事故物件巡りの話 【最終話 後編】
この会社に来るのも今日で終わりだな。
出社最終日の朝も、俺は普通に家を出た。
嫁の花ちゃんも普通にお見送りをしてくれた。
もちろん送別会などの予定はなかった。
北原課長が水面下で「桑津の送別会はするな」というお達しを出しているのは知っていたので、田澤の親分や中野さんが開いてくれると言っていたお別れの会も断ったくらいだ。
淡々と業務をこなし、定時になったら、あがるつもりだった。
それなのに、である。
朝礼後にわざわざ、自分の席の前にまで呼び出して、皆が聞こえる状態でグダグダ言ってきた奴がいたのだ。
北原っていうやつなんだけどね。
最後まで期待に反しないくらいイヤな奴だった。
北原「まぁね、うん。
私や常務のお考えを最後まで無視してね。
今日までよく働いてくださいました。
本当に仕事熱心な方が社を離れることに
なって本当に残念ですけどもね、うん。
会社にはルールがありますからね、うん。
これは仕方ないことですね。」
お前は本当にいらんこというグランプリあったら、上位には食い込むなぁ。
まぁ、でも1位にはなれん。
そこまでのタマやないからな!
俺「いえいえ、北原課長からの御叱咤や
御鞭撻も活かせず、今回志半ばで
契約継続ならずなのは、ひとえに
私の至らないところであったかと
思います。」
北原「よくわかってるじゃあないですか、
うん。
まぁね、きちんと言うことを聞いて
いれば、こういうことにも
ならなかったんですよ!
奥様もご心配でしょう。
弊社のような一部上場会社から
どこともわからないような会社に
行かれるのですから。」
たしかにそうですけど、今より年収も待遇も上がるんだけどね!
北原「桑津さんは学歴は優秀ですが、
辛抱が足らないのでしょうかね。
転職回数が多いことをもっと考慮に
入れて、採用すればよかったなと
私も反省しています!」
はいはい、お前が学歴コンプなの、公表してるようなもんよ、それ。苦笑
さっきから延々とくだらない話が続いていた。
俺はただ無駄なこの時間に耐えていた。
もうすぐ解放されるので、心を無にしよう。
それよりも早く、まだ引継ぎしてないことを引継ぎしたいなと思いつつ。。
北原「話を聞いていますか!
わざわざ時間を割いて、これからの
桑津主任のためにお話をしていると
いうのに。。
それはそうと、ここを出る前に
あのファイルを私に渡すように!」
あぁ『あの』ファイルね。
ようやく気付いたのね。
遅すぎない?苦笑
俺はとぼけたふりをした。
俺「ええっと・・すみません、
あのファイルとは何ですか。
もうご報告すべきことは何もないか
とは存じますが、念のために、
お聞きします。」
北原「あのファイルですよ!
事故物件のファイル!!」
俺「あぁ、私が個人的に情報を収集していた
ファイルですね。
ただ、あれは雑多な内容のものでしたので、
最終報告は北原課長にもすでに
提出していたはずですが・・」
北原「そんなことを言ってるんじゃない
んですよ、うん!
あの報告書はただ物件巡りの状況を
報告しただけで、
どこをどうオープンにできるのか、
オープンにした場合の妥当な家賃設定、
客付業者との打ち合わせ内容など、
まったく載っていないでしょう?
今回の件でどれくらい利益が出るのか等、
桑津主任、あなたは調査しているはず
ですよ、うん!」
俺「買いかぶりですよ、北原課長。
能力が低く、我が社の契約社員として
更新されないようなこの私が
そこまでの調査ができるわけない
じゃないですか。」
北原「これは明らかな業務怠慢ですよ!
あのファイルには、途中までそう
いったことが書かれてあった
じゃないですか!」
俺「業務怠慢と言われましても、北原課長、
あなたが私に命じたのは、
事故物件を巡ってこい、という指示だけ
だったかと思います。
途中でやりすぎだな、課長の指示を
曲解して受け取っていたようだ、
これはいけないと思ってあなたが指示
したことを忠実に実行したまでで。苦笑」
北原「うん、それは指示徹底とは
いいませんよ、うん!
とにかくあのファイルを開けられるように
してから、ここを辞めなさい!!」
思わず悪い笑みがこぼれてきた。
相当焦っているようだ。
おそらくだが、すでに自分の手柄として今期増える利益を皮算用で常務に報告していたのだろう。
俺は作成していた「事故物件巡りレポート」を北原が盗み見しているのに気づいてからファイルに鍵をかけ、そのファイルでの作成をストップした。
実際の記録内容に関しては、ファイル名を全く違うものに書き換え、以降はUSBの中に移動させて作業をしていたので、今共有フォルダ内にある『あのファイル』は見ても仕方ない。
仮にファイルの鍵をパスワードクラッカーなどでこじ開けたとしても、意味がないのだ。
なぜなら、鍵を掛けた以降は、そのファイルには、俺が事故物件巡りの際に立ち寄っておいしかったランチの店情報しか載っていないのだから。笑
ただ北原の雰囲気からすると、どうも鍵がかかってることに、最近気づいたという程度のようだ。
奴はろくにパソコンも使えないし、パスワードクラッカーなど使えるはずもないし。
北原「何がおかしい!
業務時間中に作成したファイルに
パスワードを掛けるなど、
聞いたことがない!
社会人としてどうなの、そこ!
そんなに見られたら困るものでも
隠しているんですか!」
いやまぁ、おいしいカレー屋さんとかだったら、いつでも紹介しますけどね。笑
俺「と、言われましても。。
あぁ、あのファイルのことかな。
いや、私が外出中に誰かが開いている
ような感じがしたので、
気持ち悪くて、パスワードを
掛けたんでした!
