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宮古・大神島 ④いよいよ大神島へ

2024年11月、鳥取・大山(昔は大神山といった)の旅について書きはじめたけれど、その一年前に宮古島の大神島に行ったこととどこか繋がっているような気がして、書きはじめた旅の話の第四回(以前Facebookに書いたものに加筆)。
なのだけど、note連続投稿するためもあって、すでに一度書いた話に手を入れて書いているので実はちょっと飽きてきている‥

わたしがなぜ旅の話を書くか、というとやっぱり旅のときに面白い出会いがあるように感じているから。「犬も歩けば棒に当たる」的に、不思議な出会いの天才じゃないかとも密かに思っている。それから、旅や知らない世界に出会う、体験することをなんらかの形、仕事や表現としたい。そんな思いもある。まずは毎日投稿することを続けてみよう。まだ書いていない旅の話もたくさんあるから。


携帯のアラームが5:30に鳴って、意外とすんなり起きれたのには自分でもびっくりした。

チェックアウト時間に戻れないから、慌てて荷物をパッキングする。大きな荷物は、クルマを借りているWちゃんに運んでもらうことにして、小さなリュックと法螺貝を持って出た。
外は、これから明るくなりはじめるところだった。

歩いて15分ほどのバス会社がバス停になっていて、少し待つとバスが来た。「島尻港まで」。バスの中から、朝焼けに染まる空が見えた。
港に着くと7時過ぎ、静かで誰もいなかった。「昼間はレンタカーいっぱい止まってるよ」と運転手さんが示したところにも、まだ一台もクルマはなかった。

小さな港のはじに東屋みたいなところがあって、持ってきたご飯を食べてしばらく待つことにした。朝焼けは見れたけど天気は曇ってきて、風も強くなっていた。風に揺れ動く海面を見ていると、ああ、フラダンスってこういう動きからできたんだろうなぁと踊ってみたくなって、そうしてみた。それから法螺を立てたり、ポッドキャストを録音したりするうちに8時を過ぎて、いつのまにか続々とクルマが集まっていた。


切符を買って小さなフェリーに乗り込むと甲板の席はもういっぱいだった。船室に入って左端に座った。少しすると5人組が入ってきて、そのうちふたりがわたしの隣に座った。

「あら、ひとり?」
久留米絣の作務衣みたいのを着たおばさまに声かけられた。
「はい」。

船は15分位。その間におばさまは宮古島の人で(大神島ではない)今日は名古屋のお客さんを連れてきていること。大神島は「ウガム(拝む)」島であって宮古の人はフツーは行かない、自分も毎回、母親に内緒で来ている、と話してくれた。
さらにおばさまは、宮古のお米はイセヒカリのルーツであるとか、天皇(どの?)が宮古だか大神島にお忍び的に来た、というような話を名古屋からのお客さんにしていたので、わたしは竜宮の入口のことを訊いたけど、それは知らない、と言われた。
名古屋からのおひとりは大神島が好きで何回も来ている。けれど以前来たときに貝がらや石を持って帰ったら、その晩、宿で悪夢を見たり天候が荒れたので怖くなって翌朝すぐに返しに来たことがあった、と話してくれた。

フェリーが大神島に着いて降りたらなんとなく、そのご一行と一緒に高台にある遠見台を目指すことになった。おばさまは野草の先生だそうで、道中にある草を見つけては、名前と何に効くかを教えてくれた。

坂と木道の階段を上がって遠見台に着いてふと、おばさまの足元が靴下は履いているけどベアフット系サンダルなのに気がついた。
訊くとやっぱりマンサンダル!わたしも宮古に行くにあたって久しぶりにマンサンダルを履いていたとこで、親近感⁉︎でなんだか盛り上がった。

海を見下ろしながら、おばさまは宮古の民謡をきかせてくれて、わたしは法螺貝を立てた。(つづく)

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