菊里OBOGインタビュー:講談社 漫画雑誌「モーニング」編集 小川貴仁さん
様々な分野で活躍する菊里卒業生を紹介するインタビュー企画。
第4回目は1990年度卒業生で漫画雑誌の編集をされている小川貴仁さん。現在勤務されている講談社に就職した背景や、菊里時代にやってきたことなど、お聞きしました。
経歴
1991年 菊里高校卒業
1995年 講談社入社。ファッション誌「ViVi」配属
その後「Tokyo★1週間」へ異動
2007年 漫画雑誌「Kiss」へ異動
現在は「モーニング」編集部に所属
「こんな漫画があったらおもしろいな」から
ー今までのお仕事内容について教えてください。
初めに配属された女性向けファッション雑誌『ViVi』では、タレントさんのインタビュー記事やカルチャー記事などを担当していたんですけど、せっかくファッション誌を編集しているわけですし、後半の方は、ファッションページもやらせてもらっていました。今とは時代が違うので一概には比べられませんが、とにかく労働時間は長かったです。月曜日に出社したとして、次に帰宅するのが水曜日とか木曜日とか……ま、その間に飲み会に出てたりもしていたんですが(笑)。そんな日常を送っていました。
まだインターネット黎明期で、情報は雑誌から得ることの多い時代でしたし、読者も雑誌により多くの情報を求めていましたから、編集部としてはA4判の雑誌の誌面にどれだけの情報を詰め込められるかというのがすごい大切で。
夏のサンダル特集とかだと、スタジオにこもって、もう一昼夜かけて100足以上のサンダルをひたすら物撮りするとか、そういうことをやっていました。
窓もない撮影スタジオで撮影していると、時間の感覚がなくなっちゃうんですよね。早朝から撮影していて、ちょっと外へ出ると「あっ、もう夜だった」とか、「もう朝だった」みたいな感じで。
振り返ってみると、相当めちゃくちゃな生活だったと思うんですが、仕事している間って、なんか変な脳内麻薬みたいなものが出ていたんでしょうね。そこそこ大変でしたが、楽しい毎日でした。
2007年に漫画雑誌の編集部に移ったときは、まずは少女漫画という、僕の人生の中にはほとんどないものでしたし、雑誌の編集とは脳の違う場所を使うっていうか、 とにかくびっくりしました。
それまでやっていた雑誌の編集っていうのは、記事や特集の全体像をまずは自分の頭の中に作り上げて、その設計図をもとに「じゃあ写真はあのカメラマンさんにお願いして、文章はあのあライターさんにお願いして……」ていう感じにパズルの断片を埋めるみたいに作っていく感じだったんですが、漫画の場合は目の前にいる漫画家さんの頭の中にある世界が、突然立ち上がってくる、世界ができあがっていく、その場に立ち会えるんですよね。いわゆる0から1の感動を特等席で味わえるんですよね。しかも今はそれを毎週味わえるって、めちゃくちゃ楽しいです。
漫画編集の仕事内容について、もう少し詳しく教えてください。
編集者のスタイルって100人いたら100通りのやり方があると思うんですが、僕の場合は「こんな漫画があったら面白いな」っていう風にまずは企画を考えることが多いです。これはファッション誌や情報誌をやってきた経験が関係しているかもしれませんね。その時にとても役立つのが、「自分の引き出し」です。それまでの自分の経験や知識、興味など、どれだけのものがその中に入っているかでしか勝負できないですから。
で、企画が決まったら、漫画家さんと打ち合わせをして、取材、そして連載獲得へという流れです。
企画が動き始めてからは、文字通り漫画家さんと二人三脚……というよりは、漫画家さんにいかに気持ちよく楽しく描いてもらえるかを一番大切に考えていますが、企画のスタート時は結構自分の欲求で走り出すことが多いです。
例えば担当している作品で、『艦隊のシェフ』というものがあるんですけど、これは、ある本で海軍で実戦には参加せずに、飯だけ作っていた「めしたき兵」というのがいたというのをちょっと読んで、じゃあ、彼らから見た戦争ってどんなものだろう、読んでみたいな、というところから始まりました。
また、たまたま選挙コンサルタントの方と知り合う機会があって、いろいろと話を聞いているうちにどんどん面白くなってきて、「生徒会選挙から大統領大選挙まで、選挙の仕事ならなんでも受けます、必ず勝ちます」っていう選挙コンサルの漫画を始めたりとか(『票読みのヴィクトリア』)。
