路線バスのキャッシュレス対応
首都圏の路線バスではPASMO・Suicaが広く普及していますし、関西ではPiTaPaやICOCAが普及していて、それらは相互利用できます。一方で、阪急・阪神バスの「hanica」など、地域限定のバスICカードも存在しています。
阪急・阪神バスではICOCA等の交通系ICカードに対応しつつhanicaも発行していますが、バス事業者がわざわざ地域限定のICカードを発行する理由のひとつに、回数券替わりの利用特典(プレミア、ポイントなど)を付ける例があります。「hanica」はチャージする際に8%の「プレミア」が付き、定期券情報も付加できます。従来の全国利用できる交通系ICカードだとそれが難しかったので(※)、わざわざ全国交通系ICカードとは別に地域独自のICカードを発行しているわけです。
※前に書きましたが、全国交通系ICカードに独自の機能を追加するのは難しいのです。PASMO・Suicaに「バス特」を付けていた事例はありますが例外的です。
近年は東日本エリアでJR東日本の「地域連携ICカード」の導入が進んでいることは以前の記事で触れました。これはSuicaをベースに地域独自のポイント等の仕組みを付加しているので、これを導入すると地域独自のサービスを展開できて、さらにSuica等の全国交通系ICカード(いわゆる10カード)も使える、両者のいいとこ取りができる利点があります。
大都市圏ではICカード化が一巡しましたが、ここにきて地方都市で独自のICカードや他のキャッシュレス決済の導入が進んでいます。その一環でクレカタッチ決済も地方都市から導入されつつあります。今回はそんな話をしてみたいと思います。
バスカードの普及
路線バスは大都市圏(東京都23区、川崎、横浜など)とコミュニティバス等で均一運賃制がありますが、多くの路線では区間制運賃が採用されていて、整理券を取って乗車し、降車時は車内の運賃表示器を確認して、整理券と現金を運賃箱に投入する方式が多いです。しかし降りる間際まで運賃がわからず、さらに降車時に小銭の扱いに時間と手間がかかる嫌いがありました。
かつて現金onlyだった時代に登場した磁気式バスカードは、乗る時と降りる時に専用の機器を通すことで、煩わしい運賃照合と小銭の扱いから解放され、乗降にかかる時間も短縮できるため、広く普及した経緯があります。
バスカードの販売額に「プレミア」を付けて回数券替わりにする運用も多く見られ、現金と紙の回数券を置き換える手段としても活用されていました。公衆電話のテレホンカードなどと同様、キャッシュレス化の先駆け的存在とも言えます。
しかし大手の鉄道・バス会社が順次ICカードに切り替わり、磁気式プリペイドカードの利用が減ったことで機器類の維持が困難になって、さらに2021年の新500円硬貨、2024年の新紙幣の登場により運賃箱の更新も不可避になって、新紙幣登場のタイミングに合わせて新しい決済システムへと更新される事例が多いようです。
磁気式バスカードからICカードへ
首都圏では交通系ICカード「PASMO」が広く普及していますが、かつては磁気式の「バス共通カード」が広く使われていました。1998年に導入された神奈川県の「神奈中バスカード」が始まりで、同様の磁気式プリペイドカードが神奈川県内の横浜市営バスなどでも導入されるようになって「バス共通カード」にリニューアル。さらに東京都などにも拡大して広く使われるようになりました。「バス共通カード」は1,000円券が1,100円まで、3,000円券が3,360円まで、5,000円券が5,850円まで使える「プレミア」付きで、回数券の替わりとしても機能していました。
首都圏では鉄道で磁気式「イオカード」や「パスネット」がSuica・PASMOに移行したのと同様、「バス共通カード」も2007年から段階的にPASMOに移行し、2010年までに順次終了しましたが、当初PASMOはSuica互換を基本としながら「パスネット」と「バス共通カード」の機能を併せ持つよう開発された経緯があって、「プレミア」の代替となる「バス特」機能が付加されました(後に廃止されてしまいましたが)。
関西の私鉄・バスでは1996年から磁気式「スルッとKANSAI」が普及して、2017年頃まで20年ほど使われました。関西でもICカード「PiTaPa」が2006年に導入されていますが、磁気カードもすぐに打ち切られず、その後も10年ほど併存していました。関西の加盟私鉄・バスが乗り放題になる旅行者向け2day・3dayカードもあったりして、便利に活用していた覚えがある人もいるかと思います。
