事故物件巡りの話【第3話学生寮 前編】
大阪市内から車を走らせて1時間弱。
目の前にはのどかな田園風景が広がっている。
俺は大都市から離れ、郊外に建てられたとある大学のキャンパスに来ていた。
周りは、山、山、そして山。
山しか見えない。
しかしながら、空気がとてもうまい。心が洗われる。
広大な敷地の中にある陸上トラックで、長距離走の選手だろうか、一心不乱に自己ベスト更新を目指して走りこんでいる学生の様子を俺はさっきからずっと眺めていた。
事故物件巡りも残すところあと2か所となり、2つのうちどちらを先に行こうかと迷った結果、会社から遠い方、こちらの大学の学生寮に先に行くことに決めた。理由は特にはなかったが、なんとなくそうした。
実はこの大学、過去にとある縁で知り合った女の子が通っていたのでよく知っていた。実際に来たのは初めてだ。
その子との出会いは偶然というか事故というか不思議な縁であったが、記憶に残るタイプの女の子であった。(かなり引っ張りまわされた。)
いろいろお世話したりされたりした仲にはなったのだが、お互いプライベートのことなどにはそこまで干渉しなかったので、この大学に通っているとは聞いていたものの、その当時はこんなに遠いところまで通っているとは知らなかった。
「キララちゃん、元気にやってるんかな。
あいつは確か・・短距離やってたな。」
トラックを走る学生を眺めながら、しばし感傷に浸っていた。
今回の巡回目的である学生寮のマンションは、弊社親会社の顧客であるオーナー様から個別で預かっている物件となる。うちが建てたものではない。
弊社で管理している物件のほぼ9割は親会社で建築した物件となるのだが、中にはオーナーから、
「実はこんな物件も持ってるんだが、
ついでにそっちで管理してくれんか。」
という依頼が来ることがあった。
中には他社の土地活用会社と揉めてそれを預かってほしい、というオーダーもあったのだが、さすがにD東やS水の物件を預かることはできない。苦笑
例えば、地主さんが地場の建設会社さんが建てたものとかだと、引き受け可能となり、1割くらいにあたる管理物件がいわゆる他社物扱いとして管理を引き受けていた。
この学生寮もこの地域の有名な女性地主さんが、地場の建設会社に建てさせたものだった。
8階建てのRC造のマンション。
少し年数は建ってはいるもののきちんとしたメンテナンスも施されており、学生は快適に過ごせています、と職員の方からもお褒め頂いた。
こちらは一端、大学側が全戸サブリースの形をとっているのだが、学生に貸す際は家賃を減額して貸し出すという、普通のサブリースとは逆の形態を取っていた。
オーナーも大地主だけあって、地域の名士として社会貢献の意識が高く、この大学ができると聞いて、親元を離れた女子学生も安心して学業に打ち込める寮が必要だろうと大学近くの自分の土地にマンションを建て、大学に提供したのだそうだ。
大学に卸しているサブリース料金も平均からしたら低く抑えている。
いい地主さんといい大学である。
そこに暗い影を落としているのが、過去の飛び降り事件なのであった。
実際に今回の件でも、今後の意向確認を兼ねて近くに住むオーナーさんにさっきお会いしてきたのだが、「あんな高い建物にせんと、もう少し低い寮をもう3棟くらい建てたったら、あの子もあんなことにならんかったのになぁ。そこは悔やんでますよ、今でも。」と言っていた。
本来なら、このマンションだけではなく、あまっている敷地内に2棟、3棟と建てられる計画ではあったのだが、事件のせいで計画が中止となり、無駄に広い敷地の中にポツンと1棟だけ建つ形となっていた。
大学の門から徒歩5分ほどの位置に、そのマンションはあった。
車で来ていたため、少し離れた場所にある駐車場、とは名ばかりの舗装もされていないだだっ広い土地に車を駐車してから、そこからは歩きでマンションへと向かった。
その途中、だんだんと近づいてくるマンションにふと目をやると、何やら人影が見える。
女子学生だろうか、タンクトップをきてハーフパンツを履いている。
何かの競技の恰好だろうか。
ショートカットできりっとした顔をしている。
マンションの1階のベランダで上を見上げているようだが、何をするのかと見ていたら、なんと、2階のベランダへと登ってるではないか!!笑
1階のベランダから器用に手すりに足をかけ、腕を伸ばして2階のベランダの手すりへと手をかけ、腕の力で2階のベランダへと登る。
同じようにして3階の手すりに手をかけ、するすると登っていく。
登り方も本格的だ。反動を使って、危なげなく登っていっている。
ある程度登ると、また上手に降りて、また登るを繰り返している。
よく見ると1階のベランダにストップウォッチを持った男子学生がさっきの彼女を見上げて真剣なまなざしで見守っている。
っておいぃ!!
