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【エッセイ】多様性(1000)

多様性というとても便利な言葉がある。

しかし、この言葉は極めて暴力的だ。

人類の歴史は革命の歴史といっても過言ではない。

市民権の裾野が広がること。それが革命である。

現在は全ての人間に市民権が付与されている。そのためこれ以上の与えたりわけたりするものがないのである。

動物に市民権を与えようとしたクレイジーな連中もいるがほぼ失敗している。例外はヒンドゥー教の牛などあるにはあるが。

そういった例外はめんどくさいので無視して、そうして起きたムーブメントが「多様性」である。

本来の市民権の乱発が終わってしまったので、仕方なく精神的な市民権を創造したのである。

たとえば。オタク。

今ではとても麗しいアイドルが「オタク」を公言したり、それは恥ずかしくないものとなった。市民権を得たのである。いじめっ子が実はアニメが好きで、いじめている陰キャとたまたま同じアニメが好きだった場合、和解して仲良くなったりすることもあるらしい。

しかし、人間が許容できる多様性などたかが知れている。

元々いじめられっ子だったはずのオタクどもが今度は少数派となった陽キャを調子に乗ってるだのバカだの言っていじめ始める。

終わりの見えない人の愚かさ。

多様性を認めない人間は「心が狭い」と断罪される。そして本質とは異なるところで争いが生じる。

何が正しいのか?何が間違っているのか?

もはや誰にも説明できない。

アリクイという名の獣のことを考える。

こどものころは私もアリを食べていた。今思うとゾッとするがこどもだから仕方ない。アリはなかなかおいしい。少なくとも草よりはずっとうまい。

アリクイの祖先たちはそれに気付いたに違いない。そうしてあまり他の動物は食べないアリという小さな虫を食べるために特別に長い舌が与えられたのである。その身体的特徴はすばらしいものがある。

アリを食べるという行為だけを考えたらアリクイは最高にすばらしい動物だ。いや。全ての動物がすばらしい。

その機能性、その美しさ。比べると人はどれだけ無能で醜いのだろうか。

私はアリの巣にその長い舌を突っ込みちょうど食事中のアリクイに話しかけた。

「アリはうまいかい?」

当然アリクイは私の言葉に反応すらしない。しかしすごいな。アリを食べるだけで君はそんなに大きくなれるんだね。

動物園のアリクイは本物のアリをそんなに食べない。擬似餌を与えられていることが多い。

そいつはもはやアリクイではない。

動物園の動物は機能が封印され美しくない。

彼らは人間の姿そのものだ。

本来のすばらしい能力と美しい資質を自ら作った檻で封印する愚かな生き物。



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