前回の飛行機チケットの予約記事で私が書いた記事は82記事になった。
初めて書いた記事は2023年4月13日なので、
現在7月3日までの83日間で、この記事を含めると83記事になるという事は、1日平均1記事書いたことになる!
記事内容の分量に差はあるし、毎日更新ではなかったけれど、書きたいことが持てていたという事実を嬉しく思います。
自分の身を削って書く「アンパンマン」タイプ
書き手にはいろいろなタイプがいると思うが、自分は「自分の身を削って書く」タイプである。それはつまり、「自分の経験していることしか書けない」ということである。
小説家タイプみたいにフィクションが書けないし、そういうものを「書こう!」という気持ちがそもそも起きない。自分が書けることは「経験したこと」であったり、「自分が対象に対して思ったこと」であったりするので、自分から何かを想像して創造する能力が皆無だなと思う。
なので、書くというのは、自分にとってみれば、「アンパンマンみたいに自分の顔を誰かに渡す」ようなイメージである。
ジャムおじさんが勝手に新しい顔を作ってくれるわけではないのが、アンパンマンではない自分の辛いところではある。なので、書いてばかりいたら自分が無くなってしまうので、当然、新しい経験をしたり、何かに対して考えたりして、自分の”顔”を保たないといけない。
「あなたの文章は、卵焼きを食べたいという人に、目玉焼きを出すようなモノね。」
大学にいた頃に、ライティングの授業を受けていたことがあるが、その時に、担当の先生に言われた言葉である。その発言に対して、何か思ったことは無いのだが、そう言われたという事実だけが印象に残っている。
個人的には、トビタテの選考過程で書く力が向上したなと思う。毎日毎日、書いてはダメ出しを食らって消し、また書いてはダメ出しを食らって消すを繰り返していたので、1歩ずつであるが改善されたと思う。
しかも、ダメ出しして下さったのが恩師の先生であったことも大きいと思う。先生は口には出さないが、その喋り方や本棚に並んである本から察するに、言葉に対して相当気を遣う方であることが理解できたので、その方から手ほどきを受けられて本当に良かった。
卵焼き食べたい人に目玉焼きを出してしまう人間でも、トビタテに受かったので、個人的にはそれでもいいやと思っている。
自分の経験を書きたいのは、”薄っぺらくしたくない”から
自分の経験したことだと、熱量を持って書けるから良いなと思う。そこに、嘘が無いから良いなと思う。正直な気持ちで素の自分を出せるから良いなと思う。自分の思いが層になって厚みが出るから良いなと思う。
話は変わるが、「食べ物は体の栄養素、音楽は心の栄養素」と思ってる人間なので、自分にとって音楽はとても大事である。
音楽の趣味としては、昔の音楽が好きで、今の音楽はあんまり…って感じである。なんか個人的にはAKBが出始めた頃から、あんましって感じになった。そもそも論、団体でやってるのが好きじゃない。バンドならグループで活動はアリだと思うし(それぞれが役割を持っているから)、一人で独立している人を見ていると素敵だなと思う。AKBは一人で独立できない奴らが群れを成してるだけの団体芸だから、あんまし好きじゃない。
この考え方は、タップダンスのラ・ラ・ランド批判と同じ。笑
そもそも、何が「人生は紙ヒコーキ」だよ、聞いてる方が恥ずかしくなるほど、歌詞がダサ過ぎるわ!「人生は…」って言えるほどでもない奴らが歌ってるのが滑稽過ぎるし、ただ歌わされてるだけのロボットにしか見えなくて悲しくなる。
で、YouTubeに音楽批判の動画があがってて、面白かったので掲載☟
(45秒から立川談志が登場。笑)
登場する人物の意見に大賛成である。特に1:51からの松山千春と4:28の淡谷のり子の「どれも同じ」には完全同意。
個人的には小1の頃に親が持っていたスピッツのCD(RECYCLE Greatest Hits)を聞いて以来のスピッツファンなのだが、スピッツの歌詞と西野カナの歌詞を比較して書いた面白い記事があったので、切り抜いて保存してあった部分を掲載(太字は僕がつけました)☟
(その記事のリンクを探しても今は出てこなかったので、残しておきたいという意味合いもある。)
記事の切り抜きですが、なるほども思える内容です。
個人的に好きなSpitzの歌詞3選
①恋のはじまり
これは2005年のライブ映像がメチャクチャカッコいんですよね。青い光に包まれているスピッツが最高です!
で、歌詞としてはお気に入りが2つあります。1つ目は、
ですね。思い出せないってのは、好きな人と会った緊張のせいで、あんまし覚えてないってことなのかなと。で、次に、「思い出したいのは君だけ」って来るのが痺れますね。この簡単なコントラストによって、君との関係性と君への思いを見事に表しているのが素晴らしい!曲の冒頭からこんな素敵な歌詞が聞けるなんて、マジで神曲ですよ!笑
2つ目が、2番のサビの部分の、
っていう部分ですね。この「花屋のぞいたりして」っていうところにめちゃくちゃ共感しますね。だって、普通、花屋なんて行かないじゃないですか。そんな全然気にならない花屋が気になってしまうという事は、「ちょっと花でもプレゼントしようかな?」って思ったり、「気になるあの子に似合う花はないかな?」と思って足を運ぶわけで、そう思った時点でまさに「恋のはじまり」ですよね!!!
