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【映画】キャロル

 クリスマス・イブということで、「キャロル」を観ました。Amazonプライム・ビデオにあったので、自宅で鑑賞しました。

 原作の邦訳版は図書館で借りて半年くらい前に読んでいたので、結末は(原作と違わなければ)知っていることになります。結果から言えば概ね知っている通りではあったけれど(時間の都合かカットされた箇所も多かった…と思う)、劇中はそんなことを忘れて観ていました。没入と言って差し支えない状態にあったと思います。

 映画はやはり、観てもらった方が絶対に良いので内容については触れません。でも私は何か書きたいので書きます。書きたいと思う。

 私はキャロルやテレーズはもちろん、なぜかハージまでもを応援せずにはいられなかったし、自宅で観ていたこともあって、唸ったり、脚を何度も組み替えたりしながら観ました。飲み物もサンペレグリノにスダチを絞ったりして(映画館で炭酸水は…)。部屋にひとり、自由な姿勢で映画を鑑賞できることは、映画館ではできないことのうちのひとつなので、それはよかったと思います。

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 飲み物を入れて「観るぞ」という気持ちになる。グラスはウイスキーについてきたやつだけど…。

 でも、本当のことを言えば、こういう映画は映画館で観たかったとも思いました。公開した2015年の時点では私はこの作品を知らなかった。今は2019年。そしてもうすぐ2020年がやってくる。

 全ての登場人物にはきめ細やかな情緒があって、それを全部台詞で説明せず、おそらくは私たち観客を信頼して表情や音楽や「間」で表現する。

 息遣いや視線の送り方、手の置き方や声色。歌詞のない音楽。窓に映る光。

 劇中で雪が降っていれば、私もストールを肩にかける(暖房は効いている)。キャロルが煙草の煙を吐き出せば、私も煙草をくわえたくなる(3年前にやめている)。ふたりがいる部屋の暖炉に火が入れば、なんだか私もあたたかい気になってくる。火のパチパチという音が私にストールを脱がせる(でもすぐに寒さに気づいてもう一度羽織る…炭酸水は冷たい…)。

 それってもう私が映画を観ている「鑑賞者」のいる第三者的な空間から移動しているからかもしれない。私はあのときニューヨークに、オハイオに、ウォータールーにいたのかもしれない。そこの空気を吸って生きていたのかもしれない。キャロルやテレーズは私の姿は見えないし、いないも同然なんだけど、私には彼女たちが見える。彼女たちは疑いようもなくそこで生きている。あたたかい体温を持ち、それぞれの頭でたくさんのことを考える。それは現在のことはもちろん、過ぎ去ったことや、これから訪れる未来のことも。

 そういう映画はやはり映画館で観たい。映画を愛しているスタッフさんにチケットをもぎってもらって、プロフェッショナルによって絶妙な調整の施された音響が響くことが約束されていて、映画館にしかない大きなスクリーンで、その劇場にいる観客の全てが映画に集中した空間で観たい。味わいたい、と思う。

 実は幸運なことに自宅から日帰りで行ける素敵な映画館があるんです。そこもおすすめなんだけど、有名だから別に紹介する必要もないかな、とも思ったり。また考えます。

 とにかく「キャロル」は丁寧につくられた映画でした。Amazonプライム・ビデオはこういうときに便利だ。でも同時に映画館が恋しくなる。だからなのかはわからないけれど、Amazonプライムを契約して、Fire TV Stickを購入してからの方が映画館に行っている。

 テレビ番組は全然観なくなってしまったけれど、映画を観る時間はまたつくるかもしれない。改めてそんな気持ちになりました。

 「キャロル」は映画も本も、おすすめです。ただ、どちらにしてもけっこうエネルギーを使うので、あなたに余力があるときがよりおすすめです。それが晴れた日であればなおいいです。

 記事公開の5分後の追記…

 ベッド・シーンがあるので、たぶんひとりで観た方がいいと思います。内容としてもそうだけど、家族みんなでワイワイ観る映画ではないと思います。

 映画を観て、よかったと思えたら、今度はぜひ小説の方も読んでもらいたいです。


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