誰が見てたんでしょうねぇ。。」
俺はこれ見よがしに、皆に聞こえる大きな声で言ってやった。
さっきから課の全員、仕事そっちのけで俺と北原のやり取りを聞いているもんだから、
「は?キモw」
「人のファイル勝手に見るのは、ねぇ。。」
なんていう、みなの北原を揶揄するヒソヒソ声が聞こえてきた。
俺「ですが、申し訳ございません。
パスワードを掛けそこなったのか、
いざ開けようとしても、開けなく
なったんです。ほんとすみません。苦笑」
北原「それは・・適当なこと言うんやない!
職務怠慢、服務規程違反も
いいところや!
ええ加減にせえよお前!」
あらあら、いつもの口調やめてるw
無理して話してたんだな、いつも。
こっちが素の北原か。笑
相当きてるな。
これは課長、常務に怒られちゃうだろうなぁ。。
俺「本当に申し訳ございません。
今回の失態に関しましては、
賞与も辞退します!
って、俺の分は特別に支給されない
んでしたよね!
じゃ、責任取って退職いたします!!
って俺、クビでしたよね!!
もういいすか?
まだ引継ぎあるんで失礼しまーす。」
「え、桑津主任にボーナスなしなの?」
「どゆことそれ。さすがにやりすぎ。」
「意味わからん。どうなってるねん。」
ひそひそ声がより一層強くなってくる。
チラっと、親分の方を見てみる。
天を仰いで目をつぶっている。苦笑
「やっちゃったな、お前は」感が出ている。
やりすぎかなぁ、俺。
まぁ、いいや、今日で辞めるし、おつかれしたーって言って、もう帰ってやろう。
そう決心して、北原に背を向けて歩き出したとき、後ろで事務所のドアが開く音がして男性が一人、ニヤニヤしながら入ってきた。
「あぁ、いたいた。君が桑津主任かぁ。
話すんは研修の時と今で二回目かなぁ。
なんかわるーい雰囲気流れてるけど、
大丈夫?北原課長。」
北原「う、梅村常務!!」
おおっと、ちょっと待て待て。
これは聞いてないぞ。
なんで悪の親玉がこのタイミングでくるのよ!!
梅村「なぁ、桑津君。
立つ鳥跡を濁さず、っていうやろ?
私の管轄で好き勝手して、
しかも、責任者として、
私が任命してる北原君をここまで
けちょんけちょんにするのは、
やりすぎちゃうかなぁ。」
さすがに面食らった俺は、返す刀がなかなかでなかった。
俺「ここまで、とおっしゃいますと?」
なんとか捻りだした反撃もここまでだった。
梅村「いや、大きな声で話してるからさぁ。
たまたま前を通りかかったら
聞こえてきてさぁ。
さっきまで黙って聞いてたけど、ほら、
北原君が可愛そうで入ってきちゃったよ。
苦笑」
嘘八百こきやがって!!
お前の役員室は、本社の一番奥やないか!
確かにこの管理課は常務のテリトリーではあるが、今まで一度も顔を出したことなんてない。
そこである噂を思い出した。
そうか、事務所に監視カメラがあるっていう噂はほんまやったのか。
ずっと見てやがったのか。。
こいつの登場は想定してなかった。。
梅村「まぁさ、桑津君、君もいろいろ
がんばったんやろ?
それをさぁ最後までやり遂げた方が
いいやん?
そう思わん?
協力してくれた田澤係長とか、
あと、誰だっけ、
管理人の上田さんだっけ。
あのじいちゃんのためにもさ。
増益できる資料、出してくれないかなぁ。
もう、会長にもそのこと言っててさぁ。
引っ込みつかないんだよね、こっちは。
誰かが何かしら、また、悪評を
バラまいてくれたでしょう?
それもあってねぇ、桑津君?」
これもまた嘘八百ぶっこいてる。
常務ともあろう人間が少なくはないものの、全体の利益に対して、小さな利益に固執するわけがない。
本質はそこじゃない。
この前、この課の問題点につき、課長や常務が絡んでいると思われる案件があった際に常務を飛び越えて社長に直訴したことを相当根に持っているのだ。
その時、奴は証拠不十分でお咎めなしだった。
俺の詰めが甘かったのだ。
梅村「まぁ、さ。
今回の件、他にもいろいろ、
こそこそしてたんでしょ?」
あ、やっぱりそこか。
まぁ、いずれバレるとは思ってたけどさ。
今日まで突っ込まれなかったから、安心してたのに。
梅村「まぁ、これ以上はここではいっか。
ほら、みなさーん手が止まってますよー。
お仕事してくださーい!
桑津君は横の会議室にくるように。」
突然の常務のご訪問で、課の全員凍り付いていたが、一斉に業務に戻り始めていた。
田澤の親分だけ、放心状態で天を仰いだままだった。
ごめんね、田澤の親分。。
相当めんどくさいことになった。
吐きそうな気分だ。
さっき、田澤の親分の名前や上田さんの名前をわざわざ出してきたのも、意味がある。
要は人質を取られているということだ。
俺は今日辞めればいいのだから、今すぐにでもバックレたらいいんだが、あとに残る親分やお世話になった上田さんはどうなる?
チラっと北原を見ると、さっきまであんだけ泣きそうな顔してたのに、常務の後ろに隠れて、完全に上から目線に戻っている。クソが!!
