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修行はもういいかもね
「修行はもう、いいかもね」
そんな、新暦2025年のこの頃。
去年は散々行ってたのに、ね。
2024年は初めて出羽三山へ。大聖坊の星野先達の元で二泊三日の山伏修行体験をさせてもらった。
山伏修行体験に興味ある人はぜひ!
毎年四月一日に公開される日程・受付開始をお忘れなく。マジで秒殺、すぐ満席になる…(キャンセル待ちで参加できた人もいる)。
修行の内容は詳しくは伝えられない。
ただ、山のレベルとしてはそれなりに山行っている人なら楽勝だと思う。もちろん、山に登ることだけが修行ではないのだけど。
わたし自身は出羽三山の山伏修行体験を終えてある一つのやり方に従って、一通りやり切ったという風に感じた。
からだの自然な感覚のみに従う。スマホや時計、普段馴染んだ生活から離れた場に身を置くことはすごく貴重な時間。それを体験する機会があること(金銭、日程、タイミング)は本当に豊かで恵まれているなぁ。
星野先達は折に触れ、こんな風に話をされる「みんなさ、これ(といってスマホを触る手付きをする)とかやってるからさ、修行に来なくちゃとかなっちゃうわけ。こんなん(スマホやらネットやら)やってなければ修行なんか必要ないんだよ」。
先達のおっしゃる通りだ。
頭の働きを静かにしようと思うのなら、山籠りの必要はない。ただスマホを切って、自分の感覚に従う。自然は山に篭らなくても、そこかしこにある。もちろん木々や緑の面積、分布の大小や割合は都会や街と田舎では異なるけれど。
さらにいえば、外にある海や山だけが自然ではない。と、かの野口整体の野口晴哉は言っていたけどね。
それから「山の行より里の行」そんな風にもおっしゃる。
山に篭って、自然や祈り、あるいは自分自身とだけ向き合う時間は貴重だ。でも日々の暮らし、自分自身をつくっている、支えてくれるものがあってこその「特別な修行時間」を体験できるのだ。そして山で受け取ったもの、研ぎ澄ませた感覚を持ち帰って実際に実践していくのが日常、里での修行だ。
山伏修行体験は、少し大変に感じた部分もあったけれど、過ぎてみればとても刺激に満ちて、同行させてもらった方々との出会いも楽しかった。
さて、それら体験をわたしは日常の何に活かしているのか?という自分自身への問い。
少なくとも毎日、家で勤行するようになった。とはいえ??
ところで、わたしはここ数年、山伏修行体験以外にネイティブ・アメリカンの儀式、ヴィジョンクエストやスウェットロッジにも参加している。
けれど、それ以前の昔に山岳レース(とかいうとカッコいいけどトレイルランの大会w、同じか)に出たときに、近年のいずれの山伏やネイティブ・アメリカン修行では体感したことがない不思議な感覚、世界を感じたことがある。
正直、そのミラクルな不思議な世界をもう一度体験したい!それで山伏やネイティブアメリカン修行しているところがあった。
でも、どうやら、求めようとすると得られないのかもしれない。それぞれに不思議な感覚、体験はあるけど山岳レースのときほど圧倒的なものはない。気付きの体感も全然違う。
ちなみに山伏修行体験では、不思議な白昼夢のような感覚を味わったことはあって↓
さらにこの翌月、修行ではなく長距離運転中にこの白昼夢みたいなものを感じた瞬間があった😅事故らなくてよかった
長くなった、まとまらないまま書いてみたのでまたときどきで手を加えていくことになりそう。
そんな訳で今年は山の修行でなく里での修行。
それは、誰かに先達されて外に求める修行でなく、自分のうちから、これまで受け取ってきたものを出していく、形にしてみることでもある。そういう年にしていこうと思っている。
まー、9ハウスステリウムにドラゴンヘッド射手座持ちなんで、旅や外の体験に探求の道はどっちにしろ続いていくんだろうけど。それが外向きではなく内向きになっていくのかな。
写真は大聖坊での山伏修行体験を終えて、星野先達と。ヨーロッパの修道女っぽいね、と写真を見た友人は言った🤣
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