ヤバマンガ評1 「BLUE」
「BLUE」(山本直樹)
高校生がキメセクする、フィクションを現実に持ち込んでしまうような人は読んではいけないお話の一つ。大丈夫、これ以上の筋は言わない。
この漫画はエロい。セックスしてんだから当たり前だと思われるかもしれないが、『凹村戦争』(西島大介)のセックスシーンなんか全然エロくなかった。この本のは皮膚感覚に訴えてくるエロさが百万倍くらいある。一つには描線。細めでなだらかな、イメージで言うと純朴そうな田舎女子高生の太腿くらいの固さ、そんな線。そりゃ魅力的だ。で、それがちょっとなよっとしている。湿度感覚がそこに生まれる。しかし必要以上に水滴などが直接描写されるわけでなく、省略の多い絵が、想像を掻き立て感覚に染み込んでくる。省略は多いけれども、女性器描写なんかヒダの辺り妙にリアリティがある。抜きどころが分かっている。抜ける。表情なんかもコテコテではない現実味のあるデフォルメで、やっぱり抜きどころがわかっていると抜ける画になる。変に誇張されていないのだ。ちょっと白々しいくらいである。みさくらなんこつ的いきおい押しではなく、あくまで、妙なリアリティを持って、しかし余計なものは取り除かれて、ポカリスエットのように沁み込んでくるのだ。
そしてもう一つの特徴は、虚脱感である。中学生のとき、貴方も感じたことはないか、自分はこの世の人間ではないのではないかと。あるいは自己存在そのものへの懐疑を。中ニ病にかかると9割型発症すると言われている、現実感覚放棄症候群だ。ひどいと絶望病にかかりやがて死に至る。さておき、その現実的な世界との隔絶感、世界の白々しさをこの漫画は描き出している。それはありそうな輪郭、ありそうな場面と嘘のような省略、おかしな場面転換によってまずは醸し出され、いそうな登場人物の有り得ない刹那性によって強化されている。箱庭的な空間設計もあるだろう。この漫画の登場人物は、閉ざされた時空の中で動き回り、過去も、未来も、家も、親族もなんだかなさそうなのだ。しかし何となく幸せそうである。何もしなくても回っていく永遠性を帯びた人生がこの漫画にはある。