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OBOGインタビュー:アートワークショップ講師/ライフキャリアコーチ 江崎万里奈さん

様々な分野で活躍する菊里卒業生を紹介するインタビュー企画。
 
第3回目は2009年度卒業生で会社員の傍ら、フリーランスでアートワークショップ講師/ライフキャリアコーチとして活動している江崎万里奈さん。
 
『菊里ホームカミングデー』の企画メンバーで、当日のアートワークショップ企画のリーダーでもある江崎さんに、現在のキャリアや菊里時代の思い出を語ってもらいました。


アート&コーチングで楽しく働く大人を増やしたい!

―現在のお仕事について教えてください。

私は現在福岡に住んでいて、フルリモートで事務職をしながら、パラレルでフリーランスとして活動しています。
メインはフリーランスの方で、今は2つの軸を持って活動しています。一つは 合同会社anohiの『おとなの図工クラブ』というサービスで、アートをコミュニケーションのツールとしたチームビルディング研修など、法人様向けプログラムのプロジェクトマネージャーやアートワークショップの講師をやらせていただいています。
個人様向けにも、サブスクリプションでオンライン講座を開講していて、『画家さんを一人ピックアップして、その人の人生を追体験して模写してみましょう』『1日を終える時間に、今日の1日を色や形で表してみよう』といったプログラムを行っているんですよ。

もう一つは、高校生のキャリア教育に関わっていて、福岡の高校で生徒会役員の生徒たちの外部メンターをしています。生徒の相談にのりながら、みんなをチアーアップするようなポジションですね。

―アートをツールに使っていらっしゃるということですが、アートとの出会いはいつ頃になるんですか。

もともと、私も『おとなの図工クラブ』の受講者なんです。コロナ禍にたまたまオンラインの講座を受けた時に、久々にクレヨンを持った感覚や“絵の上手い下手は関係ない”ということに衝撃を受けて、アートの力ってすごい!って思いました。アートって具体と抽象の行き来をしているんですよね。問いを描いて、その間にも問いを立て続ける。すごく自分と対話する時間になるなと感じました。

―現在に至るまではどのようなお仕事をされていたんですか。

1社目はANAのグループ会社で、成田空港のグランドスタッフとして働いていました。実家が北名古屋市で県営名古屋空港が近かったので、小さい頃に母親とよく遊びに行っていたんです。「制服を着てるお姉さんかっこいいな〜!」と憧れていた職業で、5年現場にいて、2年人事にいました。
そして、コロナをきっかけに退職をして転職をしたんですが、2社目がかなりのブラックベンチャーで……。まんまと転職に失敗(笑)! そこが転機になりました。

それまでは、“優秀な自分でありたい”と強がっていたから、優秀じゃないことがバレる怖さがあったんです。でも、そうやって自分を隠して転職活動していたら、そりゃ転職も失敗するよなと気がついて。自分が弱いことを受け入れて、その上で何がしたいか見つめ直した方がいいなと思った時に、コーチングに出会いました。

そして、コーチングスクールで心理学や脳科学をもとに自分の過去、価値観をぐっーと深掘っていったところ「ニコニコしてる人が増えたらいいな」という願いが出てきたんです。そのためできることを考えたところ、「楽しく働く大人を増やしたい!」と思って今に至ります。

そして、そんな大人を見て高校生に「なんでもチャレンジしていいんだ!」「大人になるって、こんなに素敵なことなんだ!」と感じてほしいんです。高校時代、私は親や周りの友達が言うように、“いい大学へ行かなきゃいけないんだ”と思っていました。でも、もし楽しく働く大人にたくさん出会っていたら、もっと違ったのかもなって思うんです。

―ご自身の葛藤や経験を生かして、今の高校生にもっと広い世界があるんだとことを見せてあげていらっしゃるんですね。そして、ご自身もそこで世界を広げていっているんだろうなというのが伝わってきました。

