医学部を諦めて10年以上経った男の話~浪人編~
まずはこちらもご参照ください。
医学部を諦めて10年以上経った男の話~イントロ~
医学部を諦めて10年以上経った男の話~発起編~
最初に記載しておきますが、この編は以下の結論だけでいいです。
めちゃくちゃ勉強したけど、国立医学部落ちて医学以外の大学いった
何度か推敲しているのですが、その時の決断や思考のプロセスを流れに沿って記載すると、とにかく長くなり かつ 面白くもない。
(かといって、端折ると繋がりが明確にならないので書くしかない。)
後続にさしたる影響もないので、最後の浪人はめちゃくちゃ勉強したけど、結局医学部落ちたという情報だけが、この編で言いたいことです。
長すぎて雑記的な記載方法ですが、ライブ感を楽しんでいただければ幸いです。
浪人編 パート2 開始
理科大学入学を免れた大吉(一人称)は、予備校に通うことを決意する。
どこにいきたいとか好みなどあまりなかったが、家から近いという理由で代々木ゼミナール大宮校に通うことにした。
理科大学を受かっていたことで学費が半額になったからだ。
とはいえ、勉強さえできれば、どこでも良かったという意識があったのは否めない。
医学部なら駿台市ヶ谷だろと思われる情強の医学部受験生がいるかもしれないが、個人的には市ヶ谷が家から近ければ良いけど、わざわざ通学時間かけてまで行くほどではないのでは?と、今でも思う。
結局、勉強するのは自分なんだし。
環境は大事かもだが、それ以上に勉強時間が大事だと思いますね。
コースは2つあったが、下のコースから国立医学部に入る確率は低いとのことだったので、上のコースにした。
医学部ストロングコースみたいな名前だった気がする。
まだ基礎に不安があったのだが、理科大に受かっていれば大丈夫だろうと代ゼミの事務?みたいな人に言われたので、そんなもんかと納得した。
4月までに数ⅢC、化学・生物のⅡとか未修範囲は全て終わらせて代ゼミに通いはじめた。
※余談だが、久しぶりに調べたが代ゼミ大宮校は廃校になっていた。。。
代ゼミぇ・・・
予備校生活について
浪人時代の生活ほどつまらないものはなく、勉強方法とかはここで語りたいことではないので割愛する。
ほぼすべて以下のタイムスケジュールだ。
6:00ー8:00(or 9:00) バイト
9:00ー22:00 授業+自習
24:00ー5:00 就寝
土日祝日関係なく、ほぼ勉強。
バイトは深夜から朝に変えてもらって、授業が1限にない日は9時までやってそこから予備校に通った。
この時の楽しみといったら、
(1) 行き帰りのチャリ通で聞く爆音の音楽
(2) 週刊少年ジャンプ
だけだった。
(1)は、家から代ゼミまでチャリで30分くらいかかったのだが、その間をひたすらMD(MDぃいいぃいい!?)を爆音でかけて突っ走っていくのが楽しかった。当時は疾走感溢れるパンクばっか聞いていたので、リズムにのってペダルを漕ぐのが爽快だった。
(2)は、週刊少年ジャンプを毎日2~3作品ずつ寝る前に読むのだ。ご存知の通り、週刊少年ジャンプは20作品くらい掲載されているので、それを1週間かけてじっくり読むのである。
最初にこち亀読んで~中継ぎにNARUTO。そして最後は、ワンピース!(時々、HUNTER×HUNTER)
毎週、どの順番で読むのかを考えるのも乙なもんだった。
これが浪人時代の自分の楽しみであった。
なんだか、書いてて悲しくなってきた…。
まぁ、それくらいしか楽しみがないくらい勉強に没頭したのである。
予備校の授業は、すごい楽しかった。
これまで、テキストを読みこんで問題集解いての繰り返しだったが、予備校は教えてくれるのである。
それも非常にわかりやすい形で。
点だった知識が線になる感覚は、脳内に知識のガンブリア爆発を起こした。
一方で、偏差値的には70近辺をうろうろしていて、第一志望の医科歯科はいつまでもC判定だった。
センター模試は9割くらいいくのでB判定だったが、ドッキングするとずっとC判定だった。
また、
夏の東大模試で理科一類がA判定が出れば医科歯科受かる
というジンクスが界隈ではあったようで受けてみたが、自分は限りなくCに近いBだった。
この結果に、凹むどころか
ま、国語できねーし
と、楽観視していた。(フラグ)
そんな感じで、成績はS字カーブのように、急激に伸びた後、ある地点から頭打ちになった。(みんな、そうなのかな?)