起死回生、いろいろ思考を加速させたが、うまく切り抜けられる方法は皆無だった。
ジ・エンド。俺の負けである。
覚悟を決めて、事務所の横の会議室へと入る。
そこには、さっきより態度が尊大で傲慢を絵にかいたような常務と、その威を借るクソが座っていた。
梅村「まぁなぁ、桑津君。
俺も伊達に一部上場企業の常務を
やってないねん。
わからんやろなぁ。
勝ち抜いてきてるわけやねん。
転職回数二桁行くような根性なしに
言うても、わからんわなぁ。苦笑」
今の会話はパワハラ確定だったが、如何せん、録音もできず、当事者は俺と常務と課長しかいない。
この会議室での会話はある程度防音が聞いているため、外には漏れない。
何を言われても、反撃しようがなかった。
梅村「もうさ、北原君に詫び入れて
終わりにしてよ。
俺もさぁ、いろんな部署担当やから、
忙しいのよ。
ちゃちゃっとやって、ちゃちゃっと。」
北原「ほら、うん!早く謝りなさい!
謝るくらいできるでしょ!
ほら、早く、うん!」
もう、どうでもよくなってきた。
こいつらに関わるのがめんどくさい。
田澤の親分や上田さんのこともあるし、謝っちゃおうか。
呆然として、頭を下げかけたその時、内線が鳴った。
番号的に、横の管理課からである。
梅村常務が、一瞬でキレそうな顔になる。
すかさず、北原課長が取る。
北原「今、取り込み中だ!
田塚係長?何?
・・え、うん・・うん。
ええっ!!!
わかりました。。」
梅村「ん?なんや?俺に用か?」
北原「いえ、桑津主任に会いに来られた
ようです。
すぐに来られます。」
あれ、俺に客?
なんや、業者か?
最後のあいさつに来てくれたんかな。
モノホンの珍獣ビースト野崎くんか、ビーブルの今田君かな。
まぁ、もう誰でもいいわ。
考えるのもめんどくさい。
そう投げやりな態度で、俺宛の来客を待っていると、静かに会議室のドアが開き、初老の男性が入ってきた。
「みなさん、お疲れさまです。
すみませんね、お邪魔しますよ。」
目が悪い梅村常務は一瞬誰やこのじじい、的な目でそのじーちゃんを見ていたのだが、それが誰であるかわかるや否や、我が社の教育ガイドブックに載っていそうな完璧なお辞儀をし、次に気づいた北原も身体が折れそうなほどのお辞儀をそのじーちゃんにしていた。
ぼーっとしていたので、気づくのに時間がかかったが、会議室に入ってきた俺の客人は、弊社及び親会社の創業者である、毎野会長であった。
会長「あぁ、そんなかしこまらなくても
いいですよ。
私はもう、一線を退いて会長職にいる、
ただの見守り役ですからね。
すみませんが最近ちょっと歳で、
立ってるのもしんどいので、
座って話しても良いでしょうか。」
会長はどの社員に対しても、丁寧語を使われる。
掃除のおばちゃんに対しても、入ったばっかりの新入社員に対しても、だ。
どれだけえらくなっても、偉そうにしない態度に本当に惹かれていた。
それでいて、威厳を保てるのはとてもすごいことなのだ。
どうぞー!!!と綺麗に常務と課長がハモって椅子を促してるのを横目に、俺が気が遠くなりそうになった。
常務だけじゃなく、会長まで?
どういうこと?
俺、これからどうなんの??
とりあえず、俺も立ってるのがしんどくなったので、座らせてもらった。
お前は立っとれ的な視線を約二名から感じたが、会長命令なんだから聞けよボケっ!という顔をして座った。
そこからは・・桑津をいぢめぬく会から、会長の有難いお言葉を聞く会に変わった。
会長「まず、御仕事を真摯に遂行して
いらっしゃる皆様に、
会長として、株主として、
御礼申し上げます。
あなた方の存在なくして、
会社はない!
そう日々思い続けて、
やってまいりました。」
株主って。。
じいさん、7割くらい持ってんじゃん。
もっと威張って良いんだよ。。
会長「今回の件、いろいろと聞いております。
桑津主任。
学生寮の件ではいろいろと配慮や手配を
してもらったようで、
オーナーの佳代さんからも私に
直接お礼のお手紙が来ました。
本当にありがとう。」
俺「いえ、仕事ですので・・」
会長「また、朽木町の案件でも、
大株主の丸山様から直接お礼の
ご訪問を頂いております。
重ねて、本当にありがとう。
あの物件は、我が社がその当時の
総力を挙げて取り組んだ当時の
我が社の最高傑作になるはずでした。
それがあんなことになって、
私も気に病んではいたのですが、
多忙もあり、歳もあり、
忘れっぽくなってしまって、
恥ずかしながら今回のことが
あるまで、記憶の底に眠っておりました。
いや、わざと仕舞い込んでいたのかも
しれませんね。
志穂さんとは私も交流があったもんでね。
またお線香の一つでも上げにいく
つもりです。」
俺「はい。志穂さんも喜ばれると思います。」
会長「して、梅村さん、北原さん、
あなた方には少し厳しいことを
言わなければなりません。
今回の件で、実はあなた方に
問い質さなければならないことが
あるのです。」
梅村「え、え、どういうことででしょうか。」
会長「本来であれば、こういったことは社長の
脇田くんの御仕事です。
私がしゃしゃり出ることは好ましくない。
ただ梅村さん、あなたにお聞きしない
といけないことは、
私が社長をしていたときに
起こったことなのです。
それなら、私の責任だ。
だから、問います。
あなたは10年以上前から、
お客様から受注した案件につき、
何らかの不正をしていますね。」
梅村「え、不正?そんなこと、していません!」
会長「不正、という認識がないのであれば、
嘘ではないでしょう。
これはもう調査済なので、
確定で申し上げましょう。
下請け業者から賄賂をもらって
いますね。」
梅村「賄賂、だなんて。
あれは業者が勝手に・・・」
会長「黙りなさい!!」
突然、烈火のごとく会長が怒り、言葉を発した。
その怒りの炎は自暴自棄になりかけていた俺の心にふたたび灯をともした。
会長「その賄賂の出所を考えたことが
ありますか?
