山で淹れたてのコーヒーを
先日おおいに迷いながらも山歩きについての記事を書き、それに対して反応をいただき、いろいろ考えていたらまた記事を書いていました。
以前にも触れましたが、私はコメントをいただいても、それにうまく反応できない人間なのです。なぜだろう。学生時代にやっていたブログみたいなものでもそうでした。
とても嬉しいし、読ませていただくと気持ちがあたたかくなるけれど、とてもとてもありがとうと思うけれど、それを「返信」という形にすることができない。
だから私は記事を書きます。だから…なのかもしれません。これからもきっとそうでしょう。
もしも嫌な気持ちになった方がいたらごめんなさい。「自意識過剰なやつ」「勘違いしてるやつ」と思われた方もいるかもしれません。そんなことを考えると、私は恥ずかしい気持ちにもなります。実際、恥ずかしいやつなのかもしれません。
でも私は思うのです。
中途半端な形でパッケージしてしまうと、それはもう私の伝えたかったものではないし、そんなものを「ありがとう」と思っている相手に送りつけたくなんかない。
パッケージだって中身と同じくらい大切で、全部含めて「それ」じゃないか、と。
ひとりで自分ペースで楽しめるもの。そうです、そうなんです。
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まるで足跡になるような汗をポタポタと落としながら山を登る。
虫の羽音に何度も動悸を乱され、泥に足を取られて転び、怪我をしていないことに安堵し、羊羹を食べて元気を出し、また歩く。
まとわりつくような湿気に身体はベタベタと濡れて気持ち悪い。ついさっきタオルで拭いたはずなのに、おなかも背中も脱水前の洗濯物みたいになっている。
梅雨の低山。
もしかして私、来る日を間違えた…?
そんな私を支えてくれたのはこの数年で買い揃えてきた(まだ足りないものはたくさんあるけど)愛する山道具たち。
そして「山で淹れたてのコーヒーを飲むんだ!」という執念にも似た夢でした。
そして、それを先日叶えてきました。やっぱり夢が叶うのはいいものですね。嬉しかったから。右半身泥まみれだったけど。
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山頂は日差しが強くてけっこう暑かったので、そのときの私の正直な気持ちを書くと「ホットコーヒーって気分じゃないな」という気持ちも少しありました。
でもせっかく準備してきたのだから(水も燃料も重かった!!)淹れてみよう、と。淹れたてのコーヒーはどこで飲んでもおいしいし、ほら、心なしか風も吹いてきてちょっと涼しくなってきた気もするし。
そういうわけで私はひとり静かに、物静かなアルコールストーブと向かい合っていました。
大丈夫。
今までに「練習」と称して平地で何十回も淹れてきたし、キャンプでは何度か使っている。風対策もばっちりだ(燃料アルコールを使った湯沸かしは、風に煽られると沸騰まで至らないことも多々あります…)。
大丈夫。
いざとなれば予備として用意してきたガスストーブとガス缶も担いできた。予備とは思えないくらい重かったけど。
大丈夫。
おいしくなかったり、何かアクシデントがあって飲めない事態に陥ったときは、持ってきた魔法瓶に移して下山すればいい。その準備だってしてきた。
大丈夫。大丈夫だ。
私は絶対に、ここでコーヒーを淹れる!
そして(可能なら)この風景を眺めながら、コーヒーを飲む!
周りは親子連れや観光客とおぼしき方たちがわいわいしていましたが、私は静かにミルでゴリゴリと豆を挽いていました。
向こうの方で「ミミズがいるー!」という子どもの声がしました。
ふたりづれの蝶々が私の近くを飛んでいました。
空は雲ひとつない、なんてこともなく。
それでも日差しは7月でした。
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はたしてコーヒーはどうだったか。
ちょっと苦味が強かったような気もします。お湯の温度が高すぎたのかもしれません。落とすお湯のスピードが早すぎたのかもしれません。
でもいいんです。おいしかったから。嬉しかったから。
靴を脱いだ足を風に当てました。
マグの中から感じるコーヒーの香りは山頂のそれと混じっていつもと違う感じがしました。
キャンプ場とも違う、家とももちろん違う、不思議な感じでした。
またやろうと思います。できればもう少し、涼しくなってから。