ボルダリングの練習そこでする?!
ちゃんとした施設、構内にあったやん!!笑
過去にも同じような光景を見たことがあった。
何社か前に居た不動産屋さんで大阪市内のエレ無し4階建てボロアパートを管理してたときに、出会ったベトナム人のグエン君だ。
3階の住人だったのだが、如何せん家賃を払わない。苦笑
毎回遅れる。だんだんと滞納が続くようになっていった。
しかし、底なしに明るい。
話しても通じてるか通じてないかわからない。
「ダイジョブ!ダイジョブー!」が口癖だった。
しかし日本社会はそこまで寛容ではない。
滞納に次ぐ滞納にしびれを切らした某保証会社がとうとうドアをロックしてしまった。(だいぶ前の話ね。今はそこまでしない。たぶん。)
個人的には審査下ろしたおたくの会社が悪いんじゃね?って思ったが。
とにかく、グエン君は正規ルート(入口)自宅に戻れなくなってしまった。
で、仕方なく彼が取った行動はというと、
「おとなしく家賃を払う」
なんてするわけもなく、普通にベランダの手すりを使って器用によじ登り、3階のベランダを第二の出入り口とすることで、日常生活を取り戻したのだ。笑
当時の俺は家賃滞納の件で彼のもとを訪れた際に、あまりにも上手にするする登る様に感心し、怒る気も失せて、登っている最中の彼に、
俺「危ないからさ、はようオー○ラさんに
ごめんなさいして家賃払いなよー!」
と大声でそう語りかけたのだが、
グ「ダイジョブ!ダイジョブー!
国では木登リ上手ダタシー!」
俺「いや、そういう問題ではなくてさ。
そこ、入口じゃないでしょw」
グ「確かにアマゾンのお兄さんモ
困惑シテターヨ!
デモネ、逆に安全ヨ!ドア開かないから
ドロボー入らないネ!
セッキュリティ、バッチシね!」
って言ってた。苦笑
ってか、Amazonは対応するんだ。笑
置き場所・・「3階ベランダ」ww
すげぇなAmazon。
そんな愉快な彼も、もうそのアパートにはいない。
バリバリのオーバーステイかました挙句、ベランダを登る技術を極めてしまったせいか空き巣に手を染めてしまい、捕まって国に帰っていった。
故郷でも、木以外に登ってないことを祈る。
そんな思い出をフラッシュバックさせながら、マンションへと到着した俺は、さすがにボルダリングの選手であってもカラビナなしでそんなことしたら危ないし、そもそも、
『そこ、共用部分だから!!』
ずっと見ていたい気持ちを抑え込み、彼らに注意喚起をしようとして近づいて行ったのだが、何往復か登り降りを繰り返していたその女子学生は5階部分のベランダに上がったとたん、部屋の中に消えてしまった。
彼女の部屋は・・あそこな。覚えた。あとで言いに行こう。
それなら1階の男の子の方に先に声を掛けようと思い、近づいていくと彼はまだストップウォッチを持って上を見上げながらベランダに突っ立っていた。さっそく声を掛けた。
俺「ごめんなさいね。このマンションの
管理会社の者です。
室内でのトレーニングは結構なんですが、
さすがに室外は危ないし、そこ、
共用部分ですので、そういうことは
やめてもらえますか。
5階の部屋のあの子にも言っといてもらえま」
そこまで言って、はたと気づく。
さっきからこの男子学生、俺の話をまったく聞いていない。
ずっと俺に背を向けている。
最近の男子学生は態度が悪いなと思いつつ、
ん?男子学生?
