事故物件専門調査員桑津の管理ファイル【とあるマンションの話 ④】
新町ローズタワー。
中堅どころのデベロッパーが建設をし、去年竣工されたタワーマンションだ。
オートロックの玄関を抜けると、タワマンらしくロビーは豪華なものだった。
コンパクトながらゲーテッドガーデンも拵えられており、今はチューリップやネモフィラなどが華やかに咲いていて、来客者の目を楽しませてくれている。
「こちらが低層階用のエレベーターです。」
藤原さんが案内をしてくれる。
売買時の案内なら下見をしっかりして、位置関係や施設の内容を暗記して臨むが、今回はお客さんである。藤原さんの心地よいエスコートに身をゆだねる。
「で、桑津さん。
い、今までのところはどうでしょうか。」
「どうって。とてもいいタワマンですね。
どこか、高層階に部屋空いてません?」
「いえ、そういう意味ではなく。」
「そうでしたそうでした。
今のところ、異変は感じられません。
ロビーにも、このエレベーターにも。」
それを聞いた藤原さんは安堵のため息をついた。
この瞬間、「わっ!出た!」とか言ったら温厚な藤原さんでもキレるんかなと思いつつ、やめておいた。あくまでもこれはお仕事なのだから。
漏れ出る悪意が顔から漏れるのを必死で抑えながらいると、6階に着いた。
最新のエレベーターは音も静かで速い。
「こちらです。」
藤原さんにそう言われる前に、俺は歩き出した。
突き当りを右に、内廊下を進んで、一番奥の角部屋のドアまで行ったあとで、
「藤原さん、鍵をお願いします。」
と。
「え、このフロアの図面、全部把握してきたんですか?!」
藤原さんはびっくりしていたが、そうではない。
「いや、なんかそんな感じがしたので。」
と流した。
実は6階に下りた瞬間から、引っ張られた感じだ。この部屋に。
「呼ばれてますよ、6階に着いてから。」
っていってもよかったけど、藤原さんの残りHPはもう0よ!の状態にするのはあまり得策ではないからね。
藤原さんはドア前でちょっとまごつきながら、タッチレスキーでドアを開けてくれた。
室内から上品な香の匂いがして鼻腔をくすぐる。
マダムの趣味だろうか。
「では、行きましょう。
ちょっとお邪魔しますねー。」
俺は誰にと言わず、玄関で挨拶をしてから中に入った。
室内は子どもがいる家庭とは思えないほど綺麗にものが片づけられていた。
マダムの性格か、リョータくんのお行儀がいいのか。
うちのチビらも見習ってほしい。
それにしても長期間、部屋を空けている感じはしない。空気も澄んでいる。
「Sさんからご要請を受けて、共用部の
清掃の際にお部屋に入って、
空気の入れ替えをしております。
本来、そんなサービスなどしないのですが、
今回は事情が事情ですからね。」
なるほど。それで淀んだ感じがしなかったのか。
普通なら封水も切れて、えげつないことになる。
「では1週間に一度は誰かが入っているの
ですね。
その際に『目撃』はなかったのでしょうか。」
「はい、管理人にはもちろんこの件を
伝えています。
彼は霊感もないので、誰も見てはいないと。
ただ・・」
「ただ?」
「空気の入れ替えのために、窓を開けようと
したところ、どうしても開かなかった
そうです。
窓自体に問題がある、とかそういった感じで
はなかったそうで、例えるなら、
開けようとしても、『開けることができる』
というイメージがわかなかったそうで。」
「なるほど。やはり、ベランダ、か。」
「まぁ、24時間換気は付いていますし、管理の
上で特に支障はないのですが、
管理人はお部屋にお邪魔した際は、
キッチンの換気扇をしばらくつけっぱなしに
することで対応しているそうです。」
そう言われると、ブーンというファンの音がしている。
我々が入ることを知らせていたのか、管理人が先につけていてくれたのだろう。
「さて、と。
やはり室内ではないですね。
ベランダに出ましょう。」
