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おとなになったと思ったら、子どもの時より迷子になっていた。 #20181022

気持ちが悪い。
やりたかったはずのことから、気がついたら自分からかけ離れていっていると、責任は自分にあるはずなのにどうしても気持ち悪さがある。

この気持ち悪さの原因を、他人になすりつけることがなくなった分、おとなになったんだろうな。
でも、いつもまにか自分がやりたかったこととか、こうしたいっていう主張とか、意思とか、気がついたら殺してたんだ。大事だったはずなのに。おとなになるってこういうことだったんだね。

自分に弱点があるのはわかっている。共感性がどれだけ高くても、理解を深める努力は怠ったらいけない。そうやって理解してないことに自分が気づかずに、わかった気になったまま、いざ訊かれると自分の言葉で話せないんだ。
そうやって生きているから、自分で一から作ったみたいな自身がなければ、簡単に揺らぐ。言い返せば、自分の意思と行動に裏付けられた揺るぎない自身を持つことが、僕にとっては本当に大事なことなんだろうな。

船を漕いでいるような感覚だ。

どれだけがんばっても、流れに沿って進んでいなければ、大した距離は進まない。だからといって動かさなければ流されるし、目的地を決めなければどこに向かうように漕ぐべきかも分からない。

遭難。って言葉がぴったりだ。

子どもの時はよく迷子になっていたけど、おとなになってからの迷子はタチが悪い。なんせ「自分が迷子になった」ことに気づかない。迷子になっていたとわかったときには、だいぶ取り返しがつかない。それはもう迷子じゃなくて、遭難だ。


残り2ヶ月しかなくて、それまでになんとかゴールを決めてたどり着かないといけなくて、焦る。この半年で進んだ距離のあまりの短さに絶望して、泣きたくなる。
それでもなんとかして、たどり着かないといけない。
そうしないと、自分で進みたいと思ってやっとの思いで掴んだ、人生の本編まで台なしにしてしまうのだ。

あさってまでに、目的地を決める。
それを阻むものがあるなら、一度全部捨てよう。
人生かけてやらなきゃいけないのだ。
そうしないと、ほんとうに死んでしまうのだ


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