【エッセイ】不可知論 その①(1400)
最近、めっきり投稿数が減ったみかんさんのnote🍊今日は久しぶりに読めて嬉しかった。
夕方の投稿を毎日読めていたあの頃が懐かしい。
でもみかんさんも公私共にお忙しそうなので仕方ない。
みかんさんの投稿が毎日読めてたあの頃はスペクタクルファンタジー大作映画「ロード・オブ・ザ・リング」に喩えると。冥王サウロンがその魔法の指輪の力で栄光に輝いていたあの時のようだ。遠い昔の栄光の日々を思い出す・・・。
久しぶりにそのみかんさんの記事に影響を受けてエッセイを投稿することにした。
私は占いもキャバクラも未経験だからそんなことを言う資格はないかもしれないが、この記事には激しく同意である。
キャバクラは自分の金じゃなかったら行ってみたい。高いところだったら観ているだけ幸せになれそうな美女がいるらしい。
ガールズバーなら一度だけ行ったことがある。本質的には同じようなものだろう。風営法の認可の差と言ったところか。
女の子と喋るだけのお店に対してはみかんさんと全く同じ感想である。なぜ金払って(上司に払ってはもらったがそれでも)女の子に気を遣って話さなきゃならんのかが意味不明だった。人の金でも会社の金でも申し訳ないと思う。
占い師に絡めてみかんさんの上記記事は人は自分ではどうにも出来ないことを占いのような絶対にインチキだとわかるようなことでもやはり不安だからすがろうとする。それが人間のおもしろい(滑稽の意)ところという意味合いで「壺売れる」と某カルト宗教を揶揄する形で〆ている。実にウイットに富んだいい記事だ。
さて本題。
どんな知性を手に入れても、どんな宗教を信仰しても、私たちにはわからないことが存在する。
そう言った「知」に対して私はタイトルに記した姿勢を取ることにしている。
不可知論
文字通り、知ることができないことは知ろうとしないという考え方である。自然科学のスタンスはこれである。数値化出来なければそれ以上追求しない。議論する意味すらない。
理系の人はこの考え方を取る方が多い。研究している時は100%このスタンスであることは間違いない。
もし数値化できないことを深く追求しているとしたら。それは科学では断じてないのだ。そんなことを追求する人は少なくとも自然科学の領域では「無能」である。
要は最近ではあまり言わない方がいいけれど敢えて言うと理系とは男性的な考え方である。
これはあくまでも多数派かどうかなので、男だから女だからって話ではない。「的」とついているように「傾向がある」という意味だ。
男女の会話はそう言う意味で噛み合わないようになっている。
女の人は解決不能なことをいつまでも延々と論じる傾向がある。そして実は。解決することは全く求めていない。喋ると言う行為は自分の中にある毒を吐き出すためにしているのだ。
だから女性の話を聞く時の男の取るべきスタンスはひとつだけ。聞いていればいい。しかも真剣に聞くのだ。
しかしこれがなかなか難しい。だんだん毒に汚染されるからだ。そう言う場合はどうすればいいのだろうか。それは人それぞれだと思う。
わかった風なこと言ってるけどお前はどうなの?という声が聞こえてくる。幻聴ではないことは確かなようなのでお答えしよう。
論理はわかっていても、できないからいつも妻に怒られているんじゃないか!!それにそれが出来てたらもっとモテてるって!
危機感持った方がいいよ!厳しいって!!モテないって!!!(メンタルコーチ・ジョージ風)
(つづく)