ここらへんが地頭の差なのか、勉強の仕方が悪かったのか、今でもよくわからない。
「医科歯科は東大を目指している人も志望校として書いてくるから基本はC判定の上位にあれば良い。特徴的な問題だから対策をして本番で点を取れば受かるよ」
と、代ゼミのチューター(学生のバイト)からアドバイスをもらった。
その人は、前期に医科歯科落ちて、後期千葉大学に受かったという人で、
参考になるんだか、ならないんだかわからない人だったが、基本自分に優しい言葉なので信じることにした。
センター試験
あっという間にセンター試験である。
医学部受験生はセンター試験と聞くと、虐待された子供のようにビクビクするのだが、自分はあまりびびらなかった。
というか、試験と名のつくものはあまり緊張しない性格で、かねてから不思議だったのだが、代ゼミの漢文の講師がそれを言語化してくれ、今でも記憶に残っているくらい納得したので記載する。
「試験で緊張するのは、実力以上を出そうとして自分を大きくみせようとするからだ。やってきたことをただぶつければいい。1問1問に集中して、できなければ無理して解こうとするのではなく、とばして良い。」
言い得て妙だと思う。
要は、それまでにしっかり準備しておいて、あとは実力どおりやればよいのである。緊張するのは準備がしっかりしてないからである。
自分が試験に緊張しないのは、それまでに、やるだけのことはやったと思い込み開き直ったとも言える。
そんな感じでセンター試験はあまり緊張せず、むしろ試験会場が東大の本郷キャンパス(いわゆる赤門があることろ)だったので、最高学府への観光気分も相まって
という感じで、受けた。
失敗した。
緊張しないとか、カッコつけてすいませんでした。
確か、国語と政経でしくった。
両方とも他と比べて足を引っ張る科目なのは承知の上だが、それでも模試などでは常にどちらかが8割後半だったが、今回は両方8割前半で大いに平均点を下げてくれた。
結果として9割いかず、8割後半で、医科歯科だと二次で挽回しないといけない点数となった。
夏の東大模試で国語に危機感をもっていれば・・・。
フラグが見事回収された瞬間である。
とほほ センターはもうこりごりだよ~
(アイリスアウト:画面を丸く閉じながら暗転。)
そんな感じでセンターは終わった。
出願校の選定
国立の出願を迷ったので、前述の代ゼミのチューターと事務?の人に三者面談した。
前編で、首都圏の医学部以外受ける気ない、だから医科歯科だ!とか言っていたが、首都圏の医学部は実は他にもあるのだ。
横浜市立大学と千葉大である。
千葉も首都圏なのである。
結論から言うと、前期:医科歯科 後期:千葉 と前述のチューターと同じ道を辿ることになった。
結局のところ、自分は医科歯科の英語(補足だが、医科歯科大学の英語は超長文+最後に要約させる問題があってかなり特殊な傾向なのである。)に対応するため単科ゼミをとるなど、この1年間対策を一定やっていたので、勝負しても良いだろうとなった。元々センターの配点比率が低いし。
一方、後期の医科歯科は理三落ちばかりなので、センターがいってないとまず無理だから千葉になった。
このセンターの点数で、なんだか強気の出願と思われるかもだが、自分は大宮校の医学部ストロングコースでコース内順位で2位の成績だった。
他の人の結果だが、1位の人は医科歯科に、3位の人は東北大に受かった。(順位が公表されるのは3位までだったので4位以降の人は知らない。)
つまり、この出願は残当だと言いたいのである。
後半も出てくるので、1位の人をB君、3位の人をI君としよう。
まぁ、馬場と伊藤だ。
余談だが、自分は年食っていること、また勉強しにいっているだけの予備校で、あえて友達とかつくらないぼっちだったのだが、この二人とは多少からみがあったのだ。
志望校が同じだったし(3位の人は出願時に医科歯科やめた。)皆勤勉で自分も含めて授業は毎回最前列に並んで座っていたから、模試の結果を共有したりと話す機会が多少あった。早めに来た人が最前列の席をとっておくなどの、ゆるい連携もしていた。(もっとも大宮校はやる気ないのか、最前列はいつも空席だった。)
本題に戻る。
そんな感じで国立が決まったが、あわせて私立も受けたほうがいいと提案をうけた。
センターから国立二次試験まで時間があくので、だらけないようにするのと、面接試験も国立の前に練習しておいたほうが良いというわけだ。
