旅行の話。
週末から母と旅行の打ち合わせをしていた。
行くのは母でもなければ、俺でもない。
御年90歳になった、祖母なのである。
前々からいきたい、早くいきたいと切に望んでいて、ようやく叶った旅行である。
ただ母や俺に負担はかけたくないということで、質素なものでよい、例えるなら、ツアー旅行で変なオプションを付けられたり、どこか寄り道をさせられたりは勘弁してほしい、たいそうなツアーガイドも不要だ。あと、親戚連中には絶対に黙っていてほしい。
いろいろ注文を受けてはいた。(どこが負担をかけたくない、だ。苦笑
我々にとっては余計に負担になっていた。素直にパッケージ旅行でいってほしかった。)
一番の問題は年齢だったが、上記の理由で祖母の我がままを叶えてくれるところはなかなか見つからないように思えたので、母も俺も、だいぶ前から用意をしていたのだ。
そして先週末、ようやくその機会がやってきたのだった。
旅行の季節からして、もう少し先だろうと踏んでいた母と俺は面食らったのだが、そこは祖母の希望である。
きちんと叶えてあげたいし、今のところ、きちんと実行に移せている。
祖母は本当に幸せものだと思う。
かれこれ20年余り、ずっと望んでいた場所に行くことができるのだ。
やっと、祖父に会うことができる。
祖母が死んだ。
御年90歳。だんだんと体温が下がっていき、夜中の2時に眠るように息を引き取った。
直接の原因は、85を過ぎたあたりに見つかったガンのようだ。
老いてからのガンであれば進行も遅く、また手術にも耐えられないということで、本人にも告知はせず、特に治療もしていなかった。
ただ最近は痛みが出てきていたらしく、その痛みだけは取り除くために、住んでいたサ高住のマンションから、病院に入院をしていた。
このコロナ禍の下で、ここ数年祖母に会うことはなかなか難しかった。
直近で会って話をしたのは、2か月ほど前のことだった。
もとより、もう10年も前から祖母はアルツハイマー型認知症を患い、こちらの世界の住民ではなくなって、記憶の概念が緩い世界の住人になってしまっていたので、あまり率先して会いたいとは思わなかった。
サ高住に移る前は、妄想に囚われて母にも暴言を吐くようになり、母もつらい日々を送っていたのを見ていたこともある。
俺の中で、「旧三国ケ丘中学を卒業して、キャリアウーマンでバリバリ働いて、子ども2人を育てた優しくて力強いおばあちゃん」はもう亡くなっていたのだ。(ひどい孫である。)
一つだけ祖母孝行ができたなと思うのは、2か月前会ったそのときに、ひ孫に会わせてあげられたことだった。
息子に「おっとこ前やなぁ。おじいちゃんによう似てるわー。」
娘に「今年でいくつになったん?そう6歳かぁ。パパに似て、おっきいなぁ」と30回ほど同じ問いかけをしていたのだが、娘は健気に毎回6歳になったと答えてあげていた。
娘を少し誇らしく感じた。
ちなみにうちの嫁には、軽く暴言を吐いてた。笑
祖母の「旅行」に関してだが、生前の彼女のお願いを振り返りつつ、記憶違いであっては取り返しがつかないので、終活ノートなども母と振り返りながら確認したのだが、やはり一環として、
「葬式は不要。必要最低限でお願いします。」
「参列者は本当に身内のみで。ほかの親戚には伝えないで。」
と記載されていた。
金は出さずに文句だけ言う親戚連中から散々悪口を言われるであろう、母と俺のことを少しぐらい慮ってくれてもいいのにとは思うのだが、やはり故人の希望は叶えるべきだと思う。
結局、「小さなお葬式~♪」というCMをしているところに「火葬式」(お通夜やお葬式を行わず、日本の法律を最低限守る方式)で執り行うことになった。
明日、祖母は旅立つ。
母はやはり直接の親であるので、いろいろ思うところがあるかもしれないが、初孫くんの俺はというとさっぱりした気分でいる。
こういうとき、やはり俺はどこか感情が欠落しているんではないかと感じてしまう。
どちらかというと、俺は祖母よりも祖父のことを心配しているのだ。
20年ほど先に旅立った祖父は今、彼方の世界で、あまりいい顔をしていないと思う。
生前も手がかかる祖母の面倒を見て、20年ほど“独身”を謳歌できていたというのに。微笑
「じぃちゃん、ごめんやで。任せたで。」
明日は祖母だけでなく祖父にも心からお悔やみを申し上げるつもりである。
おしまい。
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