白い朝に咲くインタビュー
十二月初旬、メールでのやり取りにて
- まずメンバーの自己紹介からお願いします。
Vo/Gtの河野多恵です。
Baのイイヅカです。1993年生まれの東京都出身です。
ドラムとコーラスを担当しております、シマコと申します。奈良県出身です。
- 結成のいきさつから現在に至るまで、メンバーのこれまでの経歴も含めて教えてください。
(河野)高校の同級生で今とは別の「血眼」というバンド名で結成したのが始まりです。当初はファミレスに集まってなんとなくできたバンド名でなんとなく音楽やってみようという感覚だったと思います。音楽はずっとやりたいと思っていたけど、いろんな活動を通して音楽に対する向き合い方が少しずつ変わってきてたこともあり、バンド名も意味のあるものにしたかったので、そのタイミングで「白い朝に咲く」に改名しました。私はこのバンド以外に所属したことがありません。元メンバーのみなさんが脱退したあとの絶望期には気まぐれにソロ活動などもやっていました。
(イイヅカ)バンド活動に関してはそんなにやってこなかったですが、白い朝に咲くのメンバー募集を見て連絡したら加入させて貰えました笑 白い朝に咲くの活動休止中はswimews等のRECにも参加してます。
(シマコ)白い朝に咲くへ加入する前は一年くらいと二年半くらい、それぞれ別のバンドをやっていて、後者のバンドで白朝とご一緒させてもらって多恵と知り合いました。その一回だけだったけれどぼくのドラムプレイを気に入ってくれて、バンドを脱退するお知らせをしたときに「白朝でドラム叩いてほしい」と連絡を貰いました。初めは断ったのですが、最終的に出演が決まっているイベントの詳細と「どうしてもシマコのドラムで出たい」っていう長文のLINEが来て、そこまで言うてくれるなら…とサポートを受けたのが2017年のI have a hurt企画でした。多恵はその時から既に「白朝はシマコのドラム以外有り得ない」って思ってくれてるんだと思います。その後いつの間にかエックス(旧ツイッター)のプロフィールからサポートの文字が消えたという…。加入するとか加入してってやりとりは特になくて、気がついたら白い朝に咲くになっていました。
- イイヅカさんにお聞きしたいのですが、イイヅカさんは東京在住ですけど加入時も東京在住だったんですか?シマコさんは元々関西にいらっしゃいましたけど、遠距離での活動への参加に不安はなかったですか?それを踏まえても加入したいと思われたのでしょうか?
(イイヅカ)僕は生まれも育ちも東京です。僕が加入するタイミングで白朝の上京の話があったのも含めてメンバーになったんですが、話が立ち消えたので、加入当時からずっと徳島と東京の遠距離バンドですね。
(シマコ)イイヅカが東京に居ながら正規でやっていたのでまぁやれるのかなと思っていましたが、これからも続けていくなら距離が近いに越したことはないなと後々考えるようになりました。徳島に移住することを考えていた時期もあります。それだけ多恵のつくる音楽に惹かれていたし、そこは今も変わりません。
- そうだったんですね。では次に各メンバーの音楽遍歴、影響を受けたアーティストを教えてください。
(河野)小さい頃から音楽は好きでした。ゲーム音楽も大好きで、そういう仕事をしたいと思っていた時もありました。特にバンドに興味を持つきっかけになったのは銀杏BOYZだと思います。影響を受けた音楽はたくさんありますが、映画音楽、宇多田ヒカル、ART-SCHOOL、THE NOVEMBERS、スーパーカー、スマパンは自分の中では外せません。
(イイヅカ)BUMP OF CHICKEN、ポニーテールスクライム、ハヌマーン。
(シマコ)幼少期はピアノやヤマハを習っていました。小学3年生のときにオーケストラ部に入りパーカッションを始めて、中学の吹奏楽部でもパーカッションを。高校・大学は軽音部でした。好きなバンドは?と聴かれたとき必ず挙げるのはLOSTAGE、bacho。とにかく大好きで様々な面で影響を受けたなーと思うのは椎名林檎。ドラマーとして影響を受けているのはLOSTAGE岩城智和さん。同じ大学、部活の先輩であるLEGECKOのヒラタジョッシュさん。
