お笑い番組で障害者の方をバカにしているように感じてしまう?
母が言った。
「観ていて悲しくなった」と。
それは普通にテレビを観ていた時だった。
内容はぐうたらな芸人の方が
ぐうたらのおかげで
こんな事も出来るようになったと
色々実践して紹介していた。
それは
足で(足の指で)リモコンを持ち
チャンネルを変えられる。
コントローラーも足で持ち
レベル上げなど単純な作業は
その足の指で操作が出来る。
そのおかげで手ではスマホをいじったり
他の事が出来ます。
得意げに言うのだ。
会場もテレビを観ている人も
大半は笑いに包まれたのだろう。
でも母にはその姿が違うように映ってしまった。
「そうせざるを得ない人たちを
馬鹿にしているように見える」
言われて思った。
確かにそうだと。
そう観えても仕方がない。
もちろん、
ご本人達にそんな意図はない事
観て笑っている人達にも悪意はない事
何も感じず気づかず過ごすのは罪ではない事
全て分かっている。
責めるつもりも非難するつもりも
私は全くない。
だって私は気づかなかったのだから。
私はどちらかと言うと社会的弱者の気持ちに
気づくことは出来ると思っていた。
でもそれは失礼極まりない思い込みだった。
メンタルの事に関しては敏感なのに
不自由な事に関して
私のアンテナは反応しなかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして母に聞いてみた。
「なんでそう思ったの?」
母は「なんとなくだ」と答えた。
「なんとなく、あれは観ていて凄く不快だった。だから観たくなくなった」
「一生懸命生きている人を馬鹿にしているように(笑っているように)感じてしまった」
私は母にそう言われて
すぐに野球のチャンネルに変えた。
母も私と同じように
だからと言って番組の作り方がどうだとか
もっと配慮すべきだとか
そういう事は思っていない。
受け取り方は自由だから。
自分がそう受け取ったからといって
不快な思いにされたとはいえ
『観なければいい』
母にはその選択肢がある。
作り手がそんな風に受け取られると
分かっていたのか
分かっていなかったのかも
どちらでも構わないのだ。
不快になるものは避け
観たいものを観る。
◇ ◇ ◇
その世界はこれからもっと広がっていく。
テレビだけに限らず
ネットでもその取捨選択は始まっていく。
配信でテレビの番組も
観られるようになってきた。
何かを作る側は
これからもっと大変になる。
それは、こんな小さな場所に
投稿しているような私にも
当てはまるだろう。
人がどう感じるか。
万人が感じる事を
推測しきることは出来ないが
せめて私は
差別を感じさせるようなものは
表現したくない。
自分が自由に発言できる場所だからと
誰かを傷つけても平気な人間には
なりたくないと思ってしまう。
◇ ◇ ◇
皮肉なものだなぁと思った。
よりによってお笑い番組で
こんなことを考えるとは。
確かに笑いと差別は
紙一重の部分は存在している気がする。
笑うって素晴らしいことなのに。
何か残念だった。
“普通”と違うことは
自然と注目を集めてしまう。
それは面白いのかもしれない。
でも、一生懸命、笑わそうとしている人以外の
“普通”と違うことを受け入れるキャパを
私は持ちたい。
急に考えさせられる時間となった。