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唯一相対神・ドル【エッセイ】一一〇〇字

貨幣が人類を飛躍的に進歩させた神に代わる共通観念であるというのは私の意見ではない。「サピエンス全史」中に記述されたハラリ先生の説である。

(なんと!アマゾンアソシエイトを貼ろうと思って調べると、サピエンス全史の文庫版が上下出ているではないか!!思わずポチる)

現代社会に仲間入りするため、貨幣に価値があると信じることが第一歩である。それは我が子の成長を見ていく過程でよくわかる。

幼いこどもは紙幣よりも硬貨を好む。硬貨は輝いているし重いし見た目に価値がありそうだ。数字が大きな方が価値があると学ぶのは小学校で算数を学んでからだろう。中には就学前に自力でそれに気づく聡い子もいるが稀である。成長する過程で額の大きい貨幣に価値があり、金さえあればいろんな物を手に入れられることを経験する。

愛のようなものでさえ金で買える。

貨幣を信奉しているということはドルに寄り頼んでいるということである。アメリカを敵視する中東のイスラム系テロリストでさえ武器を買うのにドルを使うし、彼らの支援者の石油王もまたドルを提供してくれる。

ドルを信奉するということは軍需産業や原子力発電所の存在を黙認しているということである。ドルの価値の大元は全てそう言った企業からの資金提供やら税金やらであるからだ。

テロリストたちはアメリカとその同盟国(隷属国)を攻撃するのだが、皮肉にも彼らの力の源はドルなのである。

そう言った矛盾を美しく描いた小説がある。三島由紀夫の「豊饒の海 第二巻 奔馬」である。

主人公は右翼団体のリーダーの父に育てられ純粋な右翼思想を持ち、国家転覆を夢見て本気で画策している。賢い彼は父の運営する塾の資金源が攻撃対象の政治家であることを知っている。食事の時、汚れた金で買われた自分が食べる食物が母がしゃべった時に飛び散る唾液で汚されたと考えることによって彼は精神的に安心するのである。

我々もこの「唾液」を貨幣経済にかけて生きなければ到底通常な精神を保つことはできない。世界各地で紛争により失われている命。それを奪っている武器の資金源が元を辿れば誰もが信じるドルであることを皆知っている。知っているが知らないふりをして(考えないようにして)生きている。今朝私が食べた山かけそばのせいで間違いなく紛争地のこどもが死んでいる。そばを味わっている時は完全に忘れていた。

我々はどうすればいいのだろうか?答えはそんなに簡単には出ない。

私はこの世には命より大切なものがあると信じることにしてやり過ごす。

命が一番大事だとすれば、ありとあらゆる矛盾が湧いてきてあのソクラテスやヘーゲルでさえ弁証できないだろう。逆に多くの矛盾があるのでソクラテスやヘーゲルは弁証法を研けたのかもしれない。


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