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ぼっちと海外
卒業旅行といえば、充実した大学生活を送った者にとっての輝かしいラストイベントである。裏を返せば、ぼっちとは無縁のイベントだ。
しかし、ふとしたことから私も卒業旅行を思い立つ。
4年次の初夏だった。「私は就活を終えた人間です」ということを周り知らしめるかのように、同学年の大学生たちが派手な髪色に染め出す頃。
色とりどりの人波の中から一つの会話が耳に入った。
「もう最後かもしれんで。一生のうちに、何日も海外に行けることなんて」
そうか。今だけなのか。
期間限定という言葉に弱い日本人の性分が自分にもあったらしく、途端に損したような気持ちになり、気がつけば14泊分の行き帰りの飛行機を予約していた。
東欧なんて洒落てていいんじゃないか。それくらいの適当な理由で行き先を決める。
そんな衝動に駆られてたった一人でハンガリーへ旅立った私のぼっち卒業旅行が始まった。
ブダペストのホームレスは図々しい
よく海外旅行に行くと日本と他国の違いに驚くというが、私が何より新鮮だったのはブダペスト(ハンガリーの首都)のホームレスだった。
日本のホームレスといえば少なからず日陰の存在のように扱われることが多い。街の隅で他の人に迷惑をかけないようにひっそりと、社会とは一本の線を引いたように暮らしているイメージだ。
ブダペストのホームレスは、日本とは違ってとにかくお節介で、いわば社会に溶け込んでいた。
というのも、街を歩いていたらニコニコと話しかけてくるのだ。
スタイリッシュなファッションに身を包んで、髪は綺麗に染められ、一見一般人と遜色ないような見た目だった。(つまり家がないだけで、ある程度の金銭は持っている?)
特徴的なのは、簡単に雑談を済ませると必ず「私はホームレスだ」と自己紹介してくる。その後、「写真を撮ってあげようか」だったり、「観光案内をしてあげようか」などと提案をしてくるのが一連の流れだ。要は「俺ホームレスだし、何かしてあげるから金恵んでくれよ」ってことなのだ。
なんというか、とても図々しい。(勿論、断れば深追いはしてこないのだが)
ただ、そんな彼・彼女らに助けられたこともある。
街を散歩していたら道を間違えてしまい、知らないエリアまででてしまったことがあった。慌てて近くの地下鉄に駆け込んだもののハンガリー語の分からない私は知った駅までの切符を買うこともままならず困惑していた。
その時に近寄ってきたのもホームレスだった。
私が行きたい駅を指差すと慣れた手つきで切符を買って手渡してくれる。お礼を言ったら、いつものごとく彼は「私はホームレスだ」と自己紹介をしてきた。チップを要求されているのだと察して、財布の中から適当に500Ft札(200〜300円くらい?)を手渡すと、彼はテカテカした笑顔で握手してくれ、その場を立ち去った。
ブダペストのホームレスは、日本のような「日陰の存在」ではなく、「ホームレス」という名の観光案内人のような役割を果たしているのかもしれない。
日本で「私はホームレスだ」と堂々と名乗る人はどれだけいるのだろうか。
立ち去るホームレスの背中がどこか頼もしく見えた。
ドミトリーと民度
海外旅行に不慣れな人におすすめしたいのが、「日本人が経営する宿」に泊まることだ。日本人スタッフが現地でのレストランの予約や観光の際の注意点などを教えてくれるので、滞在中の強い味方となってくれる。
私はなかでもドミトリータイプの日本人宿に滞在していた。
ドミトリーというと見知らぬ日本人同士での共同生活スタイルが基本。他人がいると心が休まらないからと敬遠する方も多いが、当時大学の学生寮に住んでいた共同生活玄人の私にとって、どんな人と相部屋になろうが「まあ余裕だろ」と考えていた。
だって、私の寮は「治安最低」と呼ばれていた場所で、毎晩酒盛り、麻雀、マリオカートで、叫び声が鳴り響き、部屋で寝ていようがテスト勉強をしていようが酔った先輩が侵入して来て強制的に飲みの場に連行される日常。
そんな生活難易度Aの環境を4年間も経験した私にとっては、海外の宿まがいのドミトリーなど生やしいものなのだ。
しかし、「余裕だろ」と考えていた思考は思わぬ形で裏切られる。
私が泊まったドミトリーは、ブダペストに音楽留学して来る日本人学生も住処とするところだった。
しかし、私が普段暮らす野郎ばかりの学生寮とは違い、とてつもなく「民度」が高い。
管理人に共同設備を案内してもらっているなか、綺麗に調理器具が整えられたキッチンに目を疑った。
「なんで・・・こんなに綺麗なのですか?」
「いや、結構汚いほうだと思うよ」と管理人は困惑気味だったが、学生たちがこぞって暮らす環境であるにも関わらず、錆びた包丁も油汚れの残ったフライパンも洗いかけの食器も散らかっていない光景に度肝を抜かれた。
同じ寮なのにこんなにも違うのか。
さらに、冷蔵庫を開けてみると綺麗に整理整頓された食材やら調味料などが鎮座している。私が普段住んでいた大学の寮の冷蔵庫なら、物を入れても盗難されるのがデフォなのでろくなものが入っていないのに。
さすがは海外に音楽留学に来るくらいの上流学生が過ごす場所。これが育ちの違いというものなのか。実際にそこで会ったルームメイトは、貴族さながらに手を振って挨拶をかましてくるとても品の良さそうなピアノ奏者のお嬢さんであった。
ドミトリー生活初日、しばらくは落ち着いた生活が送れそうだと安堵の思いで眠りについたことを覚えている。
しかし、小1時間後に大きな音が聞こえて目を覚ました。
あれ、ここには酔って騒ぎ出す輩のような寮生もいない場所のはず・・・なのになぜ?と音の正体を探ると、
それは、汚い笑い声でも酒を煽るコールでもない。
グランドピアノの旋律が激しく響いていた。
どうやらドミトリーに住む留学生同士でピアノのジャズセッションが行われていたのだ。
民度は高すぎたら高すぎたで、我々がついていけない世界が待っているのだ。やっぱ日本の底辺みたいな学生寮の方がマシだと感じた夜だった。