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【寝落ち朗読】阿漕の浦(あこぎのうら) 山本周五郎



阿漕の浦 あらすじ

慶長五年(1600年)七月中旬、伊勢国・安濃津城。城主・富田信濃守知信の妻・渼子(なみこ)は、城内で馬を駆っていた。そこへ父・忠家の使者が訪れ、渼子に直接会いたいとの願いを伝える。だが、夫の留守を守る彼女はこれを断った。

三日後、渼子は阿漕塚へ馬を走らせるが、突然二人の騎馬武者に連れ去られる。彼らは父の使いであり、天下を揺るがす徳川と石田の対決が迫っていること、そして忠家が石田方につく決意を固めたことを告げる。敵味方となれば、渼子と幼い子を戦火に巻き込みたくない….父の想いに心を揺さぶられる渼子。

夫の留守を守り通すか、家族の安全か。渼子の決断の時が迫る——。

主な登場人物

渼子…知信の妻、忠家の娘。二児の母。乗馬と薙刀の稽古を毎日欠かさず行っている。
知信(富田信濃守知信) ..渼子の夫。豊臣秀吉の家臣。「女は女らしく」が口癖
信高…長男 6歳
蔵人…次男 3歳
忠家(浮田安心入道忠家)…渼子の父。秀家につかえる。直家の異母弟
秀家(備前中納言秀家)…直家の子

阿漕平治の物語

昔、阿漕ヶ浦に「平治」という親思いの漁師がいました。平治の母親が病気になり、どんどん弱っていきました。
平治は、母親を治す方法を探し続け、ある日「やがら」という魚を食べさせると元気になると聞きます。
しかし、阿漕ヶ浦は禁漁区で漁をしてはいけない場所だったため、平治は悩みました。
最終的に、母親のために禁じられている海に網を入れ、「やがら」を捕まえて食べさせると、母親は元気を取り戻しました。

ところが、ある嵐の夜、舟に忘れた笠が証拠となり、平治は漁をしたことがバレてしまいます。
母親のために仕方なく行った方とはいえ結局、捕まった平治は簀巻きにされて海に沈められてしまいました。

この伝説は江戸時代になると、浄瑠璃や歌舞伎などで取り上げられ、さまざまな改編や脚色、創作が加えられました。特に「阿漕の平治」が実在の人物のように描かれたことから、孝子伝説として広まりました。その後、孝子平治や平治忘れ笠の物語はさまざまな形で広まり、今日に至っています。

平治の恨みを鎮めるため、津市柳山津興の住宅街には「阿漕塚」という名前の小さな石碑が建てられているそうです。
(津市ホームページより)

アコギなやっちゃなぁ〜


関西弁とも言われている「アコギ」
コテコテ関西弁のおっちゃんが「アコギなやっちゃなぁ〜(阿漕な奴だな)」というセリフを耳にしたことがある方もいらっしゃるのでは。
これはアコギ(阿漕)という言葉は「阿漕ヶ浦の伝説に登場する阿漕が密漁をして罰を受けた」という話 から派生し、「悪事を働く」「ズルをする」といった意味を持つようになりました。
つまり、「阿漕な行動」 や 「阿漕な奴」 という表現は、不正や不道徳な行為を繰り返す人物 や 悪事を行うこと を指す言葉として使われるようになったんですって。

しろねこのウラバナシ

サムネイルは作品によっては何パターンか作って、朗読担当のしろくまさんに選んでもらうことがあります。
今回のボツ画像がこちら

ボツその①
ボツその②


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