【エッセイ】不可知論 その③(1000)
その① 、その②で本来の不可知論の考察から大きく脱線してしまった。
しかし、突拍子のないことを言ってはいない。
他人の気持ちは完全に理解することは不可能な事柄である。それに対して頭を使って少しでも近づくために。そして配偶子の交換相手を獲得するために。モテない男は最大限の努力をすべきである。
ニュートン力学は当時の限られた知識の集積で、アインシュタインの相対性理論を近似した努力の結晶だと何かで読んだことがある。アインシュタインの書斎か大学の研究室の壁にはニュートンとあとひとりかふたりの一般的になじみの薄い物理学者の肖像画が掲げられていたらしい。
遠い未来に心の方程式が発見されるとしても。私たちは心の方程式を近似しなければならない。
ちなみに昔からの私のエッセイの読者は勘付いているだろうが、私は一人称複数をこれまで「我々」と村上春樹にかぶれて使っていた。なんだか馬鹿らしくなってダサいと思って「私たち」に変えた。春樹節も使わないようにした。たまに使ってしまうかもしれない。
恋愛というのはそう言う意味では不可知論に結びつく。
不可知論は「考えたって難しいことはわからないから、考えるだけ無駄」というものではない。ない知恵を絞り出し行くとこまで行って、それでもわからないことは人間の頭では理解不能と認めることなのである。そこにあるのは諦めではない。絶対的な存在(私の場合はキリスト教の神)に対する敬意なのだ。
人の気持ちを理解しようと試みることは、突き詰めると相手を敬うことである。
「認」という字がある。文字通り、「認める」とは「言(葉)を忍ぶ」ということだ。
「認めた」相手、「敬意を払った」相手に対して誰だって言葉遣いに気をつけるだろう。ヤクザだって親分には敬語を使う。
女の子にモテたければ。妻によくしてもらいたければ。娘に懐いて欲しければ。
さあ諸君!敬意を払おう。あなたを苦しんで生んでくれた女性総体を心から尊敬するのだ。臭いと言われたくらいで腹を立てるんじゃあない!
そうするとどうだろう。
コミュニケーションだとかなんとか言って、身の毛もよだつようなセクハラ発言を若い女性社員にする前頭葉が弱り切った中年男性社員のような下劣なことをしなくなる。イケオジになれる。
モテるとはすなわち、紳士たることである。
セクハラをするのは相手に対する敬意が足りないからだ。自分さえ楽しければそれでいいという身勝手さは女性に嫌われる最も大きな原因のひとつである。
危機感持った方がいいよ!厳しいって!!モテないって!!!(メンタルコーチ・ジョージ風)
(まだまだつづく)