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書き連ねる目的は何か?
個人的スタンスとして、noteを始めた頃から、読んだ記事には全て「イイね」をしています。
「この記事読んでみよう!」と思った時点で、自分にとって何かしらの縁があるモノであることは間違いないですので。
あと、「読んだぞ」という印的な感じもあります。これまでに何十回、イイねをつけた記事に再び出会ったことか…笑
読んだ記事の作者をフォローしてなかったら、毎回フォローを押してました。
noteを始めた頃の意識としては、「名刺配り」みたいな感じです。いいねやフォローをしたら相手に通知が届くので、そこで自分のことを知ってもらえたらなと考えてました。
ただ、数日前に、フォロー中の数が「2230人」くらいになった時から、誰かをフォローすることが出来なくなりました。フォローボタンを押しても、「フォローできません」って表示が出てくるのです。
それを通じて、数に限度があると学んだので、1700くらいまでフォロー数を減らしました。フォローを外したのは、最新投稿が1年以上前になっているアカウントです。
もう全然更新されてないアカウントって結構多くて驚きました。1記事も書いてないアカウントもあれば、かなりたくさんの記事を書いてたのに更新を辞めてしまったアカウントもあって、人それぞれだなと感じました。
この記事によると、noteの利用者数は4573万人!
![](https://assets.st-note.com/img/1693146523001-wmGjBK4Yfh.png?width=1200)
この記事でドイツのブログ事情を調べてみると、「Word Press」みたいな個人で開設する感じのブログが人気らしい…
![](https://assets.st-note.com/img/1693146902013-qL2FpxVEVV.png?width=1200)
相手の役に立てばそれで良い
滞在許可証がまだもらえてないからBFDが始められなくて、毎日が暇すぎるので、YouTubeとかで色んな動画を見漁る今日この頃。
「トゲアリトゲナシトゲトゲ」、「友近&ゆりやんの時間」、「イワクラと吉住の番組」にハマって、メチャクチャ見てました。笑
「THE W」で活躍していた女芸人さん達が、自分の冠番組を持ってしのぎを削ってる姿が興味深いし、今後どうなっていくのかというドキドキ感があります。
人気商売なので一回一回が熾烈な争いですよね。
そういう頑張ってる姿を見ていた時にふと、「なぜ自分はnoteを書いているのか」という疑問を持ったのです。
フォロー調整の際に色んなnoteユーザーを見ていると、たくさんの記事を書いていたのに1年前に更新が止まっていたアカウントがあって、「自分も将来そうなるのかな」という思いを馳せたり、イイねが1つもつかなくても凄い頻度で更新しているアカウントを見て、「自分だったら他人からの反応が無くても書き続けられるだろうか?」と想像してみたり…
書く理由が「自分の漠然と考えていることをきちんと文章にできるから」であれば、別にnoteに書かなくても、自分が持っているノートに書けばいいですよね。
なぜわざわざそれを他人に晒すのか?
個人的には「承認欲求!」みたいな感じはあんまり無くて、どちらかと言えば、「自分の体験が、他人の役に立てば良い」という感覚が強いなぁと、考えた末に結論が出ました。
他人様の困っていることや知りたいことに対して、自分が書いたことがほんの少しでも役に立てば良いなという思いが強いです。
もちろん、イイねとかがつくと有難いなと思いますが、自分自身が読んだ印で良いねを使っていたという事もあるので、そういう人もいるんじゃないかなと思ってます。
個人的にはいいねよりも「ビュー数」がある方が嬉しいかなと思いますね。見てくれるというのが一番の愛情だと思うので。最後まで読まずに閉じるっていうパターンもあると思いますが、取り敢えずは見て頂いたっていうことが大きいのではないかなと思います。
自分を表現する手段を持つ
あと、上記のテレビ番組や「The W」を見て思ったのは、
自分の世界を伝える
という事です。
その伝え方の上手い下手は芸人というプロの立場から見ればあると思いますが、一般人的の立場からすれば、上手い下手関係なく、「自分の世界を伝えたいな」と思いました。
で、子ども達にも、「自分の世界を伝えることが出来る人間」になって欲しいなと思いました。
最近、言語育成の本を読んでいるので特にそう強く思いましたね。
立川談志の意見
談志って17歳の頃に日記を書いてたらしいです☟
そんな談志が大学生にメッセージを伝えている動画がYouTubeにありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1693150114923-zz0oORbfTk.png?width=1200)
立川談志にとって落語は自己表現に最適なモノだったんだろうなと思います。
ダンサーならダンスで、料理人なら料理で、サッカー選手ならサッカーで、自分の世界を作れるのは素敵なことだなと思います。
納得すればいい
なんか、身近な人が亡くなった経験があるのですが、その時に学んだのは、
「それでも周りの人の時は流れる」
ということです。その人が亡くなっても、自分の日常は何も変わることなく流れていきました。
なので、自分がもし死んでも、他の人の日常は相も変わらず進んでいくのだろうという事を、その時から思うようになりました。
とすると、やっぱり自分が「納得」する生の時間を過ごしたいなと思うのです。
幸い、承認欲求はそんなに強くないし、競争するのは好きではないので、こういう「ブロガー番付」には興味ないですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1693149125088-lNjk4h1JBo.png?width=1200)
というか、そもそも、「神」になったところで、自分がそれに納得するだろうという想像が1㎜も出来ない…笑
ビュー数とかっていうのは、相手が決めることであって、こっちから「見ろ」って言ったって、本当に見るかは相手次第ですからね。
そういう自分でコントロールできない現象に拘るよりも、「自分の書きたい内容がちゃんと書けたか?」とか「自分の言葉やアイデアを前回よりも多く入れられたか?」みたいな、自分のことに対しての目標設定で、その出来を楽しみたいですね。
ただ納得するのに、相手を使ってたら、一生納得できないと思うんですよね。なぜなら、「言い訳」が出来るからです。「あの時相手がこうしてくれたら…」、「相手がこれを言ってくれたら…」みたいに、相手に責任を押し付けることが出来ます。終わりが無いというか、いつまでやんの?って感じです。
納得したいなら、やっぱり、自分と向き合ってないとダメですよね。相手に左右されずに、自分のベストを尽くすからこそ、どんな結果に対しても、納得が出来るのかなと思います。
まぁ、そういうコントロールできない相手を上手く操るっていうところに快感を感じる支配型もいるんだろうなとは思います。ゲーム感覚で、ビュー数やいいねを増やすようにしていく的な。
自分は支配されたくないタイプなので、「己の欲せざる所は人に施す勿れ」の言葉に従って、相手を支配しようとかは思わないです。個人的ですが、支配したい人って、逆に「支配されたい」っていう欲求も強そうだなって思います。笑
例で言うと、新入生として入部して、最初は先輩に支配されてたけど、自分の学年が上がるにつれて、どんどん後輩を支配していく的な感じ。自分は、新入生として入部しても、先輩から何かしらを押し付けられたくないし、自分が先輩になったとしても、後輩には後輩の好きなようにしてもらいたい。
まとめ:書き連ねる目的
・自分が書きたいことを書いて、自分の世界を表現し、自己『納得』する為
・それが他人様の役に立てば良いなと思ってます
(正直、こんなイントロだけの投稿なんて、完全なる個人的趣味の投稿なんですけど、見て下さったり、イイねを押して下さったりする方々がいて、なんか申し訳ない気持ちになりました、さすがにこれは。自分では「何なんイントロだけって!」ってツッコんでたし、「自己満すぎだろ!」と思っていたので驚きです…笑)