俺はふと、ある事実に気づく。
そもそも、だ。
ここ「女子」寮だぞ。
お前は・・誰だ?
まさかな、とは思いつつも、少しバックしてマンション全体を見渡してみる。
彼が今立っているのはベランダは1階のちょうど真ん中。
103号室だ。
そして、女子学生が消えた部屋はその上の・・503号室。
グエン君じゃないけどそこは今、カギ閉められてるし何ならカギは今俺が持ってる。
君たち、どうやってその部屋に入ったんだ?
手元の資料でもきちんと確認した。
103号室と503号室。
3年前に女子学生の飛び降り自殺があり、現在クローズしている部屋がその2部屋なのだから。
背を向けているように視える男子学生はそのまま微動だにしないし、逆にこっち向かれても厄介なので、もう一度周りを見回して誰にも見られていないことを確認した俺は、とりあえずマンションの入口へと向かっていった。
入る前にもう一度彼の背中を確認すると、トレーニングウェアだろうか、服に名前が書いてあった。
KOUDA・・幸田、かな。
入口に回ると、すぐ横に狭苦しそうな一室があり、そこが管理人室だった。
事前に連絡を入れて、俺を待っててくれた管理人の上田さんにまずご挨拶をした。
上田さんはうちからパートで派遣して、ここに毎日10時から17時まで常駐してもらっているおじいちゃんだ。もともと勤めていた自動車会社を定年でやめ、うちに応募してきた。元営業マンだそうだが、上田さんも陸上をしていたそうなので、ガタイもいい。
学生からも評判は良かった。学生との相性もいいのだろう。
上田「わざわざ、管理会社の方が来られるなんて、
それこそあの時以来ですなぁ。
あのときも来てすぐ気分が悪く
なられた、とかで飛んで帰りはったし。
今回はその件でわざわざここまで
来られたんですよねぇ。」
うーん、すません。
そいつ知ってますが、超絶ヘタレなんです。。
北原「えー、その、うん。
あの時はね、誰もが行くのを嫌がる
なか、私が責任者もしてね、うん、
進んで現地に赴きましてね、うん。
対応したものです、うん。」
って、言うてたのに。。
俺 「お忙しいところすみません。
その際はうちのヘタ、いや、担当者が
頼りなくてすみません。
えぇ、その後の調査です。
先ほど大学側の担当者に会ってきたの
ですが、やはり大学から近いですし、
需要も高いようなので2部屋でも
開けてくれるとありがたいと
おっしゃっておられましたもので。。」
上田「確かにあの事故は痛ましいもん
やったんですけどね。
そのあとですか?何もないですよ。微笑
よう言われるやないですか。
事故物件は何か出る、とか。
私も霊感強い方なんですけど、
ここ3年間なーんも見たこと
ないですわ!笑
大丈夫!大丈夫!」
いや、ばっちりまだ居てはりますけども。
ほんとに霊感強いのかな、上田さん。。
俺 「それはありがたい情報です。
ところで、5階はまぁわかるとして、
1階で死んだ幸田くん?ですっけ、
その男子学生は、
彼氏かなんかだったんですか?」
上田「え、1階で死んだ男子学生?