他の地域でも、例えば福島県の福島交通では磁気カードを置き換える形で2010年に独自のICカード「NORUCA」を導入しています。「NORUCA」はチャージの際に10%の「プレミア」が付く(※)ようになっていて、回数券の替わりとしても使えるようになっています。
※特定日のみ使える割増チャージ(エコ回数券)も設定されています。会津バスとの共通利用やクレカオートチャージ対応(予定)に合わせて、基本のプレミア率は6%に改定予定(エコ回数券は共通利用対象外)。
早い所では香川県の琴電で2005年にFeliCaベースの「IruCa」が導入されていて、ことでん(電車)、路線バスとフェリーで利用できます。
(以前は高松市のレンタサイクルでも利用できましたが、HELLO CYCLING への移行に伴い旧システムは2022年3月で終了しました。)
琴電では機器がFeliCaベースの特徴を活かして、Suica等の全国交通系ICカードも利用できるようになっています(IruCaは他の地域では使えません)。さらに自治体と連携して公共交通利用促進に活用する、高齢者パス(ゴールドIruCa)を提供するなど、先進的です。
一方、首都圏では概ね10年程度で役目を終えた磁気式プリペイドカードですが、地方によっては長く使われていました。例えば岩手県では、岩手県交通と岩手県北バスの2社が磁気カードを導入していて、かつては共通利用もできましたが、共通利用は2010年3月までで終了し、以降各社独自の磁気カードとして長らく運用されていました。
地域連携ICカード
しかし機器類の老朽化に伴い、近年はICカードへの切り替えが順次進められています。両社ともJR東日本の地域連携ICカードを導入しており、岩手県交通では2021年より「Iwate Green Pass」が、岩手県北バスでは2022年より「iGUCA」が導入されて、順次切り替えられています。
福島県浜通りの新常磐交通も磁気式バスカードを提供していましたが、2024年5月より地域連携ICカード「LOCOCA」を導入し、磁気式バスカードは2024年9月までで終了しました。
JR東の地域連携ICカードを導入することで、バス事業者は回数券替わりになる乗車ポイント等を付けることができ、さらに接続するJRで使われているSuicaと共通利用できて、乗客は1枚のカードでバスにも電車にも乗れ、Suica加盟店で買い物もできる利便性を享受できます。
観光・帰省・ビジネス等の来街者にとっては、普段使っているSuica・PASMO等で地方のバスにも乗れるようになります(この場合は独自ポイント等の特典は対象外)。モバイルSuica等もそのまま使えますし、駅の券売機やコンビニATMなどでチャージできる既存のエコシステムに乗っかることもできます。
もちろん導入コストはかかりますが、地方交通事業者が導入できるようシステム価格が抑えられているので、首都圏のPASMOなどより安価に導入できることも魅力になっています。
こうした特長があって、新紙幣対応と磁気式バスカードの更新に悩む地方のバス事業者が続々と採用しているわけです。
TicketQR
変わったところでは、独自のQRコード決済を導入した地域があります。
PayPay等の汎用コード決済が路線バスで使える事例はありますが、この場合は支払い手段を置き換えただけなので、乗車時に整理券を取り、降車時に運賃表を見て運賃を手入力して乗務員に見せて支払う手間がかかります。小銭が不要になるメリットはあるので観光地のあまり混まない路線では良いですが、スムースな乗降にはあまり寄与しません。
これを覆すのが、長野県の地場企業が開発した「TicketQR」。これが良く出来ていて、路線バスや鉄道の三角運賃表に対応しており、乗車時と降車時にQRコードを読取機にかざすだけで運賃が自動計算されてクレカ等に請求される仕組みになっています。
要はABT (Account Based Ticketing) で、車上機器はGPS等の位置情報を使って位置と乗降履歴を記録しているだけなので、Suica等と比べて車上機器は簡素にでき、運賃計算の自由度が高く、独自のチケット発行も柔軟にできます。以前紹介したQ-moveの先行事例とも言えそうです。
整理券は不要で、乗降時にアプリのQRコードを車載機器に読み込ませます。乗車するとアプリに乗車バス停(や駅)が表示され、乗降記録は即時アプリで確認できるので、いくら払ったかわかりにくいクレカタッチ決済よりも安心感があります。弱点は、通信回線が圏外になると使えません。
