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27歳無職が痔で入院したレポート・2日目

 飯の時間だ、と歓喜した。

 前日夜から丸一日以上食事を摂っていなかったので、ご飯だけが生きる楽しみになりつつありました。

再三のナースコールで鎮痛剤を二回使用したにも関わらず、

痛みで1ミリも動きたく無いことに気付きます。

 ——病院いいな。弱い存在のままでいられて。我慢したりしなくていいしみんな優しいし。

そう思いながら用意されたお粥と味噌汁を口に含んだところオエちょっと待って全然気持ち悪いマジで無理これはという謎の“もたれ”が食道と胃のあたりに襲いかかります。

だから秀吉も言ってただろ!腹減ってる時にいきなり食うと頓死するって!


目の前のカロリーに対して我慢できないタイプのデブだったのでハムハムハフッと頬張った結果の因果応報でした。

吐き気を我慢しつつ、夜中眠れなかった分を取り返そうとベッドに横になるものの、寝ついたところで看護師さんが入ってきて点滴を交換していくので微妙に熟睡できず、あまつさえ落下する夢を見てビクってなって全身を強かに擦り上げた結果ケツへのダメージも拡散するという地獄を垣間見ました。

 昼食も同様にロクに食べられず、痛みにもはや怒りさえ覚えるようになってきます。


逆に考えるんだ。痛いだけだと。


傷はもう塞がっていて出血もない。手術は無事に成功し、私が介入する余地はない。
理論上、計画上は今日の時点でもうカテーテルを外して自分でトイレに行ったりできるはず。
出来ていないのは私が「痛い」と感じているだけにすぎない。
であれば心を殺して起き上がるべし。
そう立派に思い込もうとしたのですが人生過去最高レベルの痛みに決意は容易く折れていきます。
起きかけた上体をゆっくり倒し、私は半べそで再び布団の中に潜り込みました。
人はケツの痛みの前では等しく無力。

 あととにかく風呂に入りたかった。

ホテルの布団で汗だくになるタイプのデブだし、空調程度でナースコールするのもなんだか忍びなく、春の陽気に暖房をガンガンつけて汗だくでリネンにくるまるとかいうセルフ苦行を練り上げていたのでとにかく気持ち悪い。

けれども、さっさとカテーテルを抜いてもらわないことには起き上がって気分転換することすらできないわけです。本当に1ミリ身を捩るだけでも人生すべてに絶望するし、ゲームや読書も集中力がいるので、いざ手に取っても痛みに気を取られます。目の前にある物語より現実の苦痛の方が切羽詰まった状態にあるのでね。知るか。何がカルマ協会だ、何がウォルホート家だ。

ケツの痛みも知らん奴等に寄り添う余裕なんてありません。

やることがないのでひたすらヒルナンデスを見ながら唇の皮を剥いていました。

 痛みを考察する中でだんだん気づいてきたんだけどこれガーゼが食い込んでるんでは?と看護師さんに詰め寄ると、事実そうでした。正確には止血用の棒状の何か?(棒状の何か????)が中で血を吸って開花し自然と排出されるまでどうしても違和感があるだろうとのこと。何だそのハンターハンターのアイテムみたいな説明は。

どうやら私から摘出された

“死”(便宜上こう呼称します)

は、長年育てただけあってそこそこの大きさに成長していたらしく、そのデカブツを除去した痛みは当然あるだろうと。もしかしたら入院が長引くかもしれないし、鎮痛剤の回数も普通より多いよとのことでした。ふざけんなよ。ケツの中に神経通ってないって言ったじゃん。(※言ってません)

 結局昼を過ぎても相変わらず痛みで動けず、例のベテランの看護師さんにオムツはかされてる時は流石に「これ立場逆やろ」と思ってしまいました。
子供の頃嫌がらせでおしっこ漏らした時もこんなに手取り足取りオムツ穿かされたことないよ。
マジで歩けないんですよね、トイレに行こうにも名月江ノ島おどりみたいな動きをしないと体を支えられないんです。

 その後は両親が来てくれて、一時間くらい話したので多少気が紛れました。
一人は慣れていたのですがこの日ばかりは話し相手がいることに救われました。


「もう無理だよ」「死ぬんだよ私は」

と弱音を吐く私に、両親は自分達が入院した時の話でマウントをとってきました。全員尿道カテーテルの経験があった。
風呂どころか洗顔もままならなかったので正直色々持ってきてもらって助かりました。

両親と話している間にも痛みは我慢できず、何度目かのナースコールで鎮痛剤を点滴してもらい、ウトウトしてきたところで二人とは別れました。

 気落ちしていたのが伝わっていたのか、夜間はやたら話しかけてくるフランクな看護師さんがやってきました。
お陰でケツで入院しているにも関わらずカレーの話をしてしまいました。
看護師さんは「絶対良くなるよ」と何度も励ましてくれて、かっこいい職業だなぁと思いました。
ぜひこういう人たちは沢山のお休みとお金を貰ってほしいです。
ちなみにこの病院、若い人はやたら美人が多いです。院長の趣味ですね、わかります。

 その後、19時くらいから再び激痛の波が襲ってきます。多分今までで一番のさらに上の痛みでした。

何がどうという具体的なイメージはありませんが『火かき棒』『削岩機』『ガトリング』という言葉が脳裏に浮かびました。


生きる希望になる筈だった食事をとれていないこともあって自分の心身がどんどん憔悴していくのがわかりました。ふと鏡を見るとまさしく紙のような顔色をした自分が写っていました。

 全てを諦め気絶するように眠るなかで、何となくケツから悪いものが抜けていく感覚がありました。死んだんでしょうね。

肛門の魔物みたいなものが。


一時間ほど経って、岩合光昭の世界ねこ歩きの為に起きたところ峠は越えたような気がしました。
全ての物事には絶頂期と低迷期の波があり、上まで行くとあとは下がるのみ、というのが私の哲学ですので、この時大分安心したように思います。

 何が辛かったってAMEMIYAのクセすごネタで笑うとケツが痛むのが一番嫌でした。

 ある程度痛みが落ち着いてきたところでさっさと自前の睡眠薬を飲み、朝再び痛みで起きるまでは、ぐっすり眠ることができました。



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