いや、ここは女子寮ですから、
その前に住んでたのは
もちろん女子ですよ?」
やっちまった。苦笑
さらっとカマをかけたつもりで言ってしまったが、
完全に変な奴に思われてる。
しかし、収穫はあった。
俺のことを不審がってる以上に、さっきまで明るい顔だった上田さんの顔が見る見るうちに険しくなっていくのがわかる。
これは何かある。
上田「会社に報告した資料でも、男子学生の
ことなど書いてなかったはずですけど・・」
俺 「あぁ、すみません。俺、ここ1か月で
80か所くらい事故物件周らされてる
もんで。。
どこかとごっちゃになったのかな。
そうでしたよね、報告書では当時
一階に住んでいたのは女子学生で、
飛び降り事故のあとすぐに退去されて
ましたよね。それから空きですね。
3年前、成績が伸び悩んでいたことと
大学生活で何かしらのストレスにあった
当時503号室に住んでいた山口さんと
いう女子学生が、ちょうど今頃の季節に
ベランダに足をかけて、そのまま
飛び降りた、そう書いてありました。
建物の構造上、1階のお部屋は少し
広くなっており、ベランダも他の階よりも
少し突き出した形になっていたため、
5階から飛び降りた山口さんは一度3階の
ベランダ柵に身体をぶつけ、そして1階の
ベランダに激突した。
その際の頭蓋骨骨折による脳挫傷が
死因でした。
一般的に飛び降りの際は、飛び降り
された部屋を事故物件扱いしてクローズ
するのですが、今回は建物の構造上、
敷地外に落下するのではなく、
真下の103号室のベランダに落下され
ましたので、103号もクローズにして
いると、そういう経緯でしたね。」
上田「そうですそうです。
まぁ、5階からやから飛び降りたら
死ぬこともあるやろけど、洋子ちゃんも
運が悪かったなぁ。
ベランダやのうて、外の土の上やったら、
あるいは生きてたかもしれんのになぁ。」
洋子ちゃんっていうのか、あの子。
報告書には名字しか記載されていなかった。
俺 「確かにさっき歩きましたけど、
敷地は舗装もされてなく、普通の
土でしたね。
あの上ならば、洋子さんももしかしたら、
死ななかったかもしれない。」
上田「ほんとにねぇ、明るい子だったんですよ。
朝会ったときはいつも元気に挨拶してくれ
て。。」
俺 「ショートカットで勝気な感じです
もんね。ボルダリングも得意だったん
ですよね。」
上田「えぇ、結構大きい大会でも良い成績を残し
て、って、桑津さん、なんでそれを?
報告書にも書いてないですよね、それ。
洋子ちゃんの容姿まで。。」
やべっ、またやっちまった。。
上田さん、俺のこと、すげー怪しんだ目で見てる。
めっちゃ検索とかかけて調べてきてる、下世話なやつ、みたいな顔してきたぞ。。。
こういうとき、困るんだよなぁ。
ここは突き刺さってくる視線に気づかないフリをしておこう。
上田「さっきも、1階で死んだ男子学生とか・・
いや、まさか・・桑津さん、なんで
幸田君のこと知ってるんですか?」
俺 「いや、さっき一階のベランダにいたんで、
声かけたんですけど、
無視されまして!」
って言えるかー!!苦笑
さすがに我慢した。余計に話がややこしくなる。
俺 「幸田君は、マネージャー的な何か
だったんですか?」
上田さんの質問には答えずに、しれっと質問に質問を返す。
上田「あ、ええ、まぁ、そうですね。
彼も元々はボルダリングの選手だったん
ですが、練習中に『カラビナ』が外れて
そのまま床に落下してしまって。。
日常生活に支障は出なかったんですけどね。
選手としてはもう。
それでもボルダリングに携わってたいって
いうことで、裏方さんに回りました。
好きだったんでしょうね、あの競技が。
真面目な子でした。」
やはり、そうか。
さっき視えた彼が幸田君だ。
そして話し方からして、3年前の話にしてはかなり前のような話し方をしている。彼が幸田君なら、やはり死んでいる。
俺 「で、その幸田君もも亡くなったと。
でも、落下の時ではないですよね。
落下事故での死亡者は
洋子さんだけだったはずです。」
上田「ええ、まぁ。。
ここではなんですし。
他の学生も出入りして、それこそ事件の
ことを知らない子もいます。
それこそお部屋を見に来たんでしょう?