業者さんたちは、どうやってその資金を
出したと思うのですか。
人件費や部材費から、出しているのです。
家を建てる者のやる気を削ぎ、
家が建つ部材を安物に変えれば、
家がどうなるか、
考えたことがありますか?
お客様に失礼だとは、思わないん
ですか!」
会長が烈火のごとく怒った理由が分かった。
この人はどこまでもお客様目線なのだ。
それを裏切ってしまったのが一番許せないのだろう。
それを見逃した自分が一番許せないのだろう。
会長「社内の絶対的なご法度として、
業者の方からの金品などは、
お中元やお歳暮をはじめ、
すべて禁じているはずです。
入社してもう数十年のあなたなら、
一番よくわかっているはず!
新入社員の講師にあなたを任命している
理由もわからなかったのですか!
あなたは、どのような気持ちで、
この何十年も、新入社員に
教えを説いていたのですか!!」
梅村「いえ、ですから私は賄賂など・・」
会長「この期に及んでまだそのようなことを。。
ビジネスに私情を挟んではいけないのは、
この年まで会社を率いた者として
よく理解をしています。
ただね、なぜあなたは当時の我が社の
粋を集めた、あの志穂さんの家にまで
賄賂を求めたのですか!」
梅村「え、そんな昔の事・・私じゃないですよ、
会長。
確かに、あの家は私の担当でしたが、
そんなこと、
するわけないじゃないですか。」
梅村は半笑いになって、否定している。
やけに余裕を持って対応している。
そうだろう、もう10年前のこと。
何の証拠もないはずだ。
俺もあの事故物件のことを調べるのに苦労したくらいだからな。
会長「そうですね、もう10年も前の
ことです。ですがね、
奇しくも10年、
あの家があの当時のまま、
残っていたからこそ、
わかったことがあるのです。
ある一部分を除いてはですが。
桑津主任、確認したいことが
あります。」
いきなり振られて、ちょっとびっくりした。
俺「はい、なんでしょうか。」
会長「あの家で変わったことがあったと、
中野さんから
お聞きしましてね。
二人に提出した報告書は私も
読みましたが、
そのことには触れられてなかった
ようですから、お二人にも聞かせて
あげてくださいな。」
変わったこと?
あぁ、あるにはあるけど、説明するの難しいやつだな。
(【第4話 終の棲家 後日談】参照)
事実だけ、話そうか。
俺「いや、実は担当の中野さんもご存じ
なかったんですけど、
あそこのドア、誰かがシリンダー交換
してるんですよね。
管理課はそんなことしてないみたいです。
田澤係長の読みだと、本社の新築部署が
替えたのかなって言ってましたけど。」
会長「そうですそうです、その件です。
私はその報告がなぜか気になった。
オーナーさんにも当時の記憶を遡って、
事故後にそんな注文をしたのかと
お聞きしたのですが、
それはないと思うという回答でした。」
梅村常務をチラっと見る。
だんだん顔が青ざめてきている。
会長「そこで、今回、最後に綺麗にして
さしあげて、管理をオーナー様に
お返しすることになったので、
洗浄とは別に、私の指示で耐震などの
確認をさせたのです。
我が社の顔、となるべく住宅には
なれませんでしたが、
志穂さんの墓標として残すなら、
しっかりと補修をしたかったのでね。」
うお、あの戸建、あれからインスペクションでもかけたのか。
会長「この調査報告書を御覧なさい。
部材や材木の厚みにつき、すべてにおいて
少しずつ良くないものが使われている。
これを最初見たとき、愕然としました。
事実を公表しようと決心し、全株式を
手放すことも考えました。
脇田君に懇願されてさすがにそれは
やめましたが。。
今まで私は何を作ってきたのか。
社員の皆さんに何を伝えてきたのか。
非常に恥ずかしい思いでした。」
なんとなく、気持ちはわかる。
会長にとって、この会社が大きくなるとか株価が上がるとか、一切興味ないんだろうなって。
誠実に戦後の日本のために、良好な住宅を提供したいっていう思いだけで突っ走ってきはった人なんだろうなって。
一年しかいない俺でも、それくらいわかる。
ふつふつと梅村に対して、怒りが湧いてくる。
会長「もっとショックだったのはね、
この項目です。
空気を浄化するために我が社が
開発した黒炭の家の性能に関する
部分です。
ほら、ここ。
実は大事なオーナー様の娘さんの
お宅ということで、
黒炭の家のなかでも最上級の空気
浄化能力を搭載したモデルのはず
だったのですが、そこも仕様と異なる。
仕様の通りの性能なら、火災の際の
一酸化炭素中毒にも、浄化設備が
燃え尽きるまでは作動するようなもの
だったのです。」
俺「え、ちょっと待ってください。
それはもし、仕様通り最上級の空気浄化
機能が備わっていれば、志穂さんは。。」
会長「この機能は任意でオンオフはできる
ようなものではありませんでしたからね。
一酸化炭素の濃度上昇を検知したら、
強制的に空気を排出する機能が
作動したはずです。
そもそも、この家では、
一酸化炭素中毒では
死ねないはずだったのです。
「たら、れば」の話をするとキリが
ないですが、あるいは、助かって
いたかもしれません。」
俺は思わず梅村に掴みかかっていた。
自然と身体が動いたのだ。
俺「この人殺しが!!
