10年前の今日。#3
皆さんもそうでしょうが、10年前の事を鮮明に覚えてます、、、、、
僕はまだ美容師アシスタントでした。当時東京の南青山のお店で働いてました。
ちょうど次の週の撮影のモデルさん見つかってなくて、表参道でモデルハントしてました。当時はプレスという雑誌の編集さんとの窓口になる仕事を任されてました。
確か、危機感を覚えた僕は『良いモデルさんを見つけてくるので、自分に探しに行かせて下さい』と懇願した気がします。昼ごはんを食べて、走って原宿の方まで行った気がします。
金曜の週末で、表参道も賑わってました。
なかなか見つからないな〜と一心不乱に周りをキョロキョロしてた中、沢山の女性の悲鳴と共に、地面が波打つ感覚、ビルが今にもぶつかりそうになりながら揺れ出しました。
沢山の人が咄嗟に車道へ走り出してました。
僕はよくわからなくて、そのまま表参道に立ちすくんでました。
その後は多くの人がザワザワし出して、
『東北、やばいよ!!!』と大きな声で同世代ぐらいの若者達が話してるのを耳にしました。
そんな中僕は頭の中が【撮影】しか無かったので、2時間ほどモデルハントを続けてました。
今思うと危機感の無さや、災害意識の低さにビックリします。
2時間するとさっきまで賑わってたほとんどの店が閉店してました。
とにかく店戻りました。
お店は幸いにも地下にあり、揺れが少なく被害はありませんでした。
すでにお客様はご家族と連絡を取ってる方がほとんどでとにかく帰宅困難になる前にお客様の施術を急いでました。お店のBGMもラジオニュースに変わってました、、、
店に戻ってスタッフから、津波の映像を見せられて言葉が出ませんでした。確かその数年前にスマトラ島沖地震にて津波が発生しましたが、海外の事で片付けてました。日本でこんな事が起きるとは…衝撃でした無かったです。
その後帰宅困難になったお客様を避難所へ案内したり、お湯が出なくなった近くの美容院の方へシャンプーを貸し出したりし、深夜に帰宅しました。東京では帰宅困難が増え、遅い時間にもかかわらず歩いてる方が沢山いました。
しばらくは東京は計画停電も続き、ほとんど仕事にはならず、お客様の来る時間以外は電気を消していました。
昨日も沢山のテレビで被災地で活動する方々を目にしました。当時東京の美容室さんも避難所に出向きボランティアカットへ行ったりしてました。
自分も何かしたくて、行きたいですと言いましたが、アシスタントの自分には無力で行かせてもらえませんでした。
10年前の出来事は今後、20年、30年と時間が経っても絶対に風化させてはいけないし、下の世代にも伝えていく事が、日本人の使命だと思います。
そして、災害に対する教訓を生かし、富山でもいつ災害きてもおかしく無い状況です。
しっかり備えて、何かあった時はみんなで協力し合える環境を作っていかなければいけません。
昨日もブログに書きましたが、今自分の店を持ち、去年息子も生まれました。守るべきものが沢山あります。その為にも備えはしっかりしたいと思います。
また今自分たちはお客様へ伝える事が出来るし、【美容】という仕事を通して、気分を上げる事も出来ます。
コロナ禍でコミュニケーションがなかなか取れない、人となかなか会えない中、わざわざ来店してくださるお客様へ何かプラスな事を与えられる様な仕事を日々意識したいと思います。昨日より今日、今日より明日1日1日がより良い仕事が出来る様に頑張ります。
ご冥福をお祈りいたします。
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