それから、落合博満さんがなぜか異世界に転生するという漫画も担当しています。落合博満さんって、部活の上下関係とか体罰が嫌いで、何度か野球をやめてるんですよね。で、やめている間にボウリングにハマって、プロボウラーになろうと思ったんだけど、プロボウラー試験に行く途中で交通違反で罰金を取られてしまって、受験料がなくて試験が受けられず、で、結局、プロ野球選手になったら三冠王になっちゃった、いうすごい人なんですよ。そのほかにも麻雀もめっちゃ強かったりとか、要するに勝負事がめちゃくちゃ得意なんですよ、たぶん。
漫画界ではこのところ、「異世界転生モノ」がとても人気なんです。現世でパッとしない主人公が「異世界に転生」したら、なんらかのチート能力が芽生えて、その能力で異世界で無双(大活躍)するっていう作品が多いんですけど、「ってことは、もし落合さんが異世界に転生にしたら、チート能力なんてなくても無双できちゃうんじゃね?」と思いまして(笑)。
で、まぁそんなことを思いついたはいいんですけど、それこそ酔っ払いの戯言みたいなもんですよね(笑)。もし落合さんにそんな企画を提案しても、「何言ってんだ!」と言われたら終わりなんですけど。でも、なんかやっぱり自分自身が読んでみたいっていう気持ちが強くて(笑)。
で、一応ご本人にお話を持っていったら、「転生モノだろ」みたいな感じで、すっと成立しちゃったんですよね。やっぱりなんでも言ってみるもんだな、と(笑)。
よく「編集者は最初の読者だ」と言われるのですが、漫画などの作家ものの編集者の場合はまさにその通りで、だからこそ気をつけているのは「客観的に見ること」です。
漫画家さんが描いてくれたものを、世の中で一番最初に読むわけですから、先入観なく初めて読むような気持ちで読んで、「ここの意味がわかんないんですけど」とか「ここ全然面白さがわかんないですけど」みたいなことを言わなくちゃいけなんですよね。
ほんの数日前まで一緒に打ち合わせをして「面白い面白い」と言っていたものが、描いたものにきちんと出ていない場合は「面白くない」と言わなくちゃいけないわけです。そりゃぁ漫画家さんとしては納得できない時もあるでしょうね(笑)。
でも反対に、打ち合わせで想定していた以上のキャラクターの魅力やドラマの迫力が立ち上がってくることも多いわけです。そういう時にはやっぱり漫画家さんの才能ってすごいなと圧倒されますね。漫画編集の仕事って、そんな才能と創作の奇跡を、格闘技で言えばスペシャルリングサイドで毎回毎回観せてもらっている感じですね。
「自分の引き出し」にあるものでしか戦えない
高校のときはどんな仕事に就きたいと思っていましたか?
高校の頃は、漠然と政治家になりたいって思っていました。中2のとき先生に「生徒会やらないか?」って突然言われて、生徒会長になったんですよ。それで、人生で初めて色んな人の都合を調整して物事を進めるっていいうことを意識的にやることになったんですけど、「あれ、こういうことってめちゃ大変だけど、今までみんなは普通にやってたことなんだよな」って気づいたんですよ、遅いんですけど(笑)。それで、あらららら〜と思って、「なんだろう、今までめっちゃ周りの人によくしてもらってきただけの人生だったんだ!」と思って、で、人の役に立つ仕事がしたいと思って、短絡的に政治家かなと思ったんですよね(笑)。
しかし、それが出版社勤務ということになったんですね。
はい。大学時代に休みのたびに海外旅行に行ったことが経験として大きかったと思います。
一人で全然知らなかった国を旅しているうちに、月並みですが視界が広がったような気がしましたし、それまで気がつかなかった貧困状況や格差の問題にも意識が向きました。で、人の役に立つ仕事がしたいという気持ちには変わりはないんですけど、より広い世界の人の役に立ちたい、と考えた時にJICA(国際協力機構)、商社、そしてマスコミが候補に出てきたんです。
まぁ、3年生が終わるまで4年で卒業できるとは思っていなかったし、そのため就職活動を始めたのが遅かったので、商社の採用はほとんど終わっていたっていうのもあったんですが、結局はマスコミ、しかも採用の遅い出版社をメインに目指すことになりました。もともと本を読むことは大好きでしたし(笑)。
後になって振り返ってみると、就職先を選ぶ際にも、中2のときの生徒会の経験が大きかったのかもしれません。編集者の仕事って、人に物事を頼みつつ、物事を進めていくという調整能力が大切だと思うんですけど、その能力を育むことになるきっかけだったわけですし。
結局、マスコミでは、TBS、NHK、朝日新聞、新潮社、文藝春秋などを受けましたが、最終的には講談社しか受かりませんでしたので、入社を決めました。ちなみに4年生の時はフル単で無事卒業しました(笑)。
高校時代~大学時代にやっておいてよかったことは?
