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変ドラ、F先生

「変ドラ」というホームページがかつてあった。
原作のドラえもんのコマに事細かくツッコミというか、面白ポイントを見つけてコメントをつけていくスタイルのサイトで、話題ごとに「白ドラ」とか「旨ドラ」などのカテゴリーもあった。
白ドラは、謎のタイミングで白けている登場人物の特集。旨ドラは作中での美味しそうな食べ物の特集。

このサイトが僕に与えた影響は大きい。
僕が初めて自ら買った本はドラえもんの一巻で、そのあまりの面白さに近所の本屋で全巻まとめて買った思い出がある。当時の僕の背丈ほどもあったレシートを今でも思い出すことができる。
小学校も4年を過ぎると、全ての巻を何周もしてしまったこともあり、さすがにドラえもんから離れていた。しかしそのころにこのサイトに出会い、ドラえもん熱が再燃し、そこからSF短編などにも手を伸ばし、すっかり藤子・F・不二雄先生の虜になった。
僕は、日本で1番の漫画家は藤子・F・不二雄だと信じて疑わない。もちろん、何を重視するかで日本一の基準は簡単にズレてしまうだろうけど、僕の、未だモダニズムに捉われた価値観で判断する限り、やはり藤子・F・不二雄以上の漫画家はいない。

どういうことかといえば、漫画というメディウムの極めて純化された形が藤子・F・不二雄の漫画であるということだ。例えばよく言われるように手塚治虫は映画の演出を大胆に取り入れた。あるいは大友克洋はメビウスなどのバンド・デシネの直接の影響下にある。バンド・デシネはフランスで9番目の芸術ジャンルとして認識されたもので、平たくいえばフランスの漫画だが、「芸術」とカテゴライズされているように美術大学を出たアーティストとして活動している人が多い。
今例に出した2人は、それぞれ映画、バンド・デシネというジャンルの影響下にあり、それを明確に見て取ることができる。他ジャンルとの境界を超えて漫画に取り入れることでパイオニアとなった例と言える。

それに対して藤子・F・不二雄は漫画という領域の内部にとどまる。それは決して他ジャンルに対してF先生が無知であるということではなく(実際、氏はかなりの教養人だったらしい。漫画という領域を画定するには隣接するジャンルを際を見極めるだけの知識が必要になる)、漫画というメディウムの自給自足とは何かという問いの答えであるということだ。
そうして慎重に定められた漫画という領域で、ドラえもんたちが遊ぶ。そこで必要になる画力は画家のものとは異なり、記号を過不足なく伝えることができるという能力となる。動きも、映画やアニメのように動くのではなく、コマとコマの間にのみ存在する時間差によって生ずる断続的出来事としてある。

漫画の極北であるF先生の作品は一読しただけでは読み心地に抵抗が少なすぎて凄さに気がつかないが、改めて一コマずつ見ていくスタイルの「変ドラ」に入り浸ることで、その離れ業を感ずることができたように思う。

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