- 河野さんは初めてお会いした時にスマパン好きを公言されていましたね。ちなみに好きなゲーム音楽、映画音楽は何ですか?あとシマコさんはLOSTAGE岩城さんとLEGECKOヒラタさんに影響を受けたと仰られていますが、シマコさんもお二人と同じ三点にライドが右側というセッティングですよね?個人的にはパワフルなプレイスタイルも含めてNIRVANA時代のデイヴ・グロールが重なって見えます。
(河野)MOTHER・FFⅦ・キングダムハーツ・ナイツなど。これらのサントラは今でもよく聴いています。私の葬式では、POLLYANNA(I BELIEVE IN YOU)を流してほしいです。好きな映画のサントラは大体観た後しばらく聴いています。
・マイマザー「Hide / Surface of Atlantic」
・マティアス&マキシム「Song For Zula / Phosphorescent」(多分一番好き)
・ロストイントランスレーション「Just Like Honey / The Jesus and Mary Chain」
・君の名前で僕を呼んで「Mystery of Love / Sufjan Stevens」
・彼の見つめる先に「There's Too Much Love / Belle and Sebastian」
・サブマリン「Hiding tonight / Alex Turner」など。
最近観た「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」はティモシー・シャラメがほんとに歌っててめっちゃ良かったです。サントラずっと聴いてます。そのシーンとか、観た時の気持ちをいつでも思い出せるので好きです。
(シマコ)ここ数年岩城さんはライドの位置が変わっているんですが、試しに自分も変えたらしっくりこなかったのと、右側ライドの見た目がすきなので昔のセッティングを真似っこさせてもらってます。おふたりともデイヴ・グロールに影響を受けていると思うのですが、ぼくはNIRVANAよりも先にヒラタさんに出逢ってドラムってこんな風に叩いていいんやなって衝撃を受けました。LOSTAGEを教えてくれたのはヒラタさんです。それまではそんなに大きい音出しちゃ駄目かなとすら思っていたので、おふたりに出逢わなかったら違うタイプのドラムを叩いていたのかもしれません。
- ありがとうございます。次に白い朝に咲く結成にあたって影響を受けた、参考にしたバンドやアーティストはいますか?
(河野)白い朝に咲くになってからは特にメロディラインが耳に残るシューゲイザーバンドを意識しています。DIIV、The Joy Formidable、Trementinaなど。
(イイヅカ)メンバーの影響でART-SCHOOL等聴くようになりましたが、ベースやアレンジに関してはジャンル関係なく都度好きなバンドから影響を受けてます。
(シマコ)少しでも感覚を共有したく多恵が好きな音楽を聴いてみたりしています。
- 曲作りは普段どのようにされていますか?
(河野)私がデモをメンバーに送って、各自つけたしスタジオで合わせながらという感じです。
(イイヅカ)河野が持ってきたデモにフレーズをつけています。
(シマコ)イイヅカと同じです。スタジオで合わせてみて多恵の欲しいものを聞き取りしつつ、イイヅカのフレーズと擦り合わせたりしていきます。アレンジに関してはイイヅカが色々案を出してくれて助かっています。
- なるほど。現在も河野さんが徳島、イイヅカさんとシマコさんが東京在住という状況の中遠距離での活動をされていますが、普段はイイヅカさんシマコさんが徳島に通う形でスタジオに入って曲作りをしているのですか?それとも交互に行き来して?