長野県上田市が全面採用していて、2020年より上田市内を走る路線バス(上田バス、千曲バス、東信観光バス)と上田電鉄別所線(2021年5月~)に導入され、上田市営の日帰り温泉「あいそめの湯」などでも使えます。さらに近隣の佐久市や松本市などにも拡大しています。
これらの導入地域ではひとつのQRコード(アプリ)で共通利用できますが、事業者毎にプレミア付きチャージを設定できるようになっていて、チャージはアプリで購入できますし(支払いはクレジットカード)、スマートフォンを使っていない人向けに現地の案内窓口等で紙券(QRコード付き)を販売できるようにもなっています(プレミアの設定と紙券の販売は事業者毎の判断)。
独自のICカード
福島交通では前述の通り2010年に「NORUCA」が導入されていますが、2024年には同じ「みちのりホールディングス」グループの会津バスでもNORUCA互換の「AIZU NORUCA」が導入されました。FeliCaベースのようですが独自のカードで、交通系ICカードとの互換性はありません。
「みちのりホールディングス」グループの岩手県北バスでは前述のようにSuica互換の地域連携ICカード「iGUCA」を導入しましたが、同グループの会津バスでは別途独自の「AIZU NORUCA」を導入し、地域により対応が分かれた格好です。
福島交通と会津バスでは合わせて計500台の一般路線バス全車両に一斉導入されていて圧巻です(高速バスと自治体委託のコミュニティバス路線は対象外)。
会津バスは磁気カードも導入しておらず、ずっと現金only(回数券は紙)でした。そこに突然、マルチ決済端末が導入されて、ちょっとしたリープフロッグ現象が起きています。そんな過渡期にある今は、現場では混乱も起きているようで、導入スケジュールが度々延期される事態もありました。
隣接する福島交通が「NORUCA」を導入していたこともあるのでしょうが、会津バスでは純新規なのだから、岩手県北バスのような地域連携ICカードを導入すればいいのにという気もします。後述しますが会津バスは首都圏などからの観光客も多く利用します。Suicaベースの地域連携ICカードならば、首都圏や仙台圏(福島・郡山を含む)で使われているSuica・PASMOがそのまま使えるメリットがあるからです。
しかし福島交通と会津バスではクレカタッチや各種Payアプリにも対応する新しい運賃箱を全社一斉に導入しました。
「AIZU NORUCA」はチャージの際に6%の「プレミア」が加算され、回数券の替わりにもなります(従来の紙の回数券は販売終了)。もちろん定期券も付加できます。
「AIZU NORUCA」へのチャージは今のところ車内(または駅前案内所)にて現金のみですが、今後はクレジットカードを使ったオートチャージにも対応予定だそうです。会津バスには1乗車あたり数千円の長距離路線もあって(後述)、筆者も毎回数千円チャージしています。新しい運賃箱は高額紙幣にも対応していますが、オートチャージになれば一層便利になりますね。
クレカタッチ決済
会津バスは会津若松市を中心に福島県会津地方の広範囲に路線を持っています(かつては只見町などにも路線を持っていました)。
会津若松市街のまちなか周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」などの短距離均一制区間もありますが、数十kmにわたる長距離路線もあります。
さすがに全長169.9㎞、整理券番号109まである日本一長い奈良交通の八木新宮線(※)には及びませんが、会津バスには会津鉄道の会津田島駅(2024年9月までは会津高原尾瀬口駅)から山奥の秘境・尾瀬沼山峠までの約70kmを2時間20分かけて走る檜枝岐線もあったりします。
※余談ですが、奈良交通はFeliCa系のICカード「CI-CA」を導入していて、全国交通系ICカードも使えます。
檜枝岐線の運賃は38区間、180円~2,620円。しかも尾瀬シーズン中は首都圏などから尾瀬に行く乗客が多く乗車します。現金払いに慣れている地元の人と違い、首都圏ではSuica・PASMOが当たり前なので、ちょっとした混乱も起こるわけです。
その尾瀬帰りの乗客がずらっと並んで2,620円などを現金で支払っているものだから、降車にはとても時間がかかります。