そう宣言してベランダに向かっていき、カーテンをぱっと押し開いた。
その瞬間、突然太陽の光が目に入ってきたせいか、目が眩んでしまった。
しばらくして視界が元に戻ったが、次に視線をベランダに戻した時には、そこに彼がいた。
窓ガラスを隔てた向こう側、ベランダの上に立ちすくむ男性。
作業着を着ている。年は30代くらいか。Sさんの証言通り下を向いている。
「大丈夫ですか、桑津さん。
ちょっと窓を開けてみますね・・
あれ、やっぱり開かないな。
クレセントの部分がおかしいのかな・・」
藤原さんが窓のクレセント錠と格闘している間、俺は現れた彼の特徴をしっかりと観察していた。
彼らはずっとそこに居てくれるものではなく、またすぅっと消えるものだからである。
まず第一印象としては、ぶっきらぼうな感じの肉体労働者、という感じだ。
無精髭をそのままにしている。
普段も無口なタイプで感情は出さない方だったのかもしれない。
ただこちらに悪意はまったく感じられない。
窓の前で四苦八苦している藤原さんを見ている感じはするが、それ以上何か彼に危害を加えようとする感じには視えなかった。
「どうしました、桑津さん。
すいません。やっぱ開きませんね。
ベランダ、ご覧になりたいんですよね。
どうしましょうか、業者呼びますか?」
藤原さんの問いにも答えず、俺はじっと彼を視続けた。
彼はベランダのある部分に立って、じっとしている。
下を気にしているようだ。
ただ、彼の立ち方に妙な違和感を感じた。
なんなんだろう、この違和感は。
立っている様がちょっとこう、アンバランスなのだ。
しかもよく見ると身体が少し揺れている。
じっとしていると言ったが、ゆっくりと呼吸に合わせて揺れているように見える。
そして、さらに目を凝らしてみると、太陽の光の影になっている部分が視えた。
そしてようやく、俺の違和感の正体が判明した。
彼には右腕から先がなかったのだ。
肘から先の部分がない。そして、その部分の作業着が赤く濡れている!
それに気づいた俺は思わず、あまりにも生々しくちぎれた右腕を目の当たりにし、うっ、と唸ってしまった。
視えるといっても、ホラーにもスプラッタにも耐性があるわけではない。
その時ようやく、藤原さんは俺が何をしているか感づいたらしく、
「って、桑津さん・・どこを見てるんですか。
ま、まさか。」
「ええ、窓ガラス一枚隔てて、立ってますよ、
そこに。」
「ひえええええ!!
先に言ってくださいよぉぉぉ。
もう嫌だぁ、なんで僕の担当物件
ばっかり・・」
藤原さんは我慢の限界が来たらしく、その場にへたり込んでしまった。
正確に言うと腰が抜けたのかもしれない。
俺は藤原さんを優しくひきずって、窓から離してあげてから、こう言った。
「ちょっと交代しましょう。
次は俺がやってみます。」
過去にもこんなことがあった。
練炭自殺でクローズになっていた一戸建の借家を調査した際、俺は「開くはずがない鍵」でドアを開け、中に入ったことがある。
何言ってんのかわかんないと思うのだが、そういう経験をしてしまったら、そういうこともあるんだ、としか言いようがないし、実際開くはずのない鍵で、ドアは開いた。
今回は逆のケースだ。
故障もなく開くべきなのに開かない。
ただやることは同じである。
普通にやっても無理だ。
そういう時はあまりしたくないのだが、「視える人」に対して「交流」を持ちかける。
「こんにちは、お兄さん。
死んだ後もご苦労さんです。
ここ、見張ってくれてるんでしょう?
しかも、そんな怪我までして。
何かあるんですよね。
俺は大丈夫だし、そこには立たないから、
ちょっとだけ、これ、悪さするの、
やめてもらえるかな?」
気さくに声をかける。
ただ、目は合わせない。
「絶対に目は合わせてはいけない。」
これはみなさん、守ってほしい。
もし仮に俺の話を読んで「視えてしまった」としても、目を合わすのだけはやめてほしい。
その後の保証ができないからだ。
「くくく、桑津さん!