彼女たちのことは関係ない。
部屋に行きましょう。」
俺 「そうですね。不謹慎でした。
行きましょう。」
上田さんの目にはさっきとは明らかに違う怒りと悲しさが浮かんでいた。
詮索好きな本社の人間、という扱いをされても不本意なので、おとなしく彼の後についていった。
まずは5階へ。エレベーターに乗っていく。
エレベーター内には俺と上田さん以外載ってこなかったし、ドア開いた瞬間、視えるようなことも幸運なことになかった。
503号に到着。
「管理会社都合により閉鎖中」の張り紙もまだ貼られたままだった。
開錠し、上田さんも俺も合掌してから入室した。
俺は事故物件に入室する際、合掌してから入るというルーティンを毎回しているが、上田さんも俺がする前から手を合わせられていた。
良い方だなと感じた。
俺の報告書にも上田さんのことはきちんと評価して記載しておこうと思った。
部屋に入ると、当然ながら誰もいなかった。
さっき洋子さんは部屋に消えたように見えたが、今はここにはいなかった。
入室後まず臭いを嗅ぐ。いつもの作業だ。
もちろん無臭である。
この部屋で死んだわけではないのだから、
当然である。
下水からの返り臭もない。よく換気はされている。
上田さんも当然カギを持っているので、きちんと管理してくれているのだろう。ほんとしっかりとしたいい人だ。
部屋も通常のリフォームを施されたあとにクローズされているので、品質的に何の問題もない。
部屋的にはすぐにオープンにできる。
上田「ベランダに出ますか?
無理はしなくていいですよ。」
俺 「大丈夫です。確認します。」
上田さん、ほんと頼れるいい人だ。
気遣いもできる。
でも、俺は大丈夫。
ベランダに出ると、周りに高い建物がないのでとても景色が良い。
目の前が山、山、山。
雄大な景色に恵まれている。
事故当日は早朝だったそうなので、彼女は朝日を浴びながら飛んだのだろうか。そこまでしないといけなかったのか。
念のため、ベランダから下を覗いてみた。
幸田君もどこかに消えていた。
上田「危ないですよ!落ちてる人が
いるんですから!」
気づいたら、かなり身を乗り出していたようだ。
これで俺には怖いもの知らずのバカ、というレッテルが付加された。
そういうキャラで通すのもいいかもしれない。
ベランダは問題なし。当然だ。
問題あるなら、下だ。
この部屋をクローズにしていた意味がない。
当時の事故対応をしたやつは相当なバカだなと改めて思った。
北原、っていう名前だったっけ。苦笑
またエレベーターでおりて、103号室に向かった。
503号室の入室時と同様、開錠後、合掌。
そして室内に入るが、503号室同様、設備的には何の問題もない。
ただ503号室と違い、空気が悪い。
どちらかといえば、「かなり悪い」状態だ。
換気がしていないとか、管理上の問題ではなく、この部屋にはあまり長居をしたくない。
生気が失われていく。
胃が気持ち悪くなる。
上田「あぁ、桑津さん、あなたも霊感強いん
でしょ?