高校時代は部活(サッカー部)もやっていましたし、バンドとかもやっていましたが、登下校の最中や家にいる時はとにかく本を読んでいました。外国文学や純文学をひたすら読んでいましたね。思春期って背伸びしたい気持ちもあるし、なんかちょっと小難しいことを知っている方が頭良さそうみたいなのあるじゃないですか(笑)。そのくせ、哲学は小難しいを通り越して難しいので、手を出しては挫折していましたが。
高校の時に読んだものではオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』というものが印象的でした。高2の古文の授業中に先生が話題に出したことがきっかけで読んだんですが、そういう偶然の出会いで読んだ本が自分の世界を広げてくれるのが、読書の喜びの一つですね。
最近よく思うんですけど、インターネット以前って娯楽が少なくて、今思うとめっちゃ暇だったんですよね(笑)。とにかく時間があったんで、あえて難しい小説を読んだりしてた気がします。で、それが具体的に何かに役立つっていうことではないんですけど、難しい世界に取り組んだ経験をしておくといいなとは思うんです。たとえば、一度フルマラソンを走っておくと、フルマラソンっていつでも走れる気になるのとちょっと似ている気がします。もちろん、実際に挑戦してケガしちゃう危険性もあるですけど(笑)。でも、挑戦する気になるハードルは下がると思うんです。
さっきも言いましたが、「自分の引き出し」をどれだけ豊かにできるか、ってものすごく大事だと思います。結局「自分の引き出し」にあるものでしか戦えませんから。高校、大学時代の経験が一番多かったと思うんですけ、とにかく「引き出し」の中にいろんなものを放り込んでおくといいと思います。そうすると、ある時に、引き出しの中のもの同士がくっついたり化学反応を起こしたりして、自分では想像しなかったこと発想が生まれることがあります。
そういう意味では、引き出しの中は雑多なままで、あんまり整理整頓されていないほうがいいのかもしれません。いますぐに役立たないものでも、いつか役立つかもしれない、そんな風に鷹揚に構えて、興味のあることをガンガン摂取していくほうがいいと思います。
雑多ということでいえば、僕の場合、「雑談」が大切だと思っています。目的があったり役立つ話だけでは面白くない。情報をとろうとか、何かを決めようとか、そういうことではなく、話自体を面白がって、それに身を委ねると、たまに想像していなかったところまで連れていってくれると思うんですよね。
いくつかの企画が実際に雑談から生まれていますし、現在の仕事の大部分を占める漫画家さんとの打ち合わせも傍目から見たら、ほぼ「雑談」に見えると思います(笑)。
そういう意味で高校時代を振り返ってみると、英語をちゃんとやっておけばよかった、というのはあります。英語って世界と「雑談」するには最強の道具ですから。
旅先で知り合った人たちと飲みながら話をしている時、「このタイミングでコレを言ったら絶対面白いのに英語が出てこない!」っていうことがあるたびにイライラしていましたし、今もしています(笑)。だから、そういう意味でも、もうちょっとちゃんと勉強しておけばよかったですね……(苦笑)。
取材・文:1990年度卒 長尾武春