女性だったら、「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う」みたいな部分があると思いますが、その男性バージョンが「花屋をのぞいたら、恋のはじまりだと思う」だと思ってます。笑
日常的に、花屋に客として来ている男性を見ると、「お幸せに!」って心の中で思っちゃいますね、この曲を知って以来…笑
まぁ、別に恋人の為だけでなくて、別れる先生の為にとか、家族の為にとか、いろんな理由で花屋に行くと思うんですけど、一つ共通しているのは、「皆、その人の大事な人のことを思って花屋に行っている」ことなので、花屋というのは優しい気持ちで溢れた人が集う、優しい空間だなと思ってます。
②正夢
これはマイベストソングです。
やっぱり、サビの
ですよね。夢で見るくらい好きな君に、いざ現実で会ってみたら、「何から話そう」ってテンパるんだけど、その状態の中で一個明確にある気持ちが「笑ってほしい」ってことなんですよね。痺れますね。
この「笑ってほしい」っていうのが最高過ぎるし、この気持ちがあるうちは全てが大丈夫ですよね…
やっぱり、出会った時に「笑ってほしい」と思えるような相手であるというのは、恋のはじまりの「花屋のぞいたりして」と同じで、自分の気持ちを測るための有効な指標になると思います。
③夢追い虫
自分のプロフに「ユメで見たあの場所に立つ日まで削れて減りながら進む夢追い虫。」って書いてますけど、この曲からとってます☟笑
なんかね、一歩一歩進む大切さを思い出させてくれる曲なんですよね。
スピッツ自身が8枚目のシングル「空も飛べるはず」でヒットしたわけで、1枚目から売れていたわけではないことを考えると感慨深いものがあります。どの曲がヒットするかは運次第ですが、曲を出す度に、
という精神で頑張ってきたのかと思うと、自分も頑張ろうという気持ちになります。
個人的にはこの記事が
1番皆に読んでもらいたい記事ですし、熱量を込めて書いたつもりなんですけど、あんまし「いいね」はつかないし、ビュー数も少ないので、思い通りにはならないなと感じています。笑
逆に、ただ動画を載せて紹介しただけのこの記事は、いいねが20以上もついて、ビュー数も200を超えてますからね。笑
書き手が一生懸命書いたとしても、それが成果に繋がらないというのはよくあることですよね。逆の事例ですが、スピッツのヒットソングである『ロビンソン』は、作られた当初は『そんなに売れないんじゃないの』と草野マサムネは思っていたようです。
書き手と受け手が一心同体ではないので、自分的には一つ一つを一生懸命やるしかないですよね。笑
あと、歌詞の続きで、
は、全力で生きなければと思わされますし、
は、目標(ユメで見たあの場所)を持つことの大切さが伝わってきます。
西野カナのマーケティング作詞
一方、スピッツと対比させられた西野カナの作詞法は以下の通り☟
自分で作詞してるのに、そこからわざわざアンケートしに行く料簡が理解できない。自分が思ったことを歌えばいいのではないかと思う。
個人的には、《何か薄っぺらい歌詞だと思ったら自分の経験じゃなかったのかよ…》、《アーティストなら人がどう思うかより自分の伝えたいことを詞に載せようよ》という立場だな。
「こういうこと書いたら皆から良い反応がもらえる」と思って書いてるのって、その時点で自分ではなくて、他人に書かされてるようなもんだから、個人的には嫌な感じがする。人間なんて所詮「命短き ちっぽけな虫」なんだから、自分が書きたいことを、自分の言葉で表現していくのがいいでしょ。
個人的には、別に誰にも見られなくても、誰かからリアクションがもらえなくても、その為だけに書いてるわけではないので、自分の思ったことを自分の思った通りに表現していきたいなと思う。
コロナ茶番の記事を書いて、フォロワーの数が減ろうが関係ない!笑(実際に-2になった)
それと、そういう「表現したい」ってことを自分の中に持てること自体が素晴らしいことだと思うから、人の目はそんなに気にしなくても良いと思う。売れるとか人気が出るとかは殆ど運だと思ってるので、人事を尽くして天命を待つ的な態度が良いかなと思う。
一番大切なことは、「ぶつけたいメッセージがあること」だと思ってます。
おまけ:自分が集めてきた言葉達
大学生の頃、広告のコピーとかが好きで、気になった言葉は保存していました。こちらにそれを掲載していきたいと思います。
意識が高いとか大学生の頃言われてたんですけど、なんか違うなって思ってて、自分なりの結論がコレ。対象に対する意識が、自分の場合、濃かっただけなんです。それを、「高い」とか「低い」とか言って、相手にいちゃもんつけるのは違うなと思いました。人の意識を100%としたら、自分は森の幼稚園に95%の意識を使っていただけなんです。だから、濃いだけなんです。「高い・低い」の問題じゃない。意識の分配に対する濃度の問題。