俺は渋った。
なぜなら、私立に受かってもいけないし、何より私立の医学部は受験料が6万もするのだ。
通常の大学の約2倍以上、自分のバイト2ヶ月分である。
チューター&代ゼミの事務?いわく、3~4つは受けたほうが良いとなった。
全部で18万~24万・・・・
と思った俺は、バイトで貯めてきた貯金と、これからかかる国立の入学金などをソロバンではじき出し、私立の医学部は受けられてもせいぜい2つだけと結論づけた。
慶應医はもともと受けようと思っていたので、まず1つ。
私立の医学部の中でも慶應が学費最安だったので、奨学金借りまくれば、かろうじていけるかもしれなかったからだ。
元々慶應以外受けるつもりなかったが、チューターと事務の人にゴリゴリおされて、あと1つ日本医科大学を受けることにした。
偏差値の近しい慈恵会医科大学と迷ったが、日本医科大学のほうが試験が早かったし、確か学費も多少安かった。
さて、それ以外の大学である。
前編で親に
「来年は医学部以外もいっぱい受けるから
という理由で1年間、追加で浪人させてもらった。
(何でもとは言っていない。)
慶應の願書は医学部を受けるので自分で手配したが、親はご丁寧に早稲田と岐阜薬科大学の願書を用意していた。
なぜ、岐阜なのか今だにわからない。
中期日程で受けられる薬学部は上位互換で名古屋市立大学もあったが、より安全パイにしたのだろう。
なめられたもんである。
なめられたといえば、センター利用で、早稲田か慶應だかの文系学部に受かっていたが、これも前編のように焦った親が入学金を入れようとしたが、全力で止めたのを覚えている。
とにかく、20歳までフラフラしていたバカ息子が、早稲田か慶應に受かっただけで親は浮足立ったのである。
試験は水ものだからと、偏差値でいくら判定出ようと信じない。
正直言うと、医学部以外受けるつもりもなく、上述の約束をうやむやにしようと画策したが、最終的に親にキレられ渋々何個かうけることになった。
理系であれば順当にいけば理工学部なのだが、前編で兄が言った
「年食って大学いってもまともな就職先がない」
とのことであれば、理工学部よりも、手に職つけられるものが良いかと、早稲田は教育学部にした。
学費が高いわりに理工でやりたいことが特にないのも理由の一つだ。
慶應医学部
日本医科大学医学部
早稲田教育学部
と、私立はこの3つ。
それ以外受けるつもりなかったが、医学部以外が1つしかないことに親が激怒してもう1つだけ受けることになり、
慶應 環境情報学部
を受けることにした。なんの学部がよくわからなかったが、英語と数学で受験できるため、ここを受けた。
記憶が曖昧だが、確か、教育学部を出願した後、早稲田の願書とかもう捨ててしまったので、
慶應で他に受けられるところないのか?
と親が発狂し、他に経済学部とか商学部とか英語・数学(あと小論)で受けられるところもあったが、
ここまできて文系はイヤだった
ので、なし崩し的に環境情報学部になった。なんとなく理系っぽいし。
慶應の他学部というと、当時薬学部はなかったし、看護医療もあったが避けた。
ここらへんは言葉選びが難しいのだが、正直、医学部目指してた人がダメで、看護に行く人ってどれくらいいるのだろうか?
いたら申し訳ないが、俺には無理だった。
一生職場で、なれなかった医師という職業を目の前にして、かつ指図を受けるとか我慢できないと思っていた。
だから看護医療はあえて受けなかった。
医学部でなければ医療系は、すっぱり諦めたほうがよいと考えていたのだ。
(改めて書く必要もないかもだが、慶應の理工は物理受験のみで、私は生物だから必然的に受けられない。)
とまぁ色々書いたが、この時の自分は、よもや医学部以外いくとは思っていなかったので、医学部以外の出願はかなり適当だったことを追記しておく。
私立を受けるよ
正直、医科歯科と慶應医学部以外は、あまり真剣に対策をしなかった。
受かっても行けないし、医学部以外なら受かっても嬉しくないからだ。
確か、
日本医科大学 一次
↓
日本医科大学 二次
↓
早稲田 教育
↓
慶應 環境情報学部
↓
慶應 医学部
の順に試験をしたと思う。
日本医科大学二次の発表が、早稲田の試験前にあったことだけは記憶している。
日本医科大学で合格もらえたので、より一層医学部以外の試験に対するモチベーションが上がらなかった記憶がある。
また、受かると調子にのるので、
このまま国立もいくんじゃね?
