見出し画像

ナンパ師と悪魔について

私のnoteアカウントのこの画像。
ヘンリー・フュースリーという画家が18世紀に描いた「夢魔」というタイトルの絵画らしい。たまたまXのタイムラインで見かけたが、妙に引き込まれてしまった。ナンパ師はこの夢魔のような存在なのではないかと私は考えている。暗がりに潜み、恨めしそうにこちらを見つめる醜い悪魔。こいつがナンパ師の本質を表しているように思えてしまう。

ナンパ師=インキュバス

日本のちょっとエッチなアニメには「サキュバス」と呼ばれる淫魔が登場する。男性を魅了し生気を吸い取る悪魔だ。この男性版を「インキュバス」という。私はこのインキュバスこそナンパ師であると思っている。よくいい意味で「悪魔的」などと表現することがあるが、今回の場合は文字通り悪魔なのだ。彼らは悪魔的にモテる。決してポジティブなニュアンスではなく。
彼らは徹底的に自分を変える。まさにインキュバスが女性に、彼女たちが見たがっている夢を見せるように。
私がかつて師と仰いだ凄腕は、自分自身のステータスも飾り立てる。消して自分からは明言しない。だが、言動や返信の頻度からエリートを「匂わせ」た。芸能関係者、金融エリート、ベンチャー企業のCEOなど。
夢を見せて魅了しているのだ。そうして散々「夢」を見せた挙句、彼らナンパ師は決して満足しないので(満足した時点でナンパ師を卒業できるからだ)、夢からふと覚めるように、彼らも女性の前からふと姿を消す。

頂き女子(パパ活女子)=サキュバス

先ほどサキュバスの話をしたが、こちらは頂き女子やパパ活女子と呼ばれる人たちではないかと考える。作家の橘玲氏がナンパ師と頂き女子(パパ活女子)の類似性について語っていたが、まったく同意見だ。りりぽんのノートの一部を見たが、私が実際に購入したナンパ師の教材と驚くほど似通っていた。頂き女子は金銭を騙し取ったので刑事裁判にかけられたが、ナンパ師は女性の心を騙し取っている。しかしそれを取り締まる法律は存在しない。彼らはこの絵の「夢魔」のように暗がりに潜んでいる。

自分自身への戒めと慰め

私は高額な商材をいくつも買ったが、どれ一つとしてナンパ的な成果を生み出すことができなかった。ある意味、この「夢魔」より惨めな存在かもしれない。だが、先程述べたようなステータスを飾り立てることや、それを隠して女性に接触する事ができなかった。いわゆる地蔵(*1)だ。地蔵克服のために更にマニュアルを買うなど、相当こじらせていた。必要なのは教則ではなく経験だったのだが。当時それをチキンだとかコミットできていないなどと覚えたてのカタカナを使って自分を攻撃したが、今となっては地蔵していて良かったかもしれないと思っている。

ナンパ師は悪者なのか

散々ナンパ師を避難するようなことを書いたが、私はナンパそれ自体が悪いことだとは全く思っていない。むしろみずからをPUA(*2)と名乗る人たちは女性を楽しませている認識さえある。私もそう思う。だが、ここ数年のナンパ師の皆さんはどこか異常なように思えてならない。自分も相手も偽り、傷つけ、そして自分自身もまたひどく傷ついている。私はアンチ資本主義者というわけでもないが、行き過ぎた科学信仰や大量消費には違和感を覚えているタイプの人間だ。そうした歪さを彼らにもまた感じてしまう。そういう社会だから、現代ナンパ師のような人が生まれてしまう、ということでもあるのかもしれない。そのあたりはモテ=資本だと考えると妙に納得してしまうところがある。やはり「大いなる力には大いなる責任が伴う。」ベンおじさん(*3)はいつも偉大だ。



(*1)地蔵:ナンパにおいて、女性に声をかけられずにいる状態のこと。じっと固まってしまうので(物理的にも精神的にも)「地蔵」になぞらえて揶揄される。

(*2)PUA:Pick Up Artist ピック・アップ・アーティストの略。英語で言うナンパ師だが、あえてこう名乗る場合「女性を楽しませる色男」というニュアンスを含む。イメージ的に言えばSF漫画のコブラが近いか。ニール・ストラウスの古典的ナンパ名著「The Game」にて彼が自らをこう名乗った。

(*3)ベンおじさん:スパイダーマンの主人公、ピーター・パーカーの育ての親。蜘蛛の能力を獲得したピーターに、この名言を残してこの世を去った。


いいなと思ったら応援しよう!