こっちから干渉したらダメなんですよね!
そう言ってましたよね!!
勘違いでなければ、い、いま、
話しかけちゃってませんかねぇ!!」
フローリングの床にへたり込んだまま、藤原さんが素っ頓狂な声をあげて俺に抗議している。
「藤原さん、ちゃんと覚えていてくれてて
うれしいですよ。
もしもの時は俺の跡を継いでくださいね。
ただね、高校の時、英文で習うたんですが、
『There is no rule but has exceptions.』
言いましてね。」
「ゼアリズ ア ノールール?
ど、どういう意味ですか?」
「例外のないルールはない、っていうこと
ですわ。
さぁ、兄ちゃん、ちょっと開けるで!
心配せんとそこでじっとしとけ!!」
そう宣言してから、俺はクレセント錠を力いっぱい回した。
少しの抵抗があったが、その割には音もなく、クレセント錠はくるんと回った。
そうして俺は久しく開けられてなかった窓を開放した。
「開いた!!桑津先生、さすがです!」
出た、桑津先生!
藤原さんは半泣きの顔で俺を見ている。
だから俺は霊媒師でも何でもないってば。
「6階からだけど、良い眺めですよね。
これは閉めっぱなしはもったいないわ。」
開け放たれた窓から見る景色は、タワマンにしては低層階の6階ながら、前方に遮蔽物がないため、近くに流れる川に太陽が反射してキラキラ流れる様や、下流に向かって帆を進める船の様子など、ベランダに椅子を置いて、そこで珈琲を飲みながら一日過ごしたいなと思えるほどのものだった。
しかし、彼との約束がある。
「彼が立っているそこには立たない」と約束した。
それは違えるわけにはいかない。
言の葉は他を縛るにあらず、自らを縛るものなり。
誰が言ったか忘れたが、言ったことは守ろう。
彼も鍵を開けてくれたのだから。
一言御礼を言おうと、彼がいた場所に視線を戻したが、その時にはもう太陽の光の中に消えてしまっていた。
「さて、目的も果たせたので、おいとま
しましょうか。」
そう藤原さんに声をかけながら、その場を去ろうとした。
すると、藤原さんは、
「はい、すぐに出ましょう!
なんまんだぶなんまんだぶ!!
お邪魔しましたー!!!!」
フローリングの床を四つん這いで走りながら、すぐさま私を追い越して部屋の外へ出ていった。
いやいや、ビビりすぎやて。苦笑
右腕、なかったし、なんならアレ、ちぎれてたで、って藤原さんに伝えん方がいいんかなぁ。
そう思いながら、窓の方に向きなおして、手を合わせて一礼してから、俺はSさんのお部屋を後にした。
彼はどうしてベランダにいるのか。
あの腕はいったいなぜ?
いつからああなってしまったのか。
この部屋に来て、一歩進んだ気もするが如何せんまだ情報のピースが少ない。
ただ、俺の仮説が正しければこれはちょっと考えていた以上に大事になりそうな予感がしてきていた。
部屋を出てエレベーターに乗り、ロビーまで帰ってきたときに、藤原さんの携帯が鳴った。
「はい、〇〇管理の藤原です。
あ、はい、あのマンションの件で。
すみません、お手数をお掛けしまして。
当時の工事担当者の方からのヒアリングが
終わった?
そうでしたか、えっ!そんなことが
あったのですか?!
それはこっちには情報来てないです。
困りましたね。。
ペーパー2,3枚でいいんで報告書をあげて
もらえますか?
これはちょっとまずいですよ・・
はい、じゃあ今日中にお願いします。
お待ちしております。」
藤原さんの顔がみるみる険しくなるのを横で見ていた俺は、彼の通話が終わるまで、ゲーテッドガーデンを堪能することにした。
その電話はおそらく、建設当時の状況説明を担当した建設会社からだろう。
さっきこの部屋に入る前にロビーで藤原さんが電話を入れてくれていた。
これでまた一つ、ピースが揃う。
「桑津さん、この前おっしゃっておられた、
建設当時に何も事故などなかったか、という
問い合わせの件ですが、回答がありました。」
「そうですか、やはり事故はあったんですね?」
「そうなんです!