と謎の無敵状態になる。
なので、慶應医学部+国立二次の対策をしたかったから、それ以外の受験が時間がもったいないとさえ思っていた。
例えば90分の試験だったら60分位で終わらせて(解けたわけではない。わからないものは全部空白。)途中退室とかもして、イキりちらしていた。
途中退室できない場合は、あまった時間を粘りもせず寝てた。
落ちても別にいいと思っていたからだ。(幸か不幸か全部受かった。)
ただ印象的には、非医学部の場合、早稲田は嫌で、慶應のほうがいいと感じていた。
試験会場の、高田馬場が汚く三田がキレイだったからだ。
あと、早稲田の試験会場でやる気のない受験姿勢が原因なのか、試験監督を通して近くの受験生からやたらと注意された。
確か、寝ているとか、頬杖ついているひじの音がうるさいとか、揺らしてもないのに机を揺らされているとか。
後にも先にも、こんなことで注意されたのは、この大学だけである。
そんなこともあって、早稲田の人とは、なんとなく合わなそうだった。
(注意した人が受かったかどうかは知らないので、早稲田にいる人全員そうだと決めつけるのはよくないが、暑苦しいまでの愛校心は、どこにいっても帰属意識の薄い自分のような人間とは合わなそうだったことも追加しておく。)
各試験の記憶はあまりないが、そんな中でも鮮烈に覚えているのが、
日本医科大学の面接だ。
年食って受けた医学部の面接なのでこれまでの経歴を聞かれたが、バイトしながら予備校に通っていることを言うと、苦労しながら受験している姿勢にひどく感動されたのだ。
え、なにこの人たち、優しい
と驚いたもんである。
私立大学の医学部教授なんてボンボンしかいないだろ(偏見)と思っていただけに、自分の金欠状況なんて共感されるとは思ってもいなかったのだ。
最後に
「受かった場合は、それなりに学費※かかりますが、大丈夫ですか?」
※当時、日本医科大学も私立医学部の中では慶應の次くらいに安かった。(安くはない)
と聞かれ
息を吐くようにうそついた
全然、大丈夫じゃない。
「奨学金もあるので活用してください」みたいなことも言われ、バンバン受かるフラグをもらって、案の定正規合格できたが、結局、入学金すら払えず辞退することになった。
あの時は、
「ケッ、受かったところでいけるわけねーだろ。くそボンボンどもが。」
と毒づいていたが、昨今、医学部の入試で年齢や性別による差別が横行している中で、これだけフェアに扱ってくれる大学も珍しいと思う。
自分も、20歳から受験はじめたとはいえ、実質3浪なのに普通に合格をくれた。
日本医科大学は、素晴らしい大学だと言い切れる。
それにひきかえ慶應である。
正直、試験はできた。
慶應医学部の特徴として、英語と数学が難しく、理科が簡単という現役に有利な試験形態なのだが、この年の数学は相性が良かったのかよく解けた。
慶應は数学がネックだっただけにこれが僥倖だった。
確か、図形や整数問題が時間内に終わらないようなやたらと難しい(これも、現役で受けにくるような中高一貫高の豊かな教育を受けてきたご子息・ご息女が得意なジャンル)のだが、2つともその年は解きやすかった。
お、いったか?
