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命日にオーロラの下で鹿になった大叔母と出会った話

数年前、大叔母が亡くなった。
父方の祖母の妹で、とても格好の良い人だった。

背が高く、背筋がピンと伸びていて、ハスキーな声と笑顔が可愛い大叔母で、私たちの親族は誰も彼女をおばさんとは呼ばなかった。

通称「清子ねえちゃん」

清子ねえちゃんは、神戸のはずれにそれほど大きくはない居を構えていた。

幼かった私から見ても、とてもおしゃれな人だった。
家の食器棚には自分で焼いたお皿がいくつも並んでいて、季節の変わり目などには手作りの絵葉書を送ってくれた。
旦那さんのことが大好きで、愛情表現の仕方はちょっと外国の人みたいで、控えめにそばで微笑んでいる旦那さんは、明るい清子姉ちゃんとバランスが取れていて、傍目から見ても本当にお似合いだった。

清子姉ちゃんの家には、幼い時に何度か行ったことしかないのだけれど、黒い犬のジョンがいた。
大きくて怖かったけれど気のいいやつで、ワン!と吠えることもあんまりなかったと思う。

清子姉ちゃんの周りには、とにかく優しいひとが多かった。
ただの優しさではなくて、しなやかな優しさだ。
ダメなことはダメだと言い切り、芯が通っていて、強い。話していると、心の奥底に穏やかな優しさの湖が広がっているのが見えてくる感じがして、そんなところも大好きだった。

そんな清子姉ちゃんが、静かに亡くなった。
3年前だった。

旦那さんはもうすでに早くに亡くなっていて、本人もしばらく闘病をしていたらしいと、私は清子姉ちゃんが亡くなる少し前に知った。
私が社会人になってからは会うことはなく、私はただ社畜として精一杯働いていた。
シナリオライターという人生に夢中だった。

いつも、会いたい気持ちはあった。
でも、会いたいというにはどこか気恥ずかしさがあった。
それは、子供でもないのにどんな顔をして会いたいと言えば良いんだ?という大人ならではの尻込みもあったし、普通の家庭よりも私たちの関係が若干複雑だったのもあったと思う。
清子ねえちゃんは私の祖母と腹違いだった。
全体的に背が低くてずんぐりむっくりしている私の祖母の子供たちと、背が高くてすらっとした清子姉ちゃんたちの家系は、物心ついたばかりの私ですら「なんかちがうな」と思うぐらい顔貌が違った。
別に諍いなどはなく、みんな仲は良かったけれど、なんとなく言葉にはできない「遠さ」があった。

まだコロナの影響も残っていたので、私は清子姉ちゃんのお葬式には行かなかった。
ちょうど、会社でもいろいろあった時期で、悲しむこともろくにしないまま、時が過ぎた。

それから、私生活がガラリと変わり、ようやく一通りの落ち着きを取り戻した頃、夢を見た。
オーロラの空の下、鏡のように輝く遠浅の湖に、一頭の鹿がいる夢だった。

鹿は少し離れた場所からじっと私を見ていた。
夢の中には父もいて、ふたりで鹿と向かい合った。

綺麗だな。清子姉ちゃんに似てる。

鏡の池を歩きながら、しばらく鹿を見ていた。
朝、目を覚まして、心配して会いに来てくれたのかなと思った。
そして、その日の午後,母からラインが来た。

清子姉ちゃんの命日だから、お花をあげてきました。

昔から、虫の知らせのようなものを感じることはあった。電話がかかってくる前に目を覚ましたり、あ、あの人が来そうだなって思ったり。

社会人になってから、そういう第六感のようなものはあまり感じなくなっていたのだけれど、
あの日の夜の出来事があまりに印象的だったから、ここに書き残しておく。

清子ねえちゃん、わたしはあなたが大好きだったよ。
あなたの笑顔も、ハスキーな声も、「千花ちゃん!」と呼んでくれた時の特別な嬉しさも全部覚えているよ。

私も、もうずいぶん大人になったよ。
少しずつ、わたしもあなたの歳に近づくから、
いつか、また会おうね。
あの綺麗なオーロラの空の下で。


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菊衣千花
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