『LIFE』再現ライブに行かなかった話
先日放送された佐久間宣行さんのオールナイトニッポン0を聴いた。
佐久間さんのラジオ自体は(クリピとの関連もあって)時々聴いていたのだが、今回は小沢健二LIFE再現ライブに行かれた感想を話しているとの情報を得たので聴いた次第である。
LIFE再現ライブというのは、佐久間さんがラジオで話されている通り、小沢健二の不朽の名盤『LIFE』の発売30周年に併せて行われたライブであり、そりゃあもちろん、小沢健二さんの長年のファンであるわたしは、『LIFE』をもう何回聴いたか分からない。小学生くらいの頃から本当に擦り切れるほど聴いてきたアルバムで、間違いなく自分の人生においてもっとも重要なアルバムである。もっとも重要なアルバム「のひとつ」ではなく、もっとも重要なアルバムである。オールタイムベスト。
その再現ライブというのだから本来なら何が何でも行きたかったのであるが、これが8月31日の一日限りで、その発表が半年を切った3月頃だったのである。わたしはちょうどドンピシャで友達と北海道旅行の計画を立てており、迷ったが元々約束していた北海道旅行を優先した。ところ、その友達が北海道に行けなくなり、結局旦那と二人で行ったのであった。
なにせ、『LIFE』というのは世界を見回しても類を見ないほどの大名盤である。それゆえ再現ライブin日本武道館の倍率も凄まじいことになっており、何度抽選に応募してもまずチケットが当たらない。実際わたしも、もしチケットが取れたら旅行をキャンセルするか、と思いながら幾度かの抽選に参加したが、そういう半端な気持ちの者に席がご用意されるはずもなく、結局、ライブ前日の8月30日に羽田発の便で北海道は新千歳空港へと飛んだ。
そして到着した北海道でわたしがどれくらい旅を楽しんだかについては、こちらの動画にある通りである。
旅行に行ったことに後悔はない。試合には勝てたし、長年応援していた深井一希選手からサインも貰えたし(その深井選手は昨日、リハビリの末とうとう試合に復帰することができた。感無量)、たくさん美味しいものを食べてゆっくりして、本当に楽しい旅だった。
しかしそれはそれ、ライブというのは一期一会で、小沢健二という人は「好評だったので第二弾やります」「リクエストが多かったので配信もします」みたいなサービスをする人ではない。彼は、すべての人(≒ファン)を救うことはできないことを知っている人である。
すべての人の期待に応えようとして、自分の意に沿わないことまでサービスしたとしても、それは結局、人の期待通りのものにはならない。自分がのびのびとやれる、自分の目に映る範囲の人に喜んでもらえるために考え尽くしたことが、最終的には多くの人に届くのであり、仮に届かなかった人がいたとしても、その分届いた人の心にはより深く刺さればいい、という考えでパフォーマンスをする人である。…と、わたしは解釈している。
だから、8月31日に行けない、行かない時点で、そのライブのことを知ることはもう無理なのだろうと諦めていた。いたのだが、同時に自分を襲う恐怖心もあった。
これまでほとんど毎回のように小沢健二のライブに駆けつけていたわたしが、今回の重要な機会を逃すと、ファンとしての心が萎えてはしまわないか?彼を遠くに感じてしまわないか?『LIFE』という人生最重要アルバムとの思い出に、瑕疵を残してしまうのではないか?
最後のやつが特に恐ろしかった。これまでと同じ気持ちで、『LIFE』を聴けなくなったらどうしよう。この、わたしの人生を幾度も救ってくれたアルバムに対して「あーライブ行けなかったんだなあ」なんていう、余計な気持ちを差し込みたくない…。
実は旅行初日の夜、「明日はライブか…」と考えて、上のような不安で少し眠れなかった。
それでもわたしは、「楽しい旅行」と「楽しいライブ」のプラス同士のことで迷えているのだから、本当に全然恵まれている。当日は台風に見舞われ、交通機関が麻痺する中、泣く泣く参加を断念した人もいる。無理を押して行けばライブを観れるかもしれないが、自分の楽しみを優先して家族に迷惑をかけるわけにはいかないからと、悔し涙を呑んだ人もいる。そんな人たちの声をSNS(というかエックス)で見るたびに、自分なんか結局楽しんでるんだから全然いいじゃん、むしろ旅行を優先してオザケンさんのライブを切り捨てるなんて、それでもファンを名乗れるの?調子乗ってない?みたいな葛藤までした。
ファンってなんでしょうね?別にみんながそうだとは思わないのだが、自分の中に「万障繰り合わせて全部参加してこそのファン」みたいな謎の矜持が未だにあったことに気づいて、本当に恐ろしいなと思った。誰に強要されたわけでもないのに、「応援しているのなら、一番に優先するもの」でなければならない、という思いこみがずっとあったのかもしれない。全然そんなことないですよね。自分の都合のついたときに、好き勝手に楽しんでいいんですよね。分かってるんだけど、自分はそう(万障繰り合わせて)在りたかったのだと自覚した。
で、結局ライブはつつがなく終わり、わたしは北海道旅行を楽しみながら、他の人たちのライブの感想をSNSで拝見した。始まるまでは不安だったけれど、終わってみれば「行けなくて悔しい」という気持ちは全然湧かず、「みんながライブを楽しめてよかったなあ」と本当に思えたことが何よりうれしかった。
この30年のことを振り返り、つらかったことも楽しかったこともたくさん思い出して抱きしめて帰路についた人。『LIFE』再現パート以上に、その前のリクエストタイムで演奏された『旅人たち』が刺さったという人(これはさすがに羨ましい)。最高の空間にあって、ライブに参加できなかった者のことを想ってくれたという友達。
自分がそこに居なかったことを悔やむ気持ちよりも、そういう人たちが8月31日の30周年を寿いだということが嬉しかった。
そして、佐久間さんのラジオである。あのアンテナばり高の人が小沢健二のファンだったことがまず嬉しかったし、わたしと同じように30年前に息を詰めてあのアルバムを聴いて、まるで自分のことを歌っているように感じた、という話がとても嬉しかった。
有名人でも市井に生きる人でも、みんなが小沢健二の紡ぐ言葉と音楽に惚れ込み、救われ、人生の支えに、励みにしながら今日まで頑張ってきたんだという事実は何度聞いても嬉しい。
LIFE再現ライブには行けなくても、その空気感を伝えてくれたことに感謝だし、別にそこに居なかったからといって、わたしは除け者でもないしファン失格でもない。ごくごくごくごく当たり前のことすぎて、わたしは一体なにを恐れていたのかと思う。
過ぎていく日々を踏みしめて僕らはゆく。LIFE is Comin' back.
そう繰り返し、あのアルバムにも歌われているというのに。
いろいろな思いはあれども、人生、ライフと同じで再現ライブはおそらく一度しかないし、なくていいと思う。わたしは間違いなく『LIFE』をこれからも大事に聴き続けていくし、いつまで経っても人生で最も重要なアルバムである。
あとそれから、我々夫婦の応援する北海道コンサドーレ札幌は今年奇跡のJ1残留を果たしますので、いずれにせよ重要な思い出の年、思い出の8月31日になるのは間違いないのである。
改めて、わたしは本当に果報者だなあと思う。いつか悲しみで胸がいっぱいでも、救いをくれるアルバムがいつでも手元にあるのだから。