この部屋に居たくないって顔してますよ。」
バレた。苦笑
上田さん、あなたコミュニケーション能力高すぎだよ。
ってか、これを感じるくらい上田さん、霊感強いのかな。
いや、それはないはずだ。
上田さんはもっと別な理由でこの部屋にはいられない、そんな感じがした。
俺 「いや、まぁ、なんというか。
ここはダメですね。
でも仕事なんで、ベランダも確認します。」
上田「・・わかりました。今まで部屋の確認
すらよこしてこなかった本社には、
正直いい思いはしてませんでしたが、
あなたは、こう、なんか違いますね。
試す意味でいろいろあなたを見てましたが、
誠実に仕事はされる人みたいですね。
ただやはり、この部屋は早く出ましょう。
私もこの部屋には極力長居しないように
しているんです。」
俺 「わかりました。
ベランダは外から確認できますから。
出ます。」
そう言って、俺と上田さんは、後ずさりしながら部屋の外に出た。
まるで熊と対峙した際に、熊を刺激しないように逃げる登山者のように。
さっき洋子さんと幸田君を見た場所に戻る形となった。
外からベランダの損傷の有無を確認する。
事故当時は洋子さんの身体の一部であったものが飛散し、汚損していると報告があったが、今はその痕跡も全くない。
言われてもわからない。事故物件なんてそんなものだ。
ただ、窓の冊子に細かいキズが複数見受けられた。
何のキズなんだろう。よくよく見ないとわからないから、リフォーム漏れしていたようだ。これは気になる。
ベランダの外から、よくよく落下個所に目を凝らしていたのだが、いつのまにか視界の中に、足があった。
ひっ!と、思わず声が出そうになった。
視なくてもわかる。戻ってきた。幸田君だろう。
後ろにいる上田さんも何も言ってない。
そっと後ずさって、上田さんの横に戻ってから、幸田君を観察した。
さっきと同じく、こちらに背を向けて見上げている。
見上げた先に洋子さんはいなかったが。
ひと通り現場調査が終わったので、上田さんにお礼を言い、帰ろうとしたところで、上田さんに呼び止められた。
せっかくこんな遠いところまできたんだし、近くにうまい珈琲を出す喫茶店があるので、そこに行きませんか、と。
上田「あ、でも私も業務中だし、桑津さんも
そうですよねぇ。
ほんまやったら、あかんなぁ。
怒られますよね、本社から。」
俺 「まぁ、あかんいうたらあかんことで
しょうけど、管理人さんはいろいろ
対応されることもあるでしょうし、
今は「本社の人間」と打ち合わせして
るんですから、お茶を出すくらいは、
許容範囲です。笑
とりあえず、離席中の看板出しておいたら、
大丈夫でしょう。
そして何より俺はおサボりが大好きで、
しかも無類の珈琲好きでして。笑」
上田「なんかね、そういうタイプやと
思ったんですよ。笑
では行きましょう。
徒歩で行けます。すぐそこなんで。」
さっきまで俺に対し良い印象がなかったはずだが、少し風向き変わったようだ。
誰だってイヤな奴とは珈琲飲まないし、ましてやそんな奴にうまい珈琲を紹介したりしない。
人ってのはそんなもんだ。
歩いてすぐのところに、その喫茶店はあった。
ログハウス風な店内は、木の香りがして素敵な雰囲気だった。
ヒゲ面のマスターは、定年退職後に念願の喫茶店を開いたという。
趣味が高じて喫茶店を開いたはいいが、すぐに経営難となり潰れるのは世の常だが、ここは地域の人にも愛され、学生にも人気があるといい、心配は無用のようだ。
何よりヒゲ面のマスターは、人懐っこくて愛想がとても良い上に、余計な干渉をしてこない。
ひたすらニコニコ豆を挽き、丁寧にドリップしていた。
そんなマスターが出す珈琲がうまくないはずはない。
俺は一瞬でこの店が好きになった。
上田「ほんますんません。
最初の方は、私もちょっと態度悪かった
でしょ?苦笑」
俺 「いえいえ、普通の反応やと思います。
この前きたのはうちのヘタレで、
何年もほったらかした上に、
本社の人間がまた来た思ったら、
興味本位でいろいろ調べおってからに、
と思われたんですよね。」
上田「え、まぁ、はい。そうです。」
俺 「当然ですよ。普通の反応です。
俺が上田さんの立場でも、
同じように思いますから。
俺は先入観で、お部屋の印象を決めたく
なかったので、俺もこの物件に来る前は
オーナーさんとお会いして少し話した
