである。
いつしか、忘れていた幼心を思い出し思いっきり遊ぶのもいいのかもしれない。
そして、死んでいた人間も生き返るのである。
周りにつまらなそうにしている人間、人間らしさが無くなってしまっている人がいたら教えてあげて欲しい。
そして、あなたがその人の命を吹き返してあげてもらいたい。
あなたは、生きているんだよと。