NY武者修行記 8
8日目
10月20日(日)
12:30頃に起きて、今日はグラウンド・ゼロに行くことを決めた。
今回の旅、最初で最後の日曜日だったので、ハーレムでゴスペルを聴きたいなぁと思っていたんだけれど、今回はおあずけ。
音楽関係以外の場所で唯一、絶対に行こうと思っていたグラウンド・ゼロへ。でも、結局部屋を出たのは3pm過ぎだった。
Citi Bankでお金を下ろし、持ってきたポータブルMDで永遠と録音をスタート。
【グラウンド・ゼロへ】
A trainでずーっと行くと、間違えてマンハッタンから出てしまった・・・。乗り換えしなきゃいけなかったみたい・・・。
次の駅で下りて、もったいないので外に出てみた。
試しに駅のトイレも使ってみた。
便座が汚かったけど便座クリーナー持ってたし、それ以外は快適でした。
危険もありませんでした。
でも夜は入れないな・・。
マンハッタンの街中と大違いで人通りが少ない。学校の裏に出たのかな?学生らしき人が歩いていく。
ちょっと歩くと向こう側に大きな橋が見える。
たぶんBrooklyn Bridgeだろうなぁ。
歩いて渡れるって話だけど、素直に地下鉄でひきかえしました。
うーん、渡っておけばよかったかなぁ。
Chambers St.で下りて、どこがグラウンド・ゼロかわからずに、適当に外に出た。
何も迷うことはない。
フェンスが張り巡らされていて、その中には何もないスペースがある。周りの一部のビルがまだ修復途中。
そこ以外のどこでもない。
ついに来た。
グラウンド・ゼロ。
今回、なぜそんなにここに来たかったか。
それは、人に勧められたのもあるが、一番の理由はテレビで中継を見て、多くのNY以外の人たちが思ったであろうことを考え直すため。
怒りとか、悲しみとか、それ以上に他に感じたことがあるのではないでしょうか?
語学学校でもその話題になって、日本人じゃなくてもそう感じたんだって思いました。
「これは現実なのか?」
映画ではなく本当に起こっていることだと、『本当に』理解できるのは、実際見た人、関わった人だけじゃないか。
心から理解しなければ、本当に悲惨な出来事だった真実も理解できないと思い、キレイ事のように「かわいそう」って言う自分は許せないので、実際に見たかった。
感じたかった。
そして、『本当に』こんなことはしてはいけないことだ、と、世界中で感じるために、みんな勧めるんだろうし、足を運ぶんだろうな。
※Ground Zero。教会側から。上の写真の一番右のビルは上の方が吹き飛ばされたまま。テレビなどで記憶にあるビルでした。下の写真にクレーンが写っているのが見えるでしょうか?この下ではまだ作業が続けられていました。
近づいてフェンスの中を見た。下が良く見えない。
下?!そう、大きな穴になっているから見えないんだ。
フェンスにはもとの姿の写真が貼ってあった。
初めて、この辺にこのビルがあったんだ、っていうことを知る。
フェンスの上の方にはヒーロー達(亡くなった方達)の名前。ものすごい数。
実際私には直接関係はないことなのに、なぜか涙が込み上げてきた。なんでだろう?
※ビルの位置関係などが記されているボード。上の黒いボードにはヒーロー達の名前がびっしりと書かれていました。
※この2枚は同じ場所から撮ったもの。WTC側(下)とその逆(上)。上のビルは、窓、ドアなどに板が貼られ全体をフェンスで覆われていました。
※この2枚も同じ位置。教会の反対側。上のビルは全体をネットで覆われていて、ビルが見えない状態でした。
下の写真の中央辺りが教会。見えないけど・・・。
言葉にはできない、その場所の影のある空気。そこを訪れる人たちの平和っぷり(私も含めて・・・)。本当に言葉では表現できない。
かなりの広さがあるグラウンド・ゼロ。そこを一周した。
反対側からは穴の下まで見えた。巨大だった。
下ばかり見てしまうけれど、上を見上げたり、向こう側のビルを見たりすると、その空間の大きさから、ここにビルがあった時のことが少し想像できて、またどうしていいかわからない気持ちになる。
見えるはずのものが見えなかったり、見えないはずのものが見えたり。
この空間が不自然でならない。
近くに、今は使われていないビルがあって、そこの一階が写真展になっていたのでそこにも入った。
事件直後の写真。
消防隊員の決死の救助。
亡くなってしまった人の写真にはマークがついていた。
かなり長い間グラウンド・ゼロにいた。
これを書いている今(2003年6月9日)でも、あの時、何を見たかはっきり思い出す。
アメイジング・グレイスを弾いていたストリート・ミュージシャン。こんな短期間で復活し、がんばっているお店。
何を考えているのか、観光気分で子供とにこやかに写真を撮っている白人。教会の周りの土産屋。
一本道を渡ると普通のNY(初心者に分からないだけかもしれないけれど)。ユニークな展示をしているアトリエ。おいしそうなレストラン。
色々なものを見た。
※World Financial Center内から。本当はここに2つの大きなビルがそびえ立っていたんですね。
※一周してきて教会を撮りました。周りのフェンスにはたくさんのメッセージが。
【グラウンド・ゼロから北上】
その後、なにを思ったのか、そのまま歩くことにした。ここまでもかなりの距離を歩いていたんだけれど・・・。
夜はBlue Noteを予約していた。それまで何もすることを決めていなかったので、その時間まで何をしよう?と思いながら・・・。
NYの町を見ながらふらふら歩いていると、なんとタイムス・スクエアまで来てしまった・・・。
途中マックに寄っただけでほとんど休み無し!(マックは一度入ってみたかった!パンが焦げていて、ぺしゃんこだったのが印象的でした・・・。Sサイズをたのむと、日本のMサイズがきます。値段は500円くらい。あんまり変わらないや、と思ったら、やっぱりMサイズを経験するべきだったよー!なんて後から言われました。でも、他の人が持っているMサイズのカップを見たらねぇ・・・・・。ヒくって。。。)
そう、このお散歩で、マンハッタンの1/3以上(半分に近い)縦断してしまった!