くらいで、前情報入れずにきましたから。」
上田「え、そうだったんですか?」
俺 「えぇ、人の生き死に関しては、
重く考えています。
それに下手に調べたりしたら、
ちょっと引きずるタイプなもんで。
ほんと、気にしないでください。
上田さんは共用部分の清掃から、
室内の換気、封水等対応につき、
ほんとによく対応していただいていると
思います。
報告書にもきちんとその旨も記載します。
何なら微々たるものですが、時給も
アップするように打診します。」
上田「それはありがたいです。笑
年金もあるし、そんなにいらんのですが、
やはり評価されるのは
何歳になってもうれしいものですから。
励みにあります。」
俺 「いえ、弊社といたしましても、
ここまでしてくれる管理人さんが
いらっしゃることは大きな財産です。
弊社の会長も人材重視でここまで
会社を大きくしましたので。
社の者として、お礼申し上げます。」
上田「いえいえいえ、そんな。。
それにしても、あの事件は身に応えました。
この仕事をさせてもらうようになって、
ちょうど1年くらい
経ったころだったんです。
死んだ二人とは仲が良かったもの
ですから。」
俺 「では、やはり、幸田君もよく
女子寮には来ていたのですね。苦笑」
上田「はい・・すみません。」
俺 「いえ、上田さんが謝ることではありません。
俺も経験があるので、人の事言えません
しね。苦笑」
上田「ははは。
見た目とは違って、桑津さんも
ヤンチャなんですね。笑」
俺 「えぇ、見かけによらず。
いろいろやってきました。苦笑」
ほんと良いじいちゃんだ。
上田さんとは個人的に飲みに行きたいと思った。
上田「こうやって外に呼び出したのはもう少し
話をしたかったからなんです。
これからは守秘義務違反の話になるんで、
ほんとはダメなんでしょうけど、
桑津さんなら大丈夫だと思うので、
お話しますね。」
そう前置きして、上田さんは訥々と事件の話を語ってくれた。
今日みたく真夏の暑い日、ちょうど三年前に洋子さんは早朝自宅マンション503号室のベランダから飛び降りて、この世を去った。
落ちた先は1階103号室のベランダだったのだが、そこには中嶋智子さんという女子学生が住んでいた。
智子さんは洋子さんと同じ学年だったが、学部も違いほぼ面識はなかった。
ただ、二人の関係をつないだ者がいた。幸田君である。
幸田君は当初、洋子さんと同じボルダリング部の活動を通じて知り合い、お付き合いを始めたそうだ。
だが練習中の不幸な落下事故により、幸田君の選手生命は絶たれた。かなりの苦悩があったようで、一時は休学していたこともあったらしい。
洋子さんは彼氏である幸田君を何とか慰めたかったのだが、そもそも勝気な性格の洋子さんが幸田君をうまく慰めることができず、慰めようとすればするほど、幸田君を追い詰めていく結果となっていたそうだ。
洋子さん自身は大会でも好成績を残しており、幸田君からすればそれが心苦しかったのかもしれない。
そんなときに、幸田君のそばに寄り添い、リハビリなど献身的に付き合ったのが智子さんだった。幸田君とは学部が同じで一年後輩にあたるそうだ。
智子さんと幸田君は同じ高校の出身で、智子さんは幸田君が所属していた部活動でマネージャーをしており、かねてから一年先輩である幸田君のことを慕っていたらしく、同じ大学に進学してきたそうだ。
上田さんが語るにも、幸田君は相当真面目な性格だったようだ。
自身の心境を変えるために、幸田君は休学後に選手としての活動に関してはきっぱりとあきらめ、マネージャーとなった。
洋子さんと智子さんとのことも散々迷った結果、洋子さんとの関係も切って今後は選手とマネージャーとして接することを望んだようだが、洋子さんがそれを良しとせず、洋子さんにも圧倒されつつ、智子さんの優しさに甘える二股の状態になっていたらしい。
二股は・・だめだよね・・・五股はもっとだめだよね、うん。
と横道に逸れそうになってた俺を見透かしたかのように、上田さんが突然、
上田「これから話す内容はほんとに
プライベートなことなので、
内密にしてほしいのです。」
再度念押ししたあとで、上田さんは事件の真相について語ってくれた。
後編へ続く
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