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自分の中の違和感を大事にする

先日、マンションを買おうかと動いている話をしてくれた友人に、その後の話をきいた。

少しいいかな、と思っていたマンションは身内に相談した結果、やめたそうだった。友人自身が築年数について気になっていたところを、ご家族からも指摘されて「ああ、やっぱり」となったようだ。

そしてマンション購入計画は取りやめ、賃貸で探そうかなと動いているそうだ。

そもそも今住んでいるところを急ぎ出なくてはいけない訳ではない。でも部屋が少し手狭とか、洗濯機置き場がベランダで、そのベランダに屋根がないから雨ざらし…とかなんとなく気になっていて改善できたらいいな、と思っている部分があるのだそうだ。

最近、集中して物件情報や実際の物件を見に行ってみて、自分自身のあることに気がついたそうだ。
それは例えば「自分にはこの位の家賃が相応しい、だからお部屋はこの程度、条件が少しよくないのは当たり前だ」というように考えている、ということ。どうしてかわからないけど、自分自身を責めるかのような厳しい設定している、ということ。

なぜ、自分にそんな設定をするの?そこを深掘りしていってもいいのかもしれないけど、ただそういう傾向があるんだなぁ、そういう風に、自分自身で気がつくだけでも世界が変わってくる。そこまでは伝えれなかったけれど、自分で気がついたのは大きなギフトだと思った。

そのうち、わたし自身の話になった。最近、返事をしかねていることがある。「え、その中でも菊子さんのやりたいこと、やりたいようにできるんじゃないの?」と友人。「たしかにそうかもしれないけど…なんとなく前からどこか違和感があるんだよね。感じないときもあるけど、ふとしたときに感じてる。この話を進めたら、さらに大きくなりそうな気がするんだ」。それからあれこれ理由付けを始めるわたし。でもシンプルに言えば「なんか、やりたくない」それだけだ。理由なんてあるようでいてなかったりもする。

「あー、そうだよね。菊子さんってずっとそういう違和感を大事にしてきたって感じがする」「えーそうかな?でもそうかもね。まぁ結構大変だよー。会社とかで単にわがまま言ってるだけに思われるし、実際わがまま通してぶつかっちゃったりしてたから(笑)」

「わがまま通しまくってたから会社で左遷的な異動打診があって辞めざるをえなかった、辞めさせられた」昔のわたしに起こった退職劇⁉︎をそんな風に自虐的に言うこともあるけれど、本当はそのまま居続けるのはしんどい、と思っていた。だから結果的にはオーライな展開だった、かなりのハードモードではあったけど。もう修行系はあえて選ばなくてもいいのかもしれない。それがやりたいならそれでもいいけど。

このnoteでもいくつか書いた「ヴィジョンクエスト」の感謝の集まりが2月初めにあった。その中のセレモニーで松木正さんから下ろされたイエスカのことば(スピリットのメッセージ)でもそんなことが伝えられた。
「自分に嘘をつかない」と。

「なんとなく」と「自分の中の違和感」は大事にしたい。自分を受け入れる最大の理解者は自分自身でいよう。その、違和感や出てきたものに理由付けはいらない。だって「なんとなく」なのだから。ほんとうの気持ちはわたしだけが感じている、知っている。



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