(シマコ)現在はライヴ当日に入ることがほとんどです。実はこのメンバーで完全な新曲を作ったことってなくて。 lumino(us)の録音前も三人揃ってスタジオは入っておらず、代わりにプリプロを行いました。元々ライヴでやっていた楽曲ばかりでアレンジもほぼ決まっていましたが、イイヅカとスタジオに入ってお互いのフレーズを擦り合わせしたりアレンジを考えたりしました。 Good Byeはプリプロを行わず、lumino(us)レコ発前に入ったスタジオで確認したり、イイヅカとスタジオに入ってテンポを決めたりなどしました。変更したい場所などはLINEで打ち合わせをしていたと思います。 今、完全な新曲を作ろうとガレージバンドでやりとりしているところです。多恵がアコギと歌で録音したものにその他パートを打ち込んでくれたデータが来て、それを元に編集して全部打ち込みで作りました。まだ合わせていないので今度スタジオでやってみたいです。
- 遠距離バンドとして運営や活動に際して意識している点や気を付けていることはありますか?
(河野)すぐに会える距離じゃないので、何か問題があればすぐに解決できるようにしたいとはいつも思っています。みんなが無理のないペースで続けていけたら一番いいなと思います。
(イイヅカ)みんなのペースで無理なく活動することですかね。
(シマコ)"遠距離だから"という理由で意識をしてやっていることというのは無いかもしれません。でも以前LINEでぼくがイイヅカにきつい言い方をして最終的に多恵が大泣きするということがあったのでいちばん気をつけるべきなのはおそらくぼくですね…反省しています…。報告・連絡・相談、こまめに状況の共有をしなくてはいけないなと感じました…。
- なるほど。では次に昨年リリースされたミニアルバムについて、コロナ禍での制作で苦労した点や印象的なエピソード等あれば教えて下さい。
(河野)昨年リリースした「lumino(us)」は東京と徳島でそれぞれ録音しました。印象に残ってることとしては6トラック目の「生活」に入っているイイヅカが録音した新宿駅の音です。アラームの音や私のギターを重ねて夢の中のような感覚を感じることができると思います。Rec中は徳島でのやり慣れたスタジオで気楽に楽しくできましたが全体的にはかなりの時間を要しました。現代は便利な世の中になり、離れていても作品を完成させることはできましたが、同じ空間で一緒に録ることの大切さを実感できました。
(イイヅカ)全然コロナは関係ないですがミックスマスタリング時がちょうど転職したてで地獄の会社だったこともあり、かなりしんどかった記憶があります。リズムの録りに関しては2日くらいでサクッと終わりました。あとはコーラスを初めて録ったのですが、めちゃくちゃ難しくてボーカルってすごいんだなと実感しました。
(シマコ)エンジニア西村さんがボーカルのピッチ修正をとても丁寧にやってくださったのが印象に残っています。ただ音の高低を合わせるだけじゃないんだなと感激しました。ミックスの期間にイイヅカが退職代行サービスを使って仕事を辞めたことが忘れられません。
- 「lumino(us)」のリリースから一年以上を経てバンドとして何か変わった点はありますか?またコロナ禍を経てメンバー各々のバンドに対する向き合い方や生活におけるバンドの位置づけ、バランスは少なからず変わったりしましたか?
(河野)コロナ以前にこのバンドは私の病気治療その他で2017年のライブ以降活動を休止していました。バンドをやっていない間にもいろんなことがあり、ダンサーのセルゲイ・ポルーニンの「自分が一体何から離れようとしているのかわからない」という言葉を思い出すことが多々ありました。休んでる間は音楽に対しての視野が広くなり、生活の一部にあるものだという意識に変わったと思います。
(イイヅカ)ここに関していうとコロナ禍でというよりは活動休止前と後で大きく変わりました。長い年月活動していなくて、その間メンバーとほとんど連絡も取らないこともあったりして、売れようぜ!!みたいな気持ちから長く続けられたらいいよね、のマインドになりましたね。
(シマコ)2人が触れている通りコロナ前から活動休止していたので、今は先のことを考えながら活動できるようになりお声がけ頂いたりもすることが本当にうれしくてありがたいです。多恵が健やかに楽しくやれる範囲で、でもなるべく立ち止まらずに続けていきたいと以前よりいっそう思うようになったかもしれません。
- 知名度を上げるよりも長く続ける方向に考え方がシフトしていったということですね。確かに僕も長年バンドをやっているので、モチベーションを維持しつつ活動を一日でも長く続けていくことの方がよっぽど難しいということは痛いほどよく分かります。前述からも密なコミュニケーションの必要性は同じバンドマンとして感じる部分ではありますが、モチベーションを維持していくという部分で皆さん意識している部分はありますか?例えばインプットを絶やさないとか。そこは特に大きく変わらずですか?
