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【鬼自分語り】コミュ強小学校時代

こんにちは。

クソ人見知り幼稚園時代を経て小学校に入学しました。同じ幼稚園の子はかなり少なく不安100%で入学したのですが、入学式当日に前後左右の子たちとすぐに友達になれきゃっきゃしながら過ごしていました。

しかし、親と離れる不安は小学校に入っても抜けず耐えられず給食中に泣き出したこともありました。「先生〇〇ちゃん泣いてるー!」とクラスの注目を浴びてしまいましたね。先生には、「お母さんが家にいるかふあん」とこぼしていました。友達ができたといえど親と離れるのはまだ不安で、玄関先でよく
「お母さん薄くなってついてきて泣」と言っていました。薄くなって?ペラペラ?死ねと言うのか?という感じで子どもはユーモラスで面白いですね(自画自賛)

また小1の頃は朝礼中直射日光浴びすぎて普通に熱中症になって教室でゲロ吐きました。最悪の思い出〜
〇〇先生すみませんでした。クラスのみんな、いじめないでくれてありがとう。

そんな小学校低学年を過ごしましたが歳を重ねるにつれ、交友関係も広がり友達も多かった方だと思います。

先生も先生で「とりあえずグループ作る時はこいつになんとかして貰えばいいか」と思ったのか、日本語が分からない韓国からの転校生と同じ班したり、バチバチしている女の子2人と同じ班にさせられたりなど結構いいように使われていたなと今では思います。

そんな感じで過ごしていたので何となく人に嫌われない立ち回りをこの頃覚えました。しかしその弊害で他人同士のトラブルの相談を聞いていただけなのに、喧嘩に巻き込まれていることもありましたね。巻き込まれキング。

好きな男の子含めた男女6人グループで交換ノートをしたり、旅行に行ったらお土産を渡し合おう!という謎の条約を作ったりなど、男女で仲良かったのはこの頃で最後だったかもしれません。すごいなあ、過去の私。感嘆。

あと私は兄がいたので兄の女友達に遊んでもらったり、習い事の英会話で1.2個上の皆さんと一緒のレッスンに入れてもらったりなど年上と関わる機会も多かったですね。すごいなあ、過去の私。感嘆。2

人見知り泣き虫でしたが、確実に肝が座り出したのがこの頃だったと思います。見た目から大人しそうだと思われがちでしたが、祖父と喧嘩した日には捨て台詞を吐いて裸足で帰ったりとかなり気が強く育ってしまっているなあとも思います。
繊細さと大胆さを併せ持つハイブリッドガール。なんかこれエンタの神様出れそうですね。


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