住宅建設にかかわる者が一番やったら
あかんことやろうが!
お前、このこと知ってたんやな!!」
梅村は俺の剣幕に怯んだが、まだ抵抗した。
梅村「私はそんなことには関与していない!
そんなことで建築費を削ってるなんて
知らん!
それにな、自殺する奴が悪いんや!
そこまで面倒見切れんやろ!」
会長「故人を冒涜するのはおやめなさい!
まだ、シラを切るんですね。
あなたは長年、建築営業部を引っ張り、
我が社に貢献してくれましたが、
根底にある精神が曲がっています!
これを見なさい!
錠の交換を依頼した注文書の控えです!
ここにあるサインはあなたのもの
でしょう!」
もう黄色に変色してしまった注文書のカーボンコピーだが、確かにサインは、梅村常務のものだった。
会長「なぜこんなものがと思ったでしょう?
我が社ではお客様のお宅に関する
すべての資料を残して、
いるんですよ?
そんなことすら、忘れたんですか!」
俺「さぁこれで言い逃れでけへんな!
お前は賄賂を要求したせいで、
建築費が削られることを事前に
知っていた。
黒炭の家の機能についても、
最上級にせんでも普段使いなら
バレへんと高をくくってたんだろう?
そしてあんな事件が起こった。
運良く警察も黒炭の家の機能にまでは
注意が回らなかった。
それでも、あんたは相当ビビったはずだ。
自分のせいで人が死んだんやからな!
だからこそ、シリンダーをこそっと
変えておくみたいな姑息な真似を
したんやろ?
誰も入れないように!
それがあだとなったなぁ!!」
さっきまで抵抗していた梅村常務も、決定的な証拠を突き付けられ、観念したかのように抵抗するのをやめた。
しかしながら、真剣に反省しているようには見えない。
見ているだけで反吐が出る。下手したら、梅村を殴っていたかもしれない。
会長が俺の肩に手を置き、語りかけるようにまた話し始めた。
会長「桑津主任。
君の体験した不思議な現象も、
中野さんからそれとなく聞いている。
辛かったでしょうね。
志穂さんが感じたものをあなたも
感じたことでしょう。
ただ、今から何を言っても、
志穂さんは帰ってこない。
彼女にも弱さがあった。
ただ、家主が弱った時にこそ、
家が家主を守れるような、
そんな家を建てることが我々の
仕事ですからね。
当時の責任者は私です。
私の責任です。」
俺「いえ、会長は何も!
会長はずっと真摯に住宅に関わって
きはったじゃないですか!
それを・・それを!!」
会長「いや、梅村常務も我が社の社員です。
社員の非は、私の非でもあるのです。
そして何より、役員は私が選んだ。
今回の件はきっちりと調査をし、
処分は現社長の脇田君に委ねたいと
思います。
梅村常務に関しては以上。
あとで処分は決定されます。
それまでは自らの御仕事に専念ください。
自分の職場にお戻りください。」
会長がそう告げると、梅村常務は俺のことを睨みつけもせず、とぼとぼ歩いて自室へと帰って行った。
これまで勝ち続けてきたと豪語していた者の背中には見えなかった。
会長「次に、北原課長。
あなたも過去に不正をし、今現在も
していますね。」
北原「はいぃぃ!!」
不意に名前を呼ばれた北原が変な声で返事をした。
北原「いえ、今のは返事をしただけで。。」
俺「きーたーはーらー!!
その件に関しては、俺が説明したる!
よろしいですか、会長。」
会長「そうですね、ちょっと話を
し過ぎましたので、疲れました。
説明は桑津主任にお任せします。」
俺「承知致しました。
あと、もう一人、
適任者がいますので、呼びます。」
そういって、俺は内線を使って、横で待機しているであろう、
ある人物を呼び出した。
部屋にしかめっつらした男性が入ってくる。
俺の上司である、田塚係長だ。
田塚「会長、失礼いたします!
この度の調査に関しては、
桑津主任に私がお願いしたもので
あります。
報告内容の責任については、
私が持ちます!」
最後の最後でかっこつけんなっつーの。笑
俺「では、続けます。
今回、事故物件の調査にあたり、
実際に物件調査をするだけではなく、
客付会社にもヒアリングを行いました。
それと並行して田塚係長より過去に
発生した『広告料のキックバックや
不正な交際費の私的流用』を二度と
起こさないことを目的とした、
客付会社への現状調査を行いました。」
北原の顔がみるみる青ざめていく。
北原「私はそんなこと命じてへんぞ!