と思ったが、逆にこっちは一次で落ちた。
慶應は浪人(特に自分のような多浪)に厳しいとか聞いたことあったので、成績開示すればよかったと今でも思う。
はい・・・すいません。純粋に皆解けたってことすね。
ちなみに、大宮校では、同じ医科歯科受けるB君も落ちて、I君が一次に受かっていた。(残念ながら、二次で不合格。)
問題の相性的に、理系が強い東北大に近いのかもしれないですね。(適当)
国公立を受けるよ
前期、大本命東京医科歯科大学。1日目筆記、2日目面接という構成。
筆記に関しては
という感じで飛ばします。デキに関しては、五分五分。
2日目面接。
1人5分程度というやる気ない面接。
逆にいうと面接を重視していない感じが、俺みたいな多浪生にとっては、ありがたい感じ。
聞かれたことは、
・自己紹介(経歴)
・医科歯科を志望した理由
・脳死について知っていること
この3つだけだった。
日本医科大学で味をしめた、苦労話を交えた経歴をはなす。
すん という感じ。
イヤに、食いつきが悪いことだけ覚えている。
医科歯科を志望した理由
などと言えるわけがなく、大学のカリキュラムを軸に、臨床医を目指す上で最高峰の大学だからとかそんなことを言った。
これも、すん、と言った感じ。
最後、「脳死について知っていること」についても医学部受験生にとってはベタな質問だったから、脳死の定義や判定基準などを言う。
ここで面接官から
「それだけ?他には?」
と言われる。
お、圧迫か?と思うも、
「脳死と移植についてどう思うか」
の追加質問。
これも医学部におけるベタな質問だったので、
・自分は脳死は死と考えていること
・生命とは次代へつなげる継承が本質であること
を交えて、脳死患者の移植に賛成の旨を伝える。そうすることで、臓器を通して自分の生命が受け継がれていくと思うからだ。
うまいこと言ったた(どやっ)
という感じだったが、
これも、すん、で終わる。
全般的に感じ悪い面接だった。
予備校でさっそく解答速報もみたが、受かったか落ちたか、いまいちわからないまま終わって、休む間もなく中期の公立を受けた。
岐阜までぇえええぇえええ。
岐阜薬科大学である。
朝イチで名古屋までいき、名古屋から電車で岐阜県までいき、そこからバスでようやっと着いた。3時間以上かかったと思う。
岐阜
※画像はイメージです
「岐阜・・・やべぇな」
という感想しかなかった。
今でこそ、戦国好きとしては岐阜とか最高だろ!と思うのだが、当時の青少年大吉は、その田舎っぷりにド肝を抜かれた。
しかも試験も、数学と化学だけだったので、試験時間よりも移動時間のほうが長い
とっとこ切り上げ、名古屋でラーメンを食べた記憶がある。
そして何より、この日に東京医科歯科の発表があって、家につくなり確認した。
落ちたあああああああああぁ!!!!!!!!!
落ちると、今まで頑張ってきたことが走馬灯のようにながれてきて、頭の中がカーっとなり、現実なのか夢なのか区別がつかなくなる。
呆然・・・ともしてられない、数日後に千葉大学の後期があるので、その対策をしなければならない。(前期終わってから、ぼちぼちしていたが。)
が、どうだろうか?
多くの受験生がそうだと思うのだが、第1志望の前期に落ちて、後期にどれだけ前向きに取り組めるだろうか?
しかも、千葉である。(失礼)
振り返ると、ここらへんが、自分のダメなところだなと思う。
本丸の希望が通らないと、気持ちの立て直しに時間がかかってしまうのと、最後まで諦めずに踏ん張りが効かなくなるところだ。
なんとか振り絞って代ゼミに行くと、医科歯科に受かったB君と東北に受かったI君がいて、言葉少なに励ましてくれたような気がする。(あんま覚えていない)
他にも前期で合格決めた人がいて、続々貼られる祝合格の名前一覧に、羨ましいやら妬ましいやらの気持ちで、後期試験まで予備校の自習室にこもり勉強していた。
確か、前期が終わったここらあたりで、慶應と早稲田の入学金の〆切日がきていたと記憶している。
親にどっちにするか決断を迫られ、上述の理由で早稲田よりも慶應の印象が良かったので、慶應のSFCに入学金をいれてしまった。
もう、後には引けない。
千葉に落ちたら、必然的にここに行かねばならない。
焦りが、日毎に増してくる。
そして、ここらへんの記憶がすごく曖昧なので、千葉大の後期ってなんだっけ?とカンペでHPをみたが、今、千葉大って後期試験しっかり「英数理」と二次試験をやるのね。
自分の時は、総合問題+面接だったと思う。
英数理とか、やってないのは確か。
総合問題が英語+生物のような問題なので、生物受験の自分にとっては有利だったような気がする。
そんな千葉大の後期だが、こちらも面接だけ覚えている。
千葉の面接は、10分×3回で、ベルトコンベアのように終わったら、パーテーションで区切られた、次の面接官のいるところへと流れていく面接形式。
対応も、優しい、普通、厳しい、みたいなそれぞれ変えてくる内容だ。
聞かれたことも確か
・経歴
・志望理由
・医者になってやりたいこと
・僻地医療についてどう思うか
・なぜ千葉か?
