【エッセイ】コマ・カタルシス(1000)
華村さんのこの記事へのオマージュ。
創作だったのですね。実話と思って読んでいました。
とてもいい作品です。
さて。
こちらは実話のカタルシスを。
小学校2年生の時コマ回し大会があった。手作りのコマを作って持って行き一番長く回った者が優勝だ。
ルールとして親の助けを借りないこと、というのがあったがそんなこと家のことなのでわからない。父が阪神タイガースの丸いメンコを一番上にして、その大きさにいくつかのダンボールを重ね、木工用ボンドで貼り合わせて固め、中心に芯を通すというコマを作ってくれた。
それは実によく回るすごいコマだった。まあルール違反をしたのだが黙ってりゃわからん。
さて、私はそのコマ回し大会から2つの心の傷を負った。つまり精神的に成長した。
ひとつ目のトラウマ
コマ回し大会で父が作った私のコマは永遠かと思うほどに回った。それは本当によく回るコマだった。当然私が優勝、かと思いきやそうはならなかった。
決勝でこどものころはクラスに必ずひとりくらいいる人気者と一緒だった。名も忘れた。人気な理由も忘れた。確か足が速かったとかだ。
その勝負、私のコマは誰のコマよりも回って私の勝ちは明らかだった。
「今のなし!」
人気者の腰巾着のカスがそう言った。そんなわけあるか、私が優勝だ。今ならそう言っただろう。しかし陰キャで気の弱いともだちも少ない私にその勇気はなかった。
確か数回やって私のコマがうまく回らなくて人気者のコマの方がより長く回った勝負を採用して終わった。
酷い忖度だ。
世の中実力だけではダメなんだなと悟った。
同時に絶対的な価値を創出してこのクソカスどもを見返してやると、私は心の奥底のどこかでそう誓った。
悔しくて仕方なかったが、よく回るコマに興味津々のやつがいたことが救いだった。そしてちょっとだけ人気者になった。認められたのだ。
しかし、話はそれで終わらなかった。
ふたつ目のトラウマ
私がよく回るコマで少しだけ人気者になったことが悔しかったのか?別のクラスにいた幼馴染に「あいつのコマは父親が作った」とばらされた。
幼馴染の兄たちが私立高校の教師だった私の父に家庭教師をしてもらっていて、父から兄たちが話を聞いたことが伝わったようだ。
人間不信に陥った。おまけに幼馴染は体格がよく私はビビっていた。抗議ができない。でも仲のいいともだちだと思っていた。
人など信じられないということを学んだ。
カタルシスだのなんだの言ってるが親父の力だったんだから結局自分が一番悪いか・・・。