(河野)日常的にスローペースなのでモチベーションを保つために何か常に考えているってことはあまりないかもですが、今のメンバー2人がバンドを続けていけるモチベーションみたいなとこあります。2人が自分の曲を良いって言ってくれるのがいちばん嬉しくて、そういう時は頑張ろってなりますね。
(イイヅカ)モチベーションの維持とかは特に考えたことないです。やりたい時にやればいいと思ってます…
(シマコ)ぼくの場合は叩かなくなるとどんどん気持が遠ざかってしまうので、スローペースな中でモチベーションを維持することが難しいと感じています。現在はサポートのお誘いがあれば基本的にお受けする方向で検討しています。ぼくは多分ドラムが好きな訳でも音楽が好きな訳でもなくて、ただバンドでドラムを叩くことが好きなだけなので、好きなバンドでドラムを叩かせてもらえたらそれが次のモチベーションに繋がります。
- なるほど、分かりました。あと位置づけとしては一応徳島のバンドですので、参考までに現在の徳島のバンドシーンについて、シーンの動向や変化も含めて分かる範囲で教えてください。
(河野)あんまり関われてないですが、前向きに楽しくバンドやってる若い人たちが多く、毎年継続して開催しているイベントやバンド同士、ライブハウスと一緒に団結してる印象が大きいなって感じです。みんな頑張ってください。
(イイヅカ)ぜんぜんわかりません。
(シマコ)我々遠距離バンドなのでなかなか徳島でライヴをできていないのですが、6月にお伺いして少しお話しさせてもらったら若い方たちがエネルギッシュに関西や関東へも赴いて活動していらっしゃって、それを応援するライヴハウスがあって、イベントがあって、とてもいいなと感じました。
- 確かにイイヅカさんとシマコさんは東京在住なので徳島のバンドシーンに普段触れることは少ないでしょうしね。地方シーンの特色はコミュニティが密で様々なバンドがジャンルレスに交われることがメリットとしてあると思いますが、徳島はそれこそ古くはメジャーならチャットモンチー、Minority Blues BandやHUSHPUPPYのようなメロディックパンク、現在もハードコアシーンでユウレカやGremlin、bowsやtitleといった若手が台頭し頑張っているイメージですが、特に河野さんから見て徳島のライブハウスシーンの特異性というか面白い部分はありますか?前述の内容と重複するかもしれませんが。
(河野)若い頃に徳島でよく一緒にやってたバンドはいなくなったり別のバンドになってたりって感じです。bowsドラムは元メンバーだったり、Gremlinも昔からよく知ってる人たちです。みんな形は変われど音楽は続けてるって感じです。変わらず残ってるのはfuzzy apple storeくらいしか思いつかないですが、fuzzyとは結成当初からよく一緒にやること多くて、お互いにメンバーの入れ替わりやライブの本数も減りましたがマイペースに続けてる感じあります。10代だった頃からお互いに刺激しあったり影響を受け合ったりするバンドだったと思います。今の若い人たちも、そんな雰囲気が感じとれる気がして、6月久しぶりに徳島でライブした時は非常にノスタルジックな気持ちになったりしました。とはいえ最近は本当にライブハウスに行ってないのでシーンや特異性はあんまり思いつかないですが、みんなで続けていけたらいいよねって思います。
- 国内国外問わず、最近注目しているアーティストやバンドはいますか?