指示徹底は弊社の社訓にも
入っとる!服務規定違反や!」
会長「黙りなさい!北原課長。
あなたは黙って聞くことです。
指示の徹底は社訓の一つですが、
疑問は徹底的に調べよ!も社訓の一つ
です。
桑津主任はそれを徹底されただけのこと。
それにね、今回の調査に関しては、
田塚くんから内密に相談が来たのです。
田塚くんは、私が社長をしていた時期に、
この賃貸管理課の課長を任せたことも
あって、ひととなりは知っていました
からね。許可しました。」
田塚「キックバックや交際費の不正な私的流用に
最初に気づいたのは、桑津主任だったの
です。
主任はカンが良すぎてね。苦笑
数字の不自然な操作に気づいてしまった。
ただ、やり方がまずかったですね。
証拠もなく突っ走って、社長に
直訴してしまった。
社長もね、簡単には動けないんですよ。
いろんな大人の事情もあるんですよ。
で、当の本人たちに気づかれて
しまった。」
俺「耳が痛いですね。
でも、その時は田塚さんだって、
触れるな、スルーしろ、って言ってた
じゃないですか。苦笑」
田塚「おい、こら、会長の前で誤解を
生むようなことを言うなよ。苦笑
あのときは、まだ証拠がなかったからな。
待てっていう意味やったんや。」
田塚係長が恐る恐る会長の方を見た。
会長は微笑みながら、続けてください、とジェスチャーした。
俺「まぁ、そういうことにしておきましょうか。
俺はやり方を間違えた。
田塚さんは俺を上手に使った。
北原、お前は俺がただ、事故物件のために
業者周りを強化していると思っていたん
だろうが今回、事故物件巡りを通じて、
客付の会社さんとえらい仲良うなれてな。
業者に通う頻度も多くなって、
一緒に飲みに行ったりして、
いろいろ聞き出したんや。
もちろん、北原、お前の悪さの話もな!」
要は弊社が出している広告料の高さを悪用して、北原は私服を肥やしていたのだった。
北原は予算内で自由に広告料を設定できる立場にいた。
なので、自分の言いなりになる客付だけは自分の担当に置いておいて、すぐに客付できるような物件が空いた際に、任意のタイミングで高額の広告料を設定し、その業者に客付けさせる。それで弊社から支払った高額な広告料をキックバックさせる。
その業者は本来は、五里という担当者がついていたのだが、こいつも北原の言いなりだったので、共犯である。
もちろん、悪さをしてた業者から直接聞いたわけじゃない。
ただこの業界、人の出入りがほんと多いのだ。
昨日まで駅前の珍獣にいた人間が、水曜休み明けの木曜にはビーブルの窓口で元気に来客対応してる、みたいなことが稀に良くある。
そういったやつを狙い撃ちにして、聞きだした。
たいがい、恨み持ってるやつが多かったからだ。
あともう一つ。
田塚さんが課長してた時に、業者に持っていくエナジードリンクなりカイロなりの販促品を購入する交際費を私的流用した奴も見つけた。
これは偶然だったが、平然とうちのエリアで客付けしてた。笑
(さすがにうちの物件は扱ってはなかったが。苦笑)
そいつに口を割らせた。
まぁ、つついたら、勝手にしゃべりやがった。
北原から小遣いせびられて、仕方なくやっていたと。
交際費で買ったものを転売して小遣いを作っていたらしい。
それなのに罪を被せられて、やめさせられたと。
今、勤めてる会社も北原の斡旋だったのだが、いまだに小遣いをせびってくるらしい。
俺「北原、お前ほんまにクソ野郎だな!!
転職回数多い俺だから、敢えて言ってやる。
今まで数々の上司に仕えたよ、俺は。
一部上場企業も何社か経験してる。
その中でもな、お前は最低最悪の
クソ課長や!!
この事故物件巡りも、どうせ俺に
対する嫌がらせのつもりやったん
やろうけどな、
自分で自分のクビ締めることに
なって残念やったな!」
田塚「おい、桑津主任、会長の前やぞ・・」
構うかそんなもん!
ここで言わんとどこで言うねん!
俺「管理会社に入ってみて、ほんとに大変な
仕事やなって、今年一年感じたわ。
でもな、ここにおるみんな全員
オーナーのため、
賃借人のため、必死に働いとるねん!
そのなかで、いけしゃーしゃーと
不正しおってからに。。
恥を知れ!!」
俺が大声で叫んだ瞬間、横の事務所から拍手と歓声が起こった。
ん?声デカすぎたかな。聞こえてる?
北原に目をやると、さっきから肩が震えている。
ひくひく言ってる。
泣いているようだ。
会長「桑津主任。君の言うことは正しい。
ただ、強すぎる炎は時に自らも
燃えあがらせる。
要らぬ軋轢も生む。
今後の糧にしてほしい。」
俺「わかりました・・。」
会長「ということで、北原課長。
君にも責任を取ってもらう。
言い逃れがあれば、また脇田くんを
交えて聞こう。
それまでは自らの御仕事をしっかり
なさってください。
戻っていいですよ。」
そう会長に告げられると、泣きべそかいたまま、
事務所へと戻っていった。
おそらく今日はもうこのまま課長室から出ては来ないだろう。
北原を見送ってふと、机上にやると内線のランプが光ったままになっている。
俺「あれ、田塚係長、向こうで内線、
切りました?」
田塚「ん?俺は桑津主任から連絡受けたとき、
中野ちゃんがスピーカーで受けてくれて
すぐにこっちに来たんだが。」
俺「あー。苦笑
俺も緊張しまくってたから、スイッチ、
切ってなかったんですよね。
ずっとここの会話、みんなに聞かれてた
かもー。
ははは。笑」
田塚「お前なぁ・・」
ほんと、悪いね!北原課長。
みんなの目が痛いだろうね!
知るか!!個室で反省の訓話テープでも作っておけ!
会長「さて、桑津主任。」
北原に受けた屈辱を100倍返しくらいできた達成感に浸っていた俺を、会長が静かに現実に呼び戻した。
会長「今回の特別任務については、
事故物件の件にしてもそうだし、
不正の調査に関してもそうだし、
大変お疲れさまでした。
社内で功績を挙げた者に対して、
『社長特別賞』が送られることは
ご存知のことと思います。
あなたは立派にあなたの御仕事を
遂行されました。
社長特別賞を送られても良いかと
思います。」
あぁ、昔、田澤の親分がもらったやつだな!
