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「オフィーリアはクソだよ」
走り抜けるように読み終わり、スパイクリーの映画版を観たくなった。
ナチュレルとメアリーに会ってみたくて。
主人公・元麻薬密売人のモンティの恋人である、プエルトリコルーツのナチュレル・ロザリオ。
立ち居振る舞いがとにかく美しく、ユーモアももあって、強い。
私は、彼女の身体的な描写が多かったからかもしれないが、途中からナチュレルがロザリオ・ドーソンにしか見えなくなっていた。
「(ニューヨークの)アップタウンの遊びができる、近所の女の子だった。」
物語の後半、モンティはナチュレルとの出会いをこう語っていた。
モンティ/ハロルド
「スケートでコケてる音を聞いただけで、ハロルドがいると思った。」
これは、映画「All the streets are silent」でロザリオ・ドーソンがKIDSで共演したハロルド・ハンターについて語っていたことだ。
読書中、ニューヨークという街にインスパイアされて創作された様々な「虚構」が、私の頭でうごめいていた。
その中で「真実」を手探りで探した。
モンティ・ブローガンとハロルド・ハンターは全然違う。
作品と現実の人生、ルーツ、肌の色…
その中で、背負ったものの大きさと儚さや弱さにどこか共通項も感じた。
それが果たして真実かはジャッジできないけど、手探りで掴んだものはそれだった。
ナチュレル/メアリー
物語のもう1人のヒロイン、メアリー・ダヌンツィオ。
モンティの親友・ジェイコブの教え子だ。
良い評価をされるかは別として文章を書くことを得意としていて、その下地になるように様々な作品を吸収していた。
物語の終盤にクラブで開催されたモンティ収監前のお別れパーティーで、好き勝手しゃべりながらこのように話している。
「オフィーリアはクソだよ」
それまでもメアリーは好きだったが、この一文を読んで一瞬にして友達になれると確信した。
そう、ナチュレルもメアリーも彼女たちの人生において、決してオフィーリアになり得ないのだ。
特にナチュレルは、長年の恋人が7年間も刑務所に行くことが決まっていて、どこか恋人の自死を常に心配しているよえに見えた。
しかし、彼女自身の死はどこにも見えなかった。
悲嘆も不安もあるかもしれないが、それでも彼女は未来を見ている気がした。
ここにもまた真実があった。
オフィーリアはクソということ、
女は死なないということ。