そうですね。今の仕事はとにかく楽しくて仕方がないです!  自分に向いていて、自分の好きなことで繋がっていった人たちと仕事ができているので。ただ、人の内面を扱う仕事なので、成果が見えづらいという現実もあります。だからこそ、事務職という経済的安定を手放してない自分がいて……。なので、この先の目標は「好きなことを続けていたら、 好きじゃないことをやってた時よりも生活が豊かになったよ!」と、高校生に背中を見せられるような40代を迎えられたらいいなと考えています。

菊里祭で学んだ“人に任せる勇気”

―実際に福岡の高校生と関わりがあるということで、ご自身が高校生だった頃を思い出すこともたくさんあるのかなと思います。菊里生の頃は、どんな生活を送っていましたか。

1年生の時は、稲武合宿の時に一緒にトーチをやったメンバーと仲良くなって、毎日授業や部活が終わると、星が丘テラスのフリースペースでたむろしてましたね。『スタンダート』を開いて、あれが分かんない、これがわかんないって言いながら、頭のいい同級生に教えてもらうみたいな(笑)!

あとは、イベントに命をかけてました。菊里祭も体育祭も後夜祭も全部好きで、文化祭実行員は1年も逃さずやってました! その時期になると、家に帰るのが深夜になることもありましたね。

ー特に印象的だった出来事などありますか。

今の自分にも繋がる、すごく大事なことを学んだ出来事がありました。私、中学までは“全部自分でやってしまった方が早い”と思い込んだリーダーシップを取っていたんですよ。学校の先生達も「万里奈がやってくれないと困るから頼む!」みたいな感じだったし。

でも、菊里祭で横断幕を作るとなったときに、クラスでは普段おとなしい女の子がすごくうまく仕切って、いろんな人を巻き込んで横断幕を作ってくれたんです。その姿を見て、「文化祭実行委員だからって、別に全部やんなくていいんだ! 得意な子に得意なところは任せた方がうまくいくんだ!」って気がついて、本当に世界が広がりました。それまではイベントって私だけが張り切っていたけど、菊里に入ってみんなが乗っかってきてくれる経験を味わうことができたんです。そして、文化祭実行委員って1人1人何が好きなのか、得意なのか、把握してやらなきゃいけないんだなって、マネジメントについて学んだ瞬間でしたね。“勇気を持って人に任せてみよう!”という原体験です。

―他にも何か今の自分に繋がっている思い出ってありますか。

 “やるからには楽しんで全力でやろうぜ!”というマインドは、ずっとありますね。私は硬式テニス部男子のマネージャーをやっていたんですが、暇すぎてコートに入らないメンバー用のトレーニングメニューを組んで、練習に付き合っていたんですよ(笑)。やらなくてもいいことなんだけど、“やった方が楽しいじゃん!”って考えでした。グランドスタッフ時代も、“こうしたらお客様が喜ぶかな”って考えて行動していたなと思います。

―やるからには全力でやって、それを最後までやり遂げるというマインドは、当時からずっと大事にされているんですね。では、最後に在校生へメッセージをお願いします。

今のままで十分素敵だし、未来はそんなに暗くないから大丈夫だよってことを伝えたいですね。私は高校時代、大人になるのが怖いなって考えていました。「大学受験失敗したら、どうなっちゃうんだろう?」「大学に行った後、本当に自分の就きたい職業に就けるのかな?」って、“失敗しちゃったらどうしよう?!”のマインドが強かったんですよ。自分と比べて、周りには優秀な子たちがたくさんいるから、足を踏み外してはいけないんだっていう怖さがあったんだと思います。

でも、大丈夫!今私たちが作っている卒業生ネットワークをうまく利用してもらえれば、いろんな先輩からアドバイスをもらうこともできるので、目の前にあるものに全力で取り組んでほしいなって思います。

全力で遊べない人は全力で仕事はできないし、全力で遊べない人は全力で勉強もできない。そんな菊里生らしい熱さと魂を受け継いでいってください!!


取材:1997年度卒 青山美里 文:2004年度卒 久野麻衣

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