これは事故隠しにもあたる重大なインシデント
ですよ!実は」
「作業してた男性が事故にあった。
そして死亡している。
右腕がちぎれたことによって、ですね?」
「えっ!?そ、そうです!
やっぱ視えてたんですね!
言ってくださいよ、その時にぃ!」
いやいや、あんとき視えたまんまを実況中継したらあんた、泣き叫ぶ勢いやったでほんま。。
「すみません、ちょっと忖度しました。
俺は配慮できる男でして。
ま、これで原因が判明しましたね。
今回の事件はやはり解体時の死亡事故で
亡くなったAさんが原因ではなく、
建設作業中になくなった彼、
ここでは便宜上、Bさんとしましょうか。
Bさんが何らかの理由であの部屋に出る、
ということなのでしょう。
やはりこの物件は「竣工前からの事故物件」
だったのですね。
あとはベランダに出てきている原因を
調べていけば・・」
「すみません桑津さん。
話の腰を折って申し訳ないのですが、
桑津さんの予想とちょっと違う点が
ありまして。。」
「ちょっと違う?」
「はい。また詳しい報告書がきたら
共有しますが、さきほど口頭で受けた説明
だと、建設時の事故で腕の切断はあったの
だが、死亡事故にまでは至っていない、
とのことなのです。」
「ほうほう、じゃあBさんは死んでいない、
のですね。」
「はい、彼らが言うには死んではないと。
ただ工事現場内でこのような凄惨な事故が
あったとすれば、もちろん施主に報告し
なければならないわけで、私の知る範囲で、
このことは公にはされていません。
これは後々、大問題になります。
向こうさん、要は建設会社ですが、
かなり焦っていました。
『なぜバレたのか』って。
え、そりゃ言ってませんよ。
視える人がいて、その腕ちぎれた人が
マンションに出ているからだなんて。
普通では通用しませんからね。」
「藤原さん、グッジョブです。
そこは話をややこしくするだけなので、
そっと流しておきましょう。
そうですか、死亡事故ではないのですね。
それならばまたさらなる謎が発生しました。
『なぜ彼はあの部屋に出てくるのか』です。
生霊ってケースもあるんですが、
あそこまで強烈に出る生霊ってなかなか
いないんですよね。
ましてや、BさんとSさんは何のつながりも
ないようです。
ただ一点、あの部屋という接点を除いて。」
「そうですよね、とりあえず報告書が来たら、
すぐに桑津さんに送ります。
今日はお忙しいところ、本当にありがとう
ございました。
ただでも、もうほんと御免です。
2度も霊と立ち会ったわけですから。
こりごりですよ。。」
藤原さん、がんばったね。
普通の管理業務だけでも心労が重なるものなのに。
あなた良い人だからやめないでね。
そうお声がけをして、俺は藤原さんと別れ、いったん事務所に帰ることにした。
帰る道中、俺の仮説でいけばどうしても、マンションの構造であったり耐久性に関して助言が必要だと感じていた。
不動産の賃貸や売買を扱っているとはいえ、建物の構造に関してそこまで詳しいとは言えない。
マン管も持ってないし。
そこで俺の知り合いでそういうことに詳しい人を思い浮かべていたのだが・・
そうだ!一人いてはる!
いつも上京した際に中間省略でご一緒頂く、波風さん@sun_suk_eに聞こう!
波風さんはマンション管理会社で大規模改修工事建築・設備担当をされてて、図面を引かない方の建築士っていうプロフ通り、そこらへんの知識がとても素敵な紳士なのだ。(ツイはなかなか難解テイストだけど。笑)
この前、東京の管理物件の改修の件でもすごい助けて頂いた。
ほんとありがたーい存在。
今はお仕事中だからなー、夜にでもDMを送ろうか。
そんなことを考えながら、俺は事務所に向かった。
この物語は一部フィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。