確か、副賞として現金支給があったはず!!
これは臨時ボーナスというやつか!
会長「ただ、今回はもうその該当者が
決定されており、
その予算枠も限られていることから、
桑津主任にそれを差し上げるわけ
にはいかないのです。
大変申し訳ない。」
がっくしである。
上げてから落とさんとってよ、会長。。
会長「重ねて、桑津主任には賞与が支給されない
とお聞きしました。
奥さんと小さなお子さんがおられるのに、
期待されていた賞与が支給されないのは、
残念なことと思われます。
大変申し訳ないと思います。」
重ねて落ち込ませないでよ、会長。。
会長「そればかりは、会社の人事が決めたこと。
たとえ梅村君が介在していたとしても、
会社の規則で決まってしまったことです。
予算も決定されています。
悪法であってもルールはルール。
株主への情報開示もあります。
私ではどうしようもできないことです。」
いや、大株主のあなただったら、何とでもできるんじゃ、と言いかけたが、横で田塚係長がにらみを利かしていたので、断念した。
会長「ただ、ね。
先ほどの社長特別賞の該当者に二人ほど、
欠格事由が認められそうです。
もちろん欲しいなどとは
言わないでしょうし、
さすがにそれは言わせませんよ。苦笑
彼らの分が余ります。
余った分は、ほかで使ったとしても、
問題はないはずです。」
俺「とおっしゃいますと、その分は・・」
会長「桑津さんの賞与全額分は
十分にありそうですね。
会長特別賞とでも名付けましょうか。
もちろん非公式ですけどね。
それでも残るでしょうから、
その分は会社名義で医療機関などに
寄付をさせていただきます。
まぁ、私、こう見えても大株主なので、
これくらいの御願いは社長も
聞いてくれるでしょうね。
桑津主任、この賞、受け取って
もらえますか。」
俺「そんなそんな、俺にはもったいない
褒賞です、が、
もちろん頂きます!!」
かくして、俺のこの会社でなすべきことはすべて終わった。
最後に会長の計らいで賞与のようなものも頂けた。
お嫁ちゃんの花に、おいしいもんをご馳走してやれる。
それよりなにより、何かを成し遂げた幸せでいっぱいであった。
俺は最後までやり遂げたのだ。
これで賃貸管理課が変わるかどうかはわからない。
ただ、変わるきっかけを俺が作れたと自信を持って言えるのではないか。
もっと長くいるつもりだったのに、1年しかいることのできなかったこの会社だったが、俺はなすべきことをきちんと成し遂げたのだ。
とても誇らしい気分で、出社最終日を定時まで勤め上げ、皆にひとりずつ挨拶をし、俺は退職した。
その日はもともと俺の送別会が予定されてなかったのだが、帰るとき、じゃあちょっと飲んで帰るかと親分に誘われて、近くの居酒屋に行こうとしたら、じゃあ私も、俺も、とあれよあれよと増えていき、結局、課全体で送別会をすることになってしまった。
もちろん、約一名は不参加だった。
(いつの間にか、早退したらしい。)
花にはごめん、飲んで帰ることになったと急遽夕食がいらない旨伝えたのだが、『なんとなくそんな気がしてたよ』と言っていた。
良い嫁である。
親分「それでは、桑津主任のこれからを
祝して!!乾杯!!」
親分の音頭で乾杯をしてくれて、宴が始まった。
会社の行きつけの二階の座敷で、みな楽しく飲んだ。
送別会って普通もっとしんみりするもんじゃないのか?苦笑
そんな湿り気など皆無の酒宴だった。
「桑津主任が今年一年でやり遂げたことってなーんだ!」
「残業代を申請できるようになったこと!」
「定時で上がりたいときは堂々と帰れること!」
「それよりなによりムカつく北原をぶちのめしたことー!!」
おいおい、お前ら好き勝手言うなよー、とクレームを入れるも、みな楽しそうに話しているのを見て、ほんと良かったなと感じた。
親分「よーし!今日は奢りや!!
飲め飲め!!」
あ、ちなみに桑ちゃんの奢りな!!」
俺「ちょっと待てーい!!
なんで送られる側がおごらなあかんねん!」
親分「特別ボーナス出たらしいからな!
ゴチになりまーす!!」
皆「ゴチになりまーす!!!」
まぁええわ、ボーナスなんて無いもんやと思ってたし、みんな楽しそうやしな!
俺「よっしゃわかった!おごったる!!
でも、俺が一番飲むからな!
後に続けー!!!」
ご想像通り、次の日は二日酔いで死んだ。笑
飲み過ぎて一日死んでた。笑
どうやって帰ったかも覚えてないくらい。笑
ただ、会計時にびっくりしたのを覚えている。
大将にお会計を払う際、カードで払えるかびくびくしながら、お会計したのだが、大将が一言。
「桑津さん、ほんと、お疲れさんでした。
会長から連絡入ってましてね、
今日の分は社としての送別会として、
会社に請求回すようにって聞いてますんで。
また近くまで来たら、寄ってくださいね。」
ほんと、会長、どこまで見てはるんや、と。
(見え切って奢ると言ったはいいが、実際に払っていたら、ボーナスの4分の1くらい飛ぶ金額やったんでほんま助かった!)
俺「とまぁ、こんな感じであの日は
帰ったわけですよ。」
親分「なんや、お前さん、あの日奢って
ないんかい!
はよ言わんかい!
恩義感じて損したわ!」
俺「いや、俺のおかげでええ酒飲めたんは
変わりないっしょ!w」
田塚「まぁ、あれも実は私が中野ちゃんを
通して、会長に桑津さんの送別会の件、
お伝えをしたんですけどね。
感謝しなさいよ。苦笑」
俺「ほんまにそういう、ええとこどり、
田塚さん上手ですよねー!