グラウンド・ゼロからスタートし、City Hall方面へ。(地図を持っている方はたどってみてください!)
Broadwayをひたすら北上。
Chinatown、Little Italy、Sohoなんかを横目に見ながら、その風景、音、雰囲気の、ころころと変わるのがおもしろいなぁ、と思いながら、どこへも寄らずに北上北上。
そこを通り過ぎた後、なんだか、ただ北上するのも芸がないと思い左折。
ちょうどWashington Square Parkに着いた。
あまりに公園らしい公園だったので、ベンチに座って人見物。
でも、5分もいないうちに向こうの方から、黒人のでっかいおじさん(おにいさん?)が話しかけて来そうになったので、「ちょうどもう行くところだったのー」って感じで公園の外に出る。
そのまま西に進むとAmericasに出た。(ちなみにその時は、そこが何通りなのかなんてわかっちゃいない。適当に大きい通りを北上すればいいだろう、なんて安易な考えから・・・。)
あれ?なんか見たことある風景、と思ったら、Smallsの横の通りだった。
なるほどー、こういう位置関係なのね、なんて思いながら北上。
だんだん都会の雰囲気になってくる。
お、へんなカタチのビル。
その近くのマックで休憩。マックでガイドブックを開き、そのビルを確認するとフラット・アイアン・ビルってことが判明。
数十分休憩をして外に出る。
そこで道端に座っていたおじちゃんから一言
「かわった髪型だねぇ。」
・・・・・・・・・。
え・・、NYで言われると思わなかった・・・。この髪型、日本人意外にものすごく印象いいのよね。「きれいな髪ねー!」って必ずと言っていいほど言われる。日本人には「すごい頭だね。」って言われるのに。はは。
そんなことがありつつ、歩くと左前方にエンパイア・ステート・ビル。
おー、これが有名な!と思いながら通り過ぎる。
そこを過ぎたらもう都会。
Broadwayとの交差点でどっちに行こうか迷ったけど、やはりここはBroadwayへ。
ついにタイムス・スクエア・・・。
どーーーーん!!!
建物がでっかい!!有名なスクリーンの前を通り過ぎる。
ここまで来ると周りも観光客が多い。写真を撮りまくっている。
そのまま北上。ちょっと過ぎると、あのにぎやかさは落ち着く。
もう少し歩けば宿泊場所まで着いちゃうじゃん!と、思った矢先におなかの調子が悪くなる・・・。さすがに疲れたのか、マックにあたったのか・・。
50stで一駅だけ地下鉄に乗り、一度部屋に帰る。
何もなければセントラルパークまで行けたのになぁ・・・・。
8pm着!!
疲れた・・・・・。4時間くらい歩いたんじゃない?ひえー!よくやるわ・・・。
しかもこれで終わりじゃない!
30分休んでまたBlue Noteに向かった。
【Blue Noteへ】
そこまで地下鉄で行くとけっこうかかるので(Washington Square Park近く。)さっきは改めてすごいことをしたと思った。
その散歩のおかげで、かなりNY(マンハッタン)の方向感覚とストリートの位置関係、距離感覚が見につきました。NYを理解した気になりました。(カンチガイ。)
【Blue Noteのお話】
Blue Noteはというと、musicianは『Conga King』。
コンガの巨匠達が三人も揃った、日本では見られないであろうバンドです。
でも、でも、そのうちの一人がジョバンニ・イダルゴって書いてあったのに、ミルトン・カルドナじゃないのー!
ま、それもよかったけど、生ジョバンニ見たかったなぁ・・・・。(その後ジョバンニは日本で観られましたが、ミルトンは亡くなってしまったので、とても貴重なライブでした。2020年4月12日記。)
それにしても音がすばらしかった!
中でも、その3人のうちの1人、キャンディドゥ(知ってる方も多いと思います。)。
彼は81歳。杖を突きながらでも歩くのがやっと。支えられて歩いていた。
なのに、叩き始めると・・・・・。
そう、ミルトン以外の2人は立って叩いていた。
歩くのがやっとなのに、コンガの前に立つとしゃきーんとしている。
MCで「オレは81歳になった!でもコンガを叩き始めると20歳になった気分なんだよ!」だって・・・・・・。
たしかに手のスピードは遅かったりするんだけど、サウンドがガツンと響く。
にこにこにこにこ。
陽気なパフォーマンスも見せる。なんなのこの人・・・・。
ものすごい『リラックス』を見た。
「なんで気張って音楽やらなあかんねん!」って言われた気がした。(なぜキャンディドゥが関西弁なんだかわからんが。)
うん、やりたいことやろ。まだ、書きたいこといっぱいあるけどさすがに眠すぎ!寝る!
あ、そうそう、この日一日中のNYの『空気』をMDがずっと記録していてくれました。さすがに全部聞きなおそうとは思わないけど・・・。
歩いている音の中に、町の音が飛び込んできて、それがどんどん変化していくのがおもしろいです。
もちろんマックの前で声をかけてきたおっちゃんの声も入っています。
一生消せなそう。
2:30am就寝。
※この日の日記は、あまりにも眠くて、とても短いものでした。
でも、今読み返してもたくさん思い出すことが出来たので、それを付け足して書いてみました。(2003年6月9日)
※この時の音をそのうちup出来れば!(2020年4月12日)
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