0330|裏木曽日記|卒業制作
いつのまにか、すっかり春なんです。あたたかくなって、今朝は今年初めて鶯の鳴き声をきいた。このあたりの桜もだいぶ膨らんできている。例年より数週間早いらしい。
見出し画像はお隣の梅畑。
こちらは白川沿い、同じ村内でも少し南に下ったところ。桜はもう咲き始めていて昨日のお昼はピクニックランチ。
何でもないけど、何でもある幸せ。
あと少し、あと少しの現場はほんとうにあと少し。
日曜午後から珪藻土を塗りはじめた大きな一枚壁。一気に塗ってしまわなくてはならず、結局徹夜で終わったのはほぼ日の出前。
作業中、いろんな感情がわきあがる。うまくいかなかったこと、まだ思い出しちゃう過去のこと。あのとき違う行動と選択をしていれば違う今になってたんだろうか…最近「非二元論」を知って、それではすべて「起こっている」。誰がいいも悪いもなくて、起きることすべて、自分の感情や選択・行動もただ起こる…これを取り入れると良い意味で「選ばなかった未来はもう存在しない。これでいいのだ、すべておよろこびさま」とも思えるようになってきた。
「あ〜なんでこんな大変なの好きなんだろう」まだまだ終わらない深夜に嘆いて涙が出てくるけど、その自分自身が滑稽で笑うしかなかった。この、ハードと思える設定だって選んで生まれてきたんだ、体験したかったんだ。
学生時代に終わらなかった、終えられなかった卒業制作を思い出した。自分の力量も顧みずに、壮大な理想的プランを考えて手は進まず、一部だけで途中提出。成績は「可」で卒業させてもらった。終わらなかったのは小学校の夏休みドリルや家庭科の課題もそうだった。
振り返ってみると友人たちの卒制はその後の進路や方向性を示していたような気がする。終わらなかったわたしのそれは、いつか完成させよう…と、それからもう20年も経っても手をつけられていなかった。
「ああそうか、今やっているこれが卒業制作だ!」
学生時代に課題とは関係なく自主的につくった小さなペーパー「不完全自活マニュアル」
紙上世界の空想妄想的自活生活指南。それが今、目の前に現れて、形にしていっている。これまでの終わらない、できない、ダメ出しばっかりの。好きなのに嫌いなわたしを卒業する、最後の最高の機会。
とりあえず毎日、手を動かす、動かせること。何はなくとも、ただそれだけで幸せ。