感謝してますよ、田塚課長!
感謝ついでに今回の賃付、
もうちょっと広告料、
あげてもらえませんかね。
この後の飲み会、奢りますから。」
田塚「あらあら、今度は俺が飛ばされる番
ですか。
そうですね、いいでしょう。
では、新地のママに連絡を入れて
おきましょうか。」
俺「ちょ、ちょ、いつもの大将とこに
行きましょうよ!
俺、久しぶりに大将の焼き魚、
食べたいんですから!」
親分「そやそや、大将のとこ行こうや!
んで、二軒目が新地や!!」
俺「ちょっとちょっと親分まで何でノリノリ
なんすか!
俺が一番、年下なんですよ!
吉本方式やったら、年長者がおごる
べきですよ!」
親分「俺は反社やいうて、吉本には
所属でけへん言うたん、
お前やろが!ケジメ見せぃ!!」
俺「無茶苦茶や・・」
中野「というか、桑津元主任、
さっき頂いたお名刺では、
かなり偉くならはったんですよね?
えっと、なんでしたっけ?」
田塚「えっと何々、
『取締役 業務部長』
ですね。私は課長で、」
親分「俺が、主任や。
なーにが取締役じゃ!
取り締まられ役やろ、お前さんは!」
中野「そして私は主任やから・・・。
一番のえらいさんは、桑津部長やね!
ごちそうになりまーす。」
田塚「なりまーす。」
田塚課長、何、渋いええ声でちょけとるねん!
親分「それにな、なんや秘書て!
お前さん、ここで川本ちゃん秘書に
できんからって、
次の会社で秘書なんか置きおって!
しかもさっき契約係から、
写真回ってきたぞ!
めっちゃプリチーやんけ!
呼べ!俺に紹介せぇ!!
呼ばんと花ちゃんにこのこと
LINEするぞ!」
俺「はい、午後2時34分!
恐喝容疑で確保―!!
ケーサツ呼んでください―!」
目の前で繰り広げる即興コントのようなやり取りをみて、課の社員はみな、声を出して楽しそうに笑っていた。
不動産管理という仕事は、どうひいき目に見ても、過酷だ。
オーナーからも賃借人からも詰められ、業務を離れ、休みの日にも緊急対応の連絡が入ってきて、ゆっくり休めないこともざらである。
それゆえ、精神をやられて辞めていく者も多く、殺伐とした労働環境の会社も多い。
だからこそ、こういったひとときの雑談やコミュニケーションが大事なのだ。
いくら不動産テックが進んだとして、AIが水漏れを止めてはくれないし、管理物件で人が死ねば、『人』が掃除をし、残置物を撤去し、また住めるようにいろいろ手配をしないと回らないのだから。
俺がこの会社に入ったときにはなかったこういう暖かさが、今は感じられる。
今なら、どんなオーナーであっても安心してこの会社に自分の大切な物件の管理を任せられだろう。
親分「そやそや、部長。」
桑津「役職で呼ばんとってください。苦笑」
親分「近々、ちょっとお願いしたい
案件あるねん。
調査はお手のものやろ?笑
実はまた『事故』があってな。」
桑津「『事故』ですか。
自殺ですか、他殺ですか?」
親分「なんや、119番みたいやな。笑
他殺や。
知っとるやろ、2週間前、駅前で
起こった、窃盗の居直り強盗の事件や。
刺殺やな。
あれ、うちの物件でな。
まだ捕まってないんや、犯人。
いっぺん『視て』くれんか?」
桑津「それはね、警察さんの仕事でしょ。苦笑
それにね、俺ね、いま部長なんですよ。
なんでも屋の部長で、超忙しいんですよ?
で、駅前のどの物件の何号室ですか?」
好奇心は猫を殺す。
俺も調子に乗って一度、あっちに連れていかれそうになってる。苦笑
でも、俺はその好奇心を止められない。
視えるものは、仕方ない。
こんど名刺に追記しようかな。
「事故物件専門で調査もいたします。
もちろん秘密は厳守で。」
って。笑
終わり
追記
その後の話。
梅村常務は結局、志穂さんの案件以外の賄賂について、最後まで認めなかった。志穂さんの案件以外、証拠もなかったからである。
これまでの業績への貢献度合いは評価されるものでもあり、賄賂に関しても特別背任とまで言い切れない事情もあったらしい。
ただ、大株主である会長の逆鱗に触れた以上、何事もなくいられるはずもなく、新たに設立された下請の協力会社を取りまとめる子会社の取締役へと出向になった。
それこそ、下請から賄賂をもらいたい放題なポジションに異動したかのように思われたが、逆に会長らしい采配だなと感じる。
自分を律して、真摯にお客様のために、今度こそそこで御仕事を遂行しなさい、という考えだと思う。
そして北原課長だが、悪事が発覚したその日に早退したきり、事務所には現れてはいないらしい。
表向きは病気療養中にて、長期病欠扱いだそうだ。
それもあって、会長の推薦もあり、田塚さんが課長に戻ったらしい。
北原の性格からして、傷病手当金をフルにもらった後、ほとぼりが冷めたころに戻ってくるだろうが、もう、彼の居場所はあの事務所にはないだろう。
ただ、もし奴が戻ってきたら、俺に連絡欲しいと田塚さんには頼んでいる。
ほら俺、北原元課長とはまだ名刺交換させてもらってないしね!
事故物件巡りの話 完
この物語は、ほぼフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。