全車両の運賃箱の更新が完了した後、2024年7月27日に独自のICカード「AIZU NORUCA」が導入されて、紙の回数券(販売終了)の替わりとしてチャージする際に6%分が増額(プレミア)されます。カード購入に500円(※)かかりますが、筆者は会津へよく出かけるので早速購入して使っています。
※無記名カードはバス車内で買えます。カード新規発行時は現金で2,000円支払い、うち500円はカード代金(デポジット)で、残りはチャージされて6%増額され1,590円分使えます。
とはいえ、観光客などが特定の地域でしか使えないICカードをわざわざ買うのは負担になります。そこで会津バスでは2024年9月11日よりクレカタッチ決済にも対応しました。
タッチ決済対応のマークが付いているクレジットカードが利用できます(Mastercardには2024年10月17日以降順次対応予定)。今は各社ともタッチ決済対応カードに順次切り替えているので(Suica・PASMO等の一体型を除く)、多くのカードが対応していると思いますし、未対応カードは次回更新時に対応するのではと思います。手持ちのクレカ券面を見てみてください。
片道運賃が2,620円(尾瀬沼山峠)や2,340円(尾瀬御池)などですから、現金で払うのは面倒。観光客にはクレカタッチが便利でしょう。実際、早くも多くの乗客に利用されていて好評のようです。
さらに各種Payアプリにも対応(予定)
さらに2024年10月予定から延期されているものの、各種Payアプリ(PayPay、楽天ペイ、d払い、メルペイ、au PAY、J-Coin Pay、Alipay、WeChat Pay)とWAON、nanacoにも対応予定。
タッチ決済と違ってコード決済とWAON・nanacoでは乗車時に整理券を取る必要があるものの、運賃額の手入力は不要の(運賃箱が整理券を読み取って自動で運賃計算され、乗務員への提示も不要の)新方式が採用されるようです。高速バスではありましたが、一般路線バスの全路線に導入される例は珍しい。しかも追加機器がゴチャゴチャ付いておらず1つで全てに対応しているのも、乗務員さんの負担を軽減できて良いと思います。今後これが当たり前になるかどうかは、福島交通や会津バスでの成否にかかっているのかもしれません(笑)。
もっとも整理券不要で2回タッチするだけのクレカタッチ決済の方が便利だとは思いますが、クレカは後で請求が来るのが嫌という人もいるので(翌日以降Q-moveにログインして確認できます)、その場で支払額が判る各種電子マネーにも対応するのは良いと思います。
ただしSuicaは使えない
しかしFeliCa系のWAON、nanacoが使えるのに、Suica等の交通系ICカードが使えない(予定)とは皮肉ですが、元祖JR東日本も自社の只見線などにSuicaを導入していないありさまで、一方で会津地方に多数出店している食品スーパー「ヨークベニマル」ではnanaco(とクレカ)のみが使えるので、会津ではSuicaよりもnanacoの方が使われているのでしょう(コンビニチェーンと観光客向けの店ではSuicaも使えます)。
地方のバス会社が「地域連携ICカード」を導入する利点のひとつに、Suicaの既存エコシステムに相乗りできることは前述しました。会津バスの沿線では会津若松駅など一部で限定的にSuicaが導入されているものの、JR只見線や会津鉄道ではSuicaが全く使えないので、駅でチャージできるといったエコシステムのメリットが得られないこともあったのだと推察されます。
JR東日本は「Suicaの共通基盤化」を掲げて中核事業に育てようとしていますが、その足元で起きている沿線バス会社のSuica離れは、これまで地方ローカル線に投資せずにきたJR東の怠慢が招いた事態とも言えそうです。
それはさておき、これまで現金onlyだった会津バスで独自ICカードに加えてクレカタッチ決済や各種コード決済も使える(ようになる予定)ということで(※)、ちょっとしたリープフロッグ現象が起きようとしています。
※ただし各種Payアプリは通信回線がないと使えませんが、会津バス檜枝岐線の尾瀬御池や尾瀬沼山峠ではソフトバンクが使えないので、ソフトバンクの人はPayPayを使えません。これも皮肉ですね(苦笑)。
ただ、この新システムはトラブルが多いとかで現場ではちょっと不評だと聞いていますが(^^;、きっと来年の尾瀬シーズン(例年5月後半以降)には使えるようになっているのではと思います。興味がある人は会津・尾瀬や飯坂温泉へ出かけて新しいキャッシュレス乗車を試してみてくださいね。