見出し画像

ガリラヤ湖と死海【エッセイ】九〇〇字

日曜日なのでキリスト教関係の投稿である。

今、世界中が注目するパレスチナ。パレスチナの語源はペリシテ人だ。

ペリシテ人で有名な人物はダビデ王が少年の時に倒した巨人ゴリアテ。3メートルの長身で鎧の胸当ての重さは57kg。彼は実に強かったが紅顔の美少年ダビデを侮り、同時にヤハウェ(ユダヤ教の神)をなじり油断して呆気あっけなくダビデの投げた小石が眉間に命中し死ぬ。

聖書 列王記第一 17章

かの地パレスチナにガリラヤ湖と死海というふたつの大きな湖がある。ガリラヤ湖からはヨルダン川が流れ出し死海に注いでいる。死海から流れ出る川はない。不思議なことに死海はほとんど水位が変わらないそうだ。

ガリラヤ湖にはたくさんの魚がいて漁が盛んだ。

死海は塩分濃度が飽和点に達していて魚がいない。死海は生き物が生息できる環境ではないのだ。そのため死海(英語ではDead Sea)と呼ばれる塩湖なのだ。

キリスト教では寓話的にこの「ガリラヤ湖」と「死海」が「与える人」と「受けるだけの人」に喩えられる。

「受けるだけの人」では死海のように死に絶えてしまう。だから「与える人」になりましょう。と礼拝の説教で牧師が説くのが定石だ。

この喩えはとてもいい。確かに受けるだけで溜め込んでいるだけではそこで全てが止まってしまう。しかもいろいろな問題の本質をついている喩えだ。

日本国民は「同情するなら金をくれ!」と安達祐実さんのように叫ぶばかりで何も努力をしない。自民党の政策を批判しても選挙にすら行かない。本当に文句しか言わない。それは「与えられること」になれてしまっているからである。今、問われているのはどれだけ個々が「与えるか」である。

「もうすでに与えているよ!」という方はそのままでいいだろう。さらに与え続けて欲しい。

「あ、自分はもらってばかりだな。」と心あたりのある方は、今からでも遅くない。少しだけでいいから与える側に回ってみてはいかがだろう?小さなことからで構わない。お年寄りに電車の席を譲るとか。妊婦さんに優しい言葉をかけるとか。障碍のある方に手を差し伸べるとか。

きっとあなたの心の塩湖は少し薄まり生命が集うようになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?