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月が綺麗な狂った夜に 彼らの恋は終りを迎える

Salome-androgynos-(両性具有)、御来場頂きました皆様、ありがとうございました!

…ということで、自分自身の気持ちのケジメをつけるため、あとは、Twitterからワンクッション置きたいなと思いましてnoteを初めてみました。
とりあえず今回はイダイアと自分の事について書きます。

スタンスとしてはダラダラと大きめの独り言を綴る場所にしたい。
文字数も気にしなくていいし。ゆるーく好きに書いていきたい。

実は、トレメンドス版の初演サロメは観てはいないのですが、台本はシンデレラの時に稽古で読んでいて、正直、難しすぎて最初は乗り気じゃなかったのです(;´∀`)
だって、何度読んでも役の感情が分からなくて。

ナラボートが自殺した直後のイダイアの長台詞なんかは、最終稽古の日、enさんから「テンパってる感じ」「最後のヨカナーンの首に語りかけるサロメとの対比」と言われるまで、全然自分の中でしっくり来ていなかったのです。
言われて「なるほど」ってなったので、自分の発想力の乏しさよ………もっと早くenさんに助けを求めるべきだった。

自力で考えてこそ役者だ!みたいな考えもあるけどさ、いや、お客さんに良いもの届けるのが最優先だしょ。

さて、元々初演サロメでも「オカマ」と自称もしていたイダイアですが、今回は明確にトランスジェンダーとして書かれています。
「オカマ」という言葉はとても曖昧で、性自認に関わらず女性的な男性を乱暴にまとめる言葉。自虐的に使うのはいいけれど、決して他人に対して使うものではありません。
ならば「オカマ」と自称するのはどういう人なのか?
イダイアをやるにあたり、MTFさん(男性に産まれたけど心が女性の人)のブログとか読み漁ったりもしました。
自分自身も性別違和だけど、FTM(女性に産まれたけど心が男性の人)の方しか知らなかったので。
読みながら色々な感情でボロ泣きしました。
女性の身体は人間のベースだから、男性ホルモンさえ添付すればある程度男性の身体に近づく事はできるのです。
でも、一度男性化した身体をベース(二次性徴前)の状態に戻すことはできない。
どっちが大変とか比べるものでは決してないけれど、ね……

イダイアはCinderellaのゼラゼと違って、女性言葉は使わないし一人称も「僕」。
一人称についてはenさんも迷っていたと聞いたのだけど、実際のMtFさんで「僕」を使う方は意外と多いとの事。
私自身、脳内以外で男性の一人称(俺とか僕)を普段使いするのは人目を気にしてしまっての抵抗があるので、同じような感じなのだろうと思っています。
サロメが「選ばれし者」的なポジションなのに対して、イダイアは一般のLGBT代表みたいな感じにしたいという事もちょこっと聞きました。
LGBとTの間には大きな溝があるような気が、個人的にはあるのですがそれはとりあえず今回は置いといて。

だからこその最後の台詞
「全部諦めてた。孤独に生きるって。自分に嘘をつき続けるって決めていたのに~」
カムアウトできない多くのLGBTの声を代弁する。
それがイダイアの大きなテーマになりました。
何より、この台詞を初めて目にした時、自分の事すぎて涙が止まらなかった。
これまでの自分は「女で居なきゃいけない」と思っていて、声優として仕事する為にも、音響監督のおじさま方に気に入られる「女性」として取り繕わなければと思っていた。
でも、ホンモノの演技をするには「自分を諦めた」状態では無理だと気づいてしまって、この先自分はどうしたいのか悩んでいた所にこの台詞。
この先どうしたいのかは結局まだ見えていないけど、とりあえず自分自身に深く刺さったこの言葉を、きっと客席に居るであろう当事者の方にも届けたいと、強く思ったのです。

イダイアはナラボートの「友達」として、ただ隣に居るだけで良いと、自分に言い聞かせて居たんだと思うのです。
一度向けられた「化け物を見るような目」を恐れて、自分の本心を諦める事を選んだ。
ナラボートが言ったという「お前が女だったら結婚したのに」という言葉はイダイアにとってはとても残酷な言葉。
女の心を持ちながら決して本物の女になれない絶望を、友達としては最高の位置にいるという満足感に無理矢理置き換えて、あの台詞を吐き出しました。

公式裏設定て呟かれていましたが「ナラボートはイダイアを抱いていたのでは?性欲処理として。」という説は、こちらは稽古期間に聞いていました。
それはそれで余計に辛いわ!と思ったけど、今思えば、自分に絶対振り向かないからこそ、イダイアはナラボートの事が好きだったのかな、とも。
自分自身を愛せない人間は不幸にしがみつく。自分が「可哀想」じゃなくなってしまったら、自分を労る理由がなくなってしまうから。
少なくとも実際自分がずっとそうだった。自分の幸せを認めるのが嫌だった。不幸でいたかった。

勿論それは潜在意識の話で、あの時生まれた感情の裏側について分析した結果。
舞台の上ではそんなこと考えちゃいなかったわけだけど(笑)

これをまとめながら、今年の5月、これまでで一番幸せを感じた誕生日だったことを思えば、自分はやっと自分を愛せるようになったんだなと気づいた。

人が本当に幸せになるためには、自分自身を無条件に愛せることが第一なのだと思うのです。

本編ではほぼ一方的に語りかけられるばかりだったけど、ヘロディアスもイダイアにとっては大事な人でした。
女性として扱ってくれる、居場所をくれた人。
初演サロメの方はあまり関係は良くない印象に読めますが、今回はいい関係だったように思います。
振り回されながらも(笑)主として、母として慕っていたと思う。そんな日常を想像するのも楽しい。
「男など居なければ良い!」の辺りは(あー、ヘロディアス様のいつもの始まった)みたいな感じで眺めて居ました(笑)
もっとヘロディアス様と会話したかったなぁ。
大事な人が二人も自殺するの、マジ辛いw

サロメを刺した後、イダイアはどう生きるのか。
それは色んな想像が出来た方が楽しいけれど、本編の世界線では絶対にナラボートとは幸せにはなれないので、二次創作に救いを求めるのは創作クラスタとしては自然な流れですよね(笑)

さて、だいぶ溜まっていたものは吐きだした感じ。
整理整頓には「出す・分ける・減らす・しまう」の「だわへし」が良いと聞きます。
脳内整理に「減らす」は必要ない(要らないことは勝手に忘れる)ので、出して分けたらあとは仕舞うだけ。
いつか別のお芝居の為に「ひきだし」にしまっておこう。

イダイア、またね。大好きだよ。


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