のような感じだったと思う。記憶にあるのが、
「なぜ千葉か?」
という問いが、厳しい対応の面接官だったようで、これも大学案内の内容から千葉大の特徴と自分のやりたいことを重ねてつらつら語ったら
「ふーん。
じゃあ、なんで前期受けなかったの?」
至極、ごもっともな質問がきて焦ったことは覚えている。
「千葉だからだよ!」
とか言えるわけもなく、しどろもどろになりながら、医師として重要なのは向上心だと思うので、偏差値が1でも高いところ目指し医科歯科を受けた、とかそんなことを言ったが、今でもこの回答はよくないなと思う。
結果として、千葉大を貶めているから。
かと言って何が正しいか、今考えてもわからん。
旦那~ そんな意地悪なこといわないでくださいよ~ このこの~
とか、ひじでクイクイやればよかったのかしら。
案の定、この後千葉大も落ちることになる。
面接というよりは、センターの悪さを筆記でカバーできなかったことが一番の原因だと思う。
実は、この裏で、もう一つ重大な出来事があった。
後期試験が終わった日に、ある事件が起きた。
この近辺の記憶がひどく曖昧なのは、この事件の衝撃が大きすぎて記憶が全部そっちにもっていかれているからだ。
その話をする。
全ての受験終了後に事件発生
千葉大学の後期試験日、ある人に呼び出されたのだ。
当時付き合っていた彼女だ。
勉強一辺倒の灰色の予備校生活の中で、大分存在感が薄れてきたが、まだ付き合っていたのである。
自分としては、医学部の試験がうまくいっていない状況で、とても会う気分ではなかったが、一応全て終わった節目ということもあり会うことにした。
千葉大学から帰った大宮駅で会い、開口一番
「別れて欲しい」
と切り出された。
当時は、
「え? 今、そんなこと言うかね?」
と半ばキレ気味だったが、こうして振り返ってみると、やむ無しだったなとつくづく思う。
一年間、ずーっとほっておいたのだ。
自分の夢のために。
勉強に集中するため携帯も解約したから、連絡なんかほとんどしていない。
季節ごとに1度だけ会う約束もしていたが、結局、勉強を言い訳に、全部反故にしていた。
それでも、彼女なら理解してくれるだろうと都合のよい解釈をしていたが、まぁ、そんなわけない。
こんな甲斐性のない男を見限るのは、ある意味必然だった。
ただ・・・
何の言い訳にもならない、非常にバカバカしいことかもしれないが、
当時の自分は、
将来、無医村のような田舎で小さくても病院をひらいて、
彼女と一緒に死ぬまでのんびり過ごすことを夢みていたのだ。
むしろ、それしかなかった。
そのために、ずっと勉強してきた。
眠い目をこすって早朝のバイトにいき、尻が痛くなるまで自習室にこもったのは、全部そのためだった。
それがすべて、なくなろうとしていた。
「医学部に受かろうと落ちようと別れるつもり」
と、後期試験の発表を待たず言いにきた、彼女の決心の強さがそこにあった。
そう、俺が医者になるなんて彼女にとってはどうでも良かったのだ。
勉強ができなくても、アホでも、一緒にいられればよかったのに、それすらできなくなったことと、今後も事あるごとにこうなる予感が彼女の決断をより強くしたようだった。
その後、どうやって帰ったのかも覚えていない。
家に帰ると、岐阜薬科大学の合格通知と入学案内が届いていた。
俺は、ひどく苛立った。
いきたい医学部は受からない。
どうでもいい大学ばかり受かる。
欲しい物は何一つ手に入らない。
むしろ、スルスルとこぼれ落ちていく。
そんな現状に怒りが湧いて、八つ当たりのようにその入学案内を破いて捨てた。
それから数週間ぼーっとして過ごした。
なんで医学部なんだっけ?
なんで医科歯科いきたかったんだっけ?
なんで、やりたくもない勉強をこんなにしたんだっけ?
とか、この浪人時代を振り返っていった。
その間に千葉の後期不合格となっても、医科歯科ほど感慨もなかった。
ただ医学部への道はなくなったことで、将来に対するぼんやりとした不安があった。
全てが終わり、全てがなくなった。
悔しさはあったが、性も根も尽き果て、あと1年頑張る気力が湧かなかった。
何より、俺にはもう頑張る動機がなかった。
もうどうでも良くなった自分に音楽が流れていた。
Oasis の 『Don't Look Back In Anger』だ。
だからこの曲を聞くと、今でも当時を思い出して泣けてくる。
So Sally can wait, she knows its too late as we're walking on by
だからサリーは待ってくれる、並んで歩くには遅すぎるのを知っているから
Her soul slides away
彼女の心は離れていく
夢も、彼女もなくした自分に、唯一残されたのは
慶應への片道切符だけだった。
でも、怒りに変えちゃいけないって聞いたんだ。
(続く)