(河野)最近はAlvvays、Beach Fossils、Infinity Girlをよく聴いてます。この前大阪でExloversの来日公演を観ることができました。夢のような時間でした…
(イイヅカ)こないだ京都で対バンしたCRAZY BLUESっていうバンドがめちゃくちゃ良かったです。
(シマコ)工藤祐次郎のライヴに行きたいと思い続けています。
- 今後の展望、予定を教えてください。
(河野)バンドを始めてから一度もフルアルバムを作ってないので、今後作りたいと思ってます。白い朝に咲くを今の3人で出来るだけ長く続けていきたいです。
(イイヅカ)もう一発アルバム出してたまーにライブしたいです。
(シマコ)今の3人で作った新曲を入れてフルアルバムが作りたいという話が出ています。次のライヴは12/23 (土)徳島あわぎんホールにて開催される若者たち2023に出演いたします。もう一件、来年の1/20(土)、奈良のエダワカレがレコ発に呼んでくれて久し振りに寺田町Fireloopに出演します。演者としてもこのメンツを一日で観られるのすごくうれしいなと感じるバンドが揃ってます。あと個人的ですが奈良繋がりなのもうれしいですね。エダちゃんはライヴがとっても恰好いいので、我々も負けじと大きな音で美しくがんばります。是非来てほしいです。
- 最後にメッセージ等あればお願いします。
(河野)いつも応援してくださってるみなさんありがとうございます。これからも白い朝に咲くは続いていくと思います。なのでみなさんも、一緒に生きていきましょう!
(イイヅカ)僕、人の名前を覚えるのあまり得意ではないのですが、活休前に連絡くれていた人やライブに来てくれていた人は結構覚えていて、活動再開した時に通販や取り置きでお名前を見るとすごい嬉しくなります。音源を出すことで新しく知ってくださる方も多いので、聴いてくださる全ての方に感謝しています。今後ともよろしくお願いします!
(シマコ)いつも応援してくださってる皆さま、本当にありがとうございます。少しずつですがライヴもやりますのでまたお会いしたいです。今後ともよろしくお願いいたします。まだ白い朝に咲くを聴いたことがない方には興味を持って頂けるよう沢山がんばっていきますので、是非いつか河野多恵の音楽に出逢ってくださいね。
- ありがとうございました。
インタビューを終えて:約三年ぶりのインタビュー企画、再始動第二弾は徳島を拠点に活動する白い朝に咲くのメールインタビューとなります。おそらくここまで公の場で今日に至るまでのバンドの素顔についてバンド自身で語っていただく機会もなかったと思われますが、各メンバーのバックボーンも去ることながら、いかに白い朝に咲くというバンドが河野多恵という一人の才能にあふれたアーティストとそれを愛する二人のメンバーとの絆によって形作られているか、今回のインタビューはこのバンドを紐解く上でも非常に興味深い内容となっていると思われます。また紆余曲折を経て、ともすれば心が折れそうな瞬間を乗り越え、今日までバンドを存続させてきた各メンバーの思いが今現在の白い朝に咲くの素晴らしい楽曲の数々として結実しているのは、一人のファンとして非常に感慨深いものを感じます。と同時に今回のインタビューを通して垣間見れるバンドの姿は今現在ライフワークとして音楽活動を続けている多くの人たちにも重なる部分はあるでしょうし、共感していただける部分も多いのではないかと思います。バンドというものは永遠には存在しない脆く儚いものですが、その反面メンバーの思いが一つとなった瞬間の爆発力は何物にも代えがたい永遠にも勝る感動を与え得るものだと思います。その瞬間をリスナーと共有できることがバンドにとっての喜びになり、活動を続けていく原動力となります。河野さんが最後に仰られた「一緒に生きていきましょう」には、現実は辛いことが多いけど自分の歌が誰かの心に響いてその人にとって救いになったのならそれは自分自身への救いになる、バンドは誰かを生かしそして誰かに生かされる存在なのだから、そんな思いが込められているように感じました。今回のインタビューから伺い知れる白い朝に咲くというバンドの素朴で等身大の姿が、同じように音楽を奏でる多くの人たちに共感と勇気を与え、支えになれば幸いです。
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