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小説|左の窓 #2

「他の客人」


「では、こちらが契約書類ですね。まずこの書類に署名をお願いします!」

新しく住むアパートから不動産屋の事務所に移動し、事務所内で青年は契約の手続きをしようとしていた。

物件を決定して以降、不動産屋の男性は調子良い様子である。

「結構な量の書類ですね…。」

「はい?普通ですが……もしかして、今回が初めての物件探しでしょうか??」

「まあ…そんな感じです。」

あまり言いたくなかったのか、青年は言った後に口籠る。

「そう心配なさらなくても、大丈夫ですよ。お客様は若いので、何とかやっていけますって!」

「そ、そうですか。」

「(いや、それは心配してないんだけどな…)」

不動産屋の男性と微妙に会話が噛み合っていない事に、青年は不快に感じたのか口がへの字になり。

「いや、実はですね…ここだけの話しなのですが。私達がさっき行った物件のアパート。他のお客様で希望されていた方がいらっしゃったんですよ。」

「…他に?」

「はい!ですが、私が先に電話で物件を抑えていたので危機一髪でした!お客様もあの時即効で決断されて良かったと思います!何しろそのお客様はあの物件だけを指定してきたみたいで…」

「はぁ…それはその人に申し訳ないというか、なんというか…」

「いやいや!他の社員によると、そのお客様はお焦りになっていた様子だったようですが。あの物件は家賃安くて立地も良い。それが目的だったのでしょう。」

不動産屋の男性は「はははっ」と高らかに笑っていたが、青年は申し訳なさを感じ「良かったんだか…」と言いたそうな複雑な表情になる。

「(俺は住めればどこでもよかったから、なんだか悪い事した気分…)」

「(そんなに、あの物件は良いところだったのか…)」

「もう帰っちゃったんですか?その人は…」

「そうですねー、我々がアパートから事務所に戻る前には帰られたようです。まあ、変わった方だったようですが。」

「変わった方?」

不動産屋の男性は顎に手を当てて言う。

「女性のご婦人だったらしいんですよ。なんか、全身ボロボロで手足に切り傷がたくさんあったみたいなんですよね。その時立ち会った社員が声掛けたらすぐに帰ってしまったようで……」

「は、はあ……」

世の中にそんなことがあるのかと、青年も驚く。ただ本人が帰ってしまったのであれば仕方がない。長ったらしい契約書類の記入に取り掛かる。



「はいそれでは、契約書類は以上ですね。入居日は2週間後になります。引っ越しの手配はお済みでしょうか?」

「はい、自分の車で荷物を持っていける程度なんで。大丈夫です。」

「そうでしたか。他に不明点が無ければ終わりになりますが。何かあれば私の電話番号の控えをお渡ししますので、お持ち帰り下さい。」

そう言って不動産屋の男性は自分の名刺を名刺ケースから取り出し、裏面にスマホの電話番号をペンで書く。そしてそれを男性に差し出す。

名刺には、
《結城不動産会社 山本篤》
《携帯番号 090-△△△△-□□□□》
《会社電話番号 0120-△△△△-□□□□》
と書かれてあった。

「今後ともご贔屓に、内田直哉(うちだなおや)様」

青年は名刺を受け取り、お礼